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Peter W. Czernich (German SKIN TWO、MARQUIS創立、HeavyRubber、etc)インタヴュー記事

Peter W. Czernich(ピーター・W・ツェルニヒ)は写真家であり、ドイツのフェティッシュマガジンMARQUISの発行人であったことはあまりにも有名ですが、それ以前にSKIN TWOのドイツ版を手掛け、伝説的な雑誌〈O〉の創立、ドイツで初めて大規模なフェティッシュイベントを開催するなど、その活躍は世界中で知られています。
日本語ではなかなか知り得なかったPeterの活動。
今回は特にフェティッシュマガジンに関わるきっかけやこれからのプランなどをお話していただきました。
写真はすべて公式になります。


Photo by Peter at work


Peter
90年代半ば、私はロンドンで仕事をしており前衛的なファッション・フェアに参加していたのですが、そこで忘れられない経験をしました。
突然、通路の真ん中で腕を上げて立っている若い女性が、誰かに布で「磨かれ」ているのが見えました。
こんなのは今まで見たことがありませんでした。
彼女の黒いラテックスドレスはエレガントでシンプル、肌にぴったりとフィットし、光沢がありました。
これは Ectomorph のもので今では定番となっています。
デザイナーのKrystina Kitsisは、SKIN TWOのコピーをして見せてくれましたが、当時は白黒で24ページという控えめなものでした。
その後すぐに、彼女は私にティム・ウッドワードに紹介し、私は彼の雑誌のドイツ版のようなものを制作することに同意したのです。
SKIN TWOと当時のロンドンのシーンは、フェティッシュなテーマを今までにないほど新しいレベルに引き上げました。
グレース・ラウボブ・カルロス・クラークトレバー・ワトソンなどの写真家は、展示されていたラテックスファッションをよりエロティックなものにした上品なモノクロルックで大変感銘を受けました。
それまではGum, Club Caprice, Sir, etc…当時風俗店でしか買うことができない関連雑誌でしか知ることができませんでした。 インターネットも他の情報源もありませんでしたからね。
『SKIN TWOドイツ版』は7回出ました。 最初から私は創刊号にカラーの表紙と特別なポートレート形式を選択しました。(後者を選択したことが収支上”オウンゴール”であったことが後で判明しました)。
当時ドイツには表立ったフェティッシュシーンはなく、いくつかの秘密のサークルがあるだけで、内部の話を聞けることはほとんどありませんでした。
そんな中でもEctomorphレーベルからたくさんの情報を発信してきました。
当時の私はまだ経験が浅く、間違いを犯したり、ティムやクリスティーナに迷惑をかけたりしました。
<O> に切り替えた主な理由はドイツ語と英語で出版したかったことでした。
もちろんSKIN TWOとの契約ではそれが許可されていませんでした。 でも、内容にも強いこだわりがあったんです。
私にとってフェティッシュなテーマは、楽しくて、カラフルでセクシーだったのですが、SKIN TWOはSM色が強く、”ファンシー”なデザイナーに与えるスペースが少ないと思ったんです。
その後数年間、特にMARQUIS初期は私とSKIN TWOは競争相手となり、それはいくつかの編集上のヒントにも反映されていました。
当時SKIN TWOで活躍していたトニー・ミッチェルは、MARQUISを「SKIN TWOには参加できなかったようなモデルたちがいつも顔を出していた」と書いています...”ドラミング”も技術の一部です。

SKIN TWOがパイオニアであることは明らかです。
ティムとトニーは、フェティッシュというテーマをスタイルと気品をもって紹介しました。ロンドンでの出会いがなければ、<O>もMARQUISもなかったかもしれません。
後年、私たちはいろんなところで会い、ラスベガスでは酒を飲み、すべての敵意やわだかまりを葬りました。
トニーは長い間MARQUISでも働いていました。彼のコラム「Fetisch Gossip」は忘れられません。

