『いだてん ~東京オリムピック噺』からの宿題は果たせただろうか?

“選手ファースト”
これはオリンピック開催国の国民として、そして観戦する立場として必ず頭に置いておきたい言葉だ。
この言葉の解釈は人それぞれなので皆さんにも各々の解釈があるだろう。
僕個人は「選手達にそれまでに積み上げてきたことを出し切って、自分達の競技を楽しんでもらう」こと、そして「オリンピックを楽しんでもらう」ことができれば“選手ファースト”を守ることができているのではないかと思う。

2019年に放送された大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺』では阿部サダヲさんが演じる田畑政治さんが“東洋の魔女”と呼ばれた女子バレーの選手達を見てこんなことを言っている。

「人見絹枝や前畑秀子の時とは違う」

1928年のアムステルダムオリンピックに出場した人見絹枝さん(演じたのは菅原小春さん)は女子100メートル走で4位に終わり、その後急遽800メートル走へのエントリーを嘆願した。
その動機は「このまま帰ればやっぱり女はダメだったと思われる。このままでは自分のせいで女子スポーツの未来が絶たれる」というものだった。
そして人見さんは800メートル走で銀メダルを獲得し、帰国後も女子スポーツの発展のために活動を続けていたのだが、無理がたたったのかアムステルダムオリンピックから3年後に僅か24歳で亡くなったのだった。

1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した前畑秀子さん(上白石萌歌さん)は銀メダルを獲得し、帰国後に「次は金メダルを」という声が日本各地から相次いだことから1936年のベルリンオリンピックへの出場を決意した。
しかし多くの期待の声のためか前畑さんにかかるプレッシャーは大きく、本番前には大変思い悩んでいた。
前畑さんはプレッシャーに打ち勝つため、田畑さんが止めるのも聞かずに応援の電報の紙を飲み込んで「これで皆と一緒」と気持ちを切り替えた。
そして見事に日本人女子として初となる金メダルを獲得したのだった。

ドラマの描写ではこの2人と比較して“東洋の魔女”は「誰かのために……」とか「勝たなければ……」という気持ちもなかったわけではないだろうが、それ以上に「バレーボールをやりたい」という気持ちで「自分達のバレーボールを楽しむ」ことが出来ていたように思える。
大松博文監督(チュートリアル徳井義実さん)は1962年の世界選手権で“東洋の魔女”が優勝したことから世界一という目標を既に達成したことに加え、選手に無理にバレーボールを続けさせて良いものかと悩んで辞任しようとしていた。
しかし選手達は「私達はバレーボールがやりたい」という熱意を持っており、大松監督はそれに応えて続投することになったのだった。

件の田畑さんの台詞が出たのはこの時だった。

ドラマでの“東洋の魔女”はまさに“選手ファースト”として描かれていたように思う。

ところで今回の『東京2020』では“選手ファースト”は守られていただろうか?

今回の『東京2020』で僕が一番ショックだったのはある選手が試合に負けた際に謝罪の言葉を口にしたことだった。
どんな選手だって負けるときはある。負けたとしても選手がベストを尽くして試合を楽しむことが出来ていたのならそれに超したことはないし、「全力を出し切れなかった」と選手が思ったのなら「ドンマイ」だ。負けや失敗は貴重な経験であり糧だから必ず次に、そしてその次につながっていくはずだ。
その負けを経験した際に選手の口から出たのが謝罪の言葉だったということは……?

あくまでも僕個人の意見だが、選手に「ごめんなさい」と言わせてしまった僕等こそ選手に謝罪しなければならない立場なのではないだろうか?
選手の口から謝罪の言葉が出たということは選手に「自分達の試合を楽しんでもらう」ことが出来なかったという証なのだ。

この記事には“『いだてん ~東京オリムピック噺』からの宿題は果たせただろうか?”というタイトルを付けているが、“『いだてん』からの宿題”というワードはドラマの終了後にYahooに出ていたある記事のタイトルを引用したものだ。

その記事にはこんな感じの言葉が書いてあった。

「2020年の東京オリンピックは1964年の東京オリンピックよりも1940年に開かれるはずだった幻のオリンピックに近い印象を受ける」

僕はドラマでの1940年に開かれるはずだったオリンピックの返上を決断した副島道正さん(塚本晋也さん)の「日本をドイツに置き換えてみろ。ナチスに置き換えてみればさらに明白だ」という台詞には「今回開催しようとしているオリンピックは“選手ファースト”にできていない」という意味も込められていたように感じる。
その上で負けた選手の口から謝罪の言葉が出たことを考えると、今回の『東京2020』は1940年の幻のオリンピックにそういった意味でも近かったのではないだろうか?

否、それどころか僕等はドラマの第1部で描かれていた1912年のストックホルムオリンピックで熱中症のために倒れ、マラソンを棄権した金栗四三さん(中村勘九郎さん)が謝罪の言葉を発したあの時点からの選手を取り巻く環境の改善すら出来ていなかったことになるのではないだろうか?

IOCや組織委員会の責任は重大だがSNSというツールが存在する現代においては僕等1人1人の責任もまた重大だ。従って僕等は“『いだてん』からの宿題を果たせず、あなたに「ごめんなさい」等と言わせてしまって本当にごめんなさい”と選手に謝罪しなければならない立場となるのだ。

しかしその一方、試合で負けたときに懸命に打ち込んでいたスポーツで勝てなかったことが純粋に悔しくて泣いた選手や1924年のパリオリンピックに出場した時の四三さんのように出来ることを全てやり尽くして「負けて悔い無し」だった選手、開会式や閉会式でカメラに向かっておどけた表情を見せてくれた選手もいたことを考えると、“選手ファースト”に出来ていた場面も少なからずあったように感じ、ほっとしている所でもある。

日本は今回オリンピックの開催国となった。従ってしばらくは開催国となることはないだろう。
しかし日本代表となる選手の出場は来年北京で開かれる冬季オリンピックや次回のパリオリンピックでもある。
また、オリンピックでなくともワールドカップのような国際試合は存在する。
否、国際試合だけでなく日本国内でのプロ野球やJリーグでも“日本”を“地元”に置き換えたりすれば“選手ファースト”について考えさせられることは度々あるに違いないと僕は思っている。

皆さんはどうだろうか?
“選手ファースト”に出来ていてほっとすること、“選手ファースト”に出来ていなくて自分達の反省点だと思うことはどれくらいあっただろうか?

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