Peter Czernich, Solingen in February 2023


MARQUIS No,27 Cover Photo by Peter at work

Rei
あなたは”SKINTWO"ドイツ版、”〈O〉”の創刊、そして”MARQUIS”に”HeavyRubber”などたくさんのFetishカルチャーを取り上げてきた印象があります。
あなたの雑誌には独自の美学がありますが、心がけていることはなんでしょうか。

Peter
もちろん私は"MARQUIS"1号から67号までしか語れませんが…(笑)
それは表紙から始まります。
世界的に有名なフェティッシュモデルであること、斬新な衣装であること、開放的でセクシーなポーズであること、しかし美的であることなど、多くの基準があります。
MARQUISに関してはライフスタイル、ファッション、フェティッシュ・アートをテーマにしているので、"ポルノ"に近いものは避けています。

Rei
あなたの写真は大変美しく、特にモデルのヒールにまでこだわりを感じます。
あなたのフェチが写真に反映されていますか?

Peter
私にはたくさんのフェチがありますが、まずはラテックスですね。
あるアメリカの出版社から、101個のフェチの名前をAからZ まで挙げてもらえないかと尋ねられたことがあります。
私は1時間後に300以上のリストを送りました。
その結果、HYLAS(Hylas Pub)から「FETISH 101」という本が出版されました!:)

Fetish 101: Celebrate Your Fantasies
(Hylas Pub)
Peter W. Czernich 

たとえそれが自分のフェチでなくても、私はあらゆる種類のフェチに共感することができます。 何が人々を”興奮”させるのかを知っているので、彼らが探しているものを正確に提供することができます。

Photo by Peter at work


Rei
過去の仕事で特に印象に残っているモデルはいますか?どなたでしょうか。

Peter
まず最初に、元妻のビアンカがいます。
彼女は私と一緒にMARQUISを立ち上げ、創刊号でモデルを務め、その後も数えきれないほどの写真やビデオセッションを行いました。

ディタ・フォン・ティースは、おそらく今最も有名な人だと思いますが、ちょうど彼女と一緒に伝説的な初期のセッションをすべて新しいカバーとレイアウトで特集した別の本を発売しようとしているところなんです。
この本のためのクラウドファンディングはもうすぐ始まります、楽しみにしていてください!

Photo by Peter at work

Ancilla TiliaBianca BeauchampEmily MarilynDarenziaJess Janssen、Katsuni、Kay MorganMasuimi MaxStella CurveSusan Waylandなど、私のカメラの前に立ってくれた豪華なモデルたちに感謝しています。最近数えたら、40年のキャリアで1,000人以上の女性を撮影したことになります。

MARQUIS No,54 Cover Photo by Peter at work

Rei
ドイツはイギリスのフェティッシュシーンとは少し違いますね。私のイメージはアダルトに直結していながら、メディカルやラバーに特化している印象です。何故なのでしょう?
ドイツ独特のバックグラウンドがなにかあるとお考えですか?

Peter
「もっとアダルトに」とは言いません。
ドイツのシーンはとても大きく、また差別化されています。 3,000人近くが参加する大規模なパーティーもありますが、基本的にスワッピングをする人が多く、フェティッシュファッションにはあまり興味がありません。
それからもっと小さいものもあります。”イースターウィークエンド”のような熱心なラバーリストの集まりや、秘密の場所での特別なイベントなども。
さらに”clinical”なプレイを専門とするドミナによって運営されるプロフェッショナルな場所もあります。 ドイツのドミナスタジオは世界最大規模で最も設備の整ったスタジオの一つだと思います。
私はもう80年近く前の第二次世界大戦の「暗い影」のようなものによる影響などは一切ないと思っています。
ドイツの教育はおそらくイギリスや日本よりもはるかに厳格で形式的ではありません。:)


Photo by Peter at work


Rei
最近、セレブがフェティッシュファッション、特にラバーを身につけたり有名デザイナーがラバーを使った仕事をするようになったことについて、どう思われますか?

Peter
これには何も目新しいことはなく、有名人がフェティッシュな服を着て興味をかきたてることは昔からありましたし(マドンナなど)、ラテックスは80年代初頭のミュージックビデオですでに使われていました(デュランデュランなど)。
フェティッシュ・ウェアのイメージアップにつながるのは確かですが、これらのセレブは明らかにハマっているわけではなく、プロモーションのために使用しているに過ぎません。


Rei
ラバーがストリートのメインクロージングとして扱われることについてはどう思いますか。

Peter
実用的でないため決して実現はしないでしょうね。
ラテックスは暖かい日には暑すぎるし、日光を嫌う。寒い日には寒すぎる。
率直に言って変態的な格好でレストランに行ったり街を歩いたりすることをみんなやっていたら、興奮や挑発はそこにあるのかな?


MARQUIS No,58 Cover Photo by Peter at work


Rei
日本のフェティッシュシーンについてお聞きします。
あなたから見て日本も独自だと思いますが、どのような印象を感じますか?

Peter
ヨーロッパにあるようなラテックス主体のフェティッシュシーンは日本ではかなり小さいようですね。
KURAGEやDepartment-Hの周りにはマニアなグループはありますが、日本のような大きな国にとっては大したことではないのかもしれません。
しかし日本人には縛りやコスプレなど、他にもたくさんのフェチがありますね。すべて異なりますけどエキサイティングだと思います!


Photo by Peter at work

Rei
以前日本に来日したときは日本のフェティッシュイベント(Department-H)にも参加しています。いかがでしたか。

Peter
食べ物も飲み物も自分で持っていく「セルフサービス」というアイデアが気に入りました。
どちらもKURAGEのKid'Oさんが提供してくれましたが。
ショーも素晴らしく、人々はフレンドリーでクリエイティブな格好をしていました。ヨーロッパのイベントのように「プレイエリア」も「ダークルーム」もありませんでしたが、私には問題ありません。自分で遊ぶより見る方が好きです(笑)
いつもは夜中になると疲れてしまうのに、あっという間に朝の8時になったのを覚えています。
私はいつも深夜になると疲れてしまうので、それは大きな褒め言葉として受け取ってください!


MARQUIS No,64 Cover Photo by Peter at work


Rei
日本ではラバーブランド、KURAGEのデザイナーKid’Oさんとの交流があります。
最初にKURAGEの衣装を見た時どのように感じましたか?

Peter
Kid'Oさんは素晴らしい人であり友人でもあります。
私は彼と彼の素晴らしいラテックスファッションの芸術を深く尊敬しています。 KURAGEは世界最高の製品の1つであり、細部へのこだわりと完璧な完成度は他に類を見ないものです。
今年は日本に行けなくてとても残念ですが、娘が東京で勉強し続ければ(※Peterさんの娘さんは日本の大学に行っています。)2024年に日本に行きたいです。そうすればKid'Oさんと私は再会できます(笑)。

Rei
過去に何度か写真展を開催しています。日本で個展を開催する予定はないのですか?


Peter
実は何年も前から考えていたプランなのですが、日本で展示会を開きたいと思うものの必要な連絡先が見つからず、ギャラリーの方や私のために企画してくださる方がいないのです。
何かお手伝いや連絡先があればとてもうれしいです!
新しいDITAブックの発売は、良い機会だと思います。


Photo by Peter at work


Rei
MARQUISが新しくなりました。(※2019)
あなたはどのような気持ちでMARQUISから離れたのか可能な範囲でお聞かせいただけますか。

Peter
ご存知の方も多いと思いますが、以前すでに売却していたのですが2019年にアメリカの新オーナーが私に返してくれました。私が売却を考えたのは自分が年を取りすぎてきたことと、新しい世代が続く時期が来たと感じたからであり、また離婚のためでもあります。
ビアンカがいなければ会社を存続させることはできませんでした。ビアンカは会社のバックボーン、つまり企業理念でした。
アンドレアスが就任した今、私が感じているのは、彼の新しいスタートが最も困難な時期に当たったことを考えると彼は素晴らしい仕事をしているということです。
Covid19、ウクライナ戦争、印刷価格の高騰...。
冒険が続き、MARQUISが生き続けることをとても嬉しく思っています!

MARQUIS No,1 Cover Photo by Peter at work


Rei
新しいプランを教えて下さい。

Peter
まず、MARQUISの新しいオーナーであるアンドレアスとの協力関係は続いているので、HEAVY RUBBERの最後の2号は私が編集しました。
日本のファンの皆さんには、オンラインショップwww.peterwczernich.comを見ていただき、ニュースレターを購読していただくと、スペシャルオファーや私が取り組んでいる新しいプロジェクトが掲載されています。

今、私はいくつかのプロジェクトに取り組んでいますが、DITAの本についてはすでに述べました。
もうひとつの大きなプロジェクトは、アメリカ人と中国人のクライアントのために開発中の「クリアラテックス・ルーム」の作成です。レンタルも可能で、コンセプトがうまくいけば完全なラテックスフェティッシュホテルになる可能性もあります。
私のCLEAR PLASTIC PROJECTも協力してくれる良いパートナーを見つけたのでスピードアップしています。
近々、エキサイティングな新しい写真が見られると思います。:)

その他、最近は野生の花や蘭がフェティッシュです。Facebookで私をフォローしている人なら誰でも知っていることですが。
今年は野の花のカレンダーを出版するかもしれません….(笑)

Photo by Peter at work

Rei
日本にはあなたのファンがたくさんいます。日本のフェティシストたちへメッセージを下さい。

Peter
まずは自分のフェチを恥ずかしがらずに楽しんでください! それは特権であり、あなたの人生にスパイスを加えることができます。

私のウェブサイトとショップをチェックしてください。私の 40年間にわたって収集してきたフェティッシュ・エロティカのオリジナルのフェティッシュアート、彫刻、衣類、DVD、雑誌など多くのレアなコレクターアイテムが販売されています。
私の膨大なアーカイブのすべてを少しずつ販売しています。

ここでインタビューを受けることで日本のファンの皆さんとお話しできる機会に感謝しています。

私は日本の大ファンです:)


Photo by Peter at work


Peter W. Czernich(ピーター・W・ツェルニヒ)


広告代理店でグラフィックデザイナーとして働いたのち、自身のデザイン事務所を設立。
ロンドンで新しいフェティッシュシーンに触れたことをきっかけに、イギリスの雑誌『SKIN TWO』を長くドイツ版として共同出版した後、『Marquis Magazine』の編集長を務める。どちらもファッションの観点からのフェティシズムを専門としている。

●1986年、ロンドンのフェティッシュシーン「Ectomorph(Skin Two)」と初のコラボレーションを行う。
●1987-89年、ドイツで「Skin Two」7号発行。
同誌は成功を収め、23号発行時の販売部数は50,000部に達する。
●1989年と1990年、2回続けて開催された「BALL BIZARRE」は、最大のフェティッシュ・イベントとなる。ドイツでは本格的なフェティッシュシーンはなく、ロンドンでもパーティーは比較的小規模だったが、「BALL BIZARRE」はそのゲートを開くきっかけを作った。
●1994年、雑誌『MARQUIS』誕生。
4カ国語(ドイツ語、英語、フランス語、ロシア語)に翻訳された唯一のフェティッシュ雑誌。
●1997年、コミックと「フェティッシュ・ビザール」をテーマにした雑誌「TERMINATRIX」と、「フェティッシュ・エクストリーム」をテーマにした雑誌「HEAVYRUBBER」の2誌を創刊。
●2000年、フェティシストのための壮大なパーティー「ART BIZARRE フェスティバル」開催。
フェティッシュ・ファッションショーやフェティッシュ・アートの展示に、3000人以上の来場者が訪れ、今日まで最大のフェティッシュイベントとなる。
●2004年、ハンブルクのエロティック・アート・ミュージアムで初の個展を開催。
●2004年、2冊目の著書「MEGADOLLS」(ロイス出版)を出版。
ーー現在は『MARQUIS』を売却し、協力という形をとっている。

●雑誌の出版社
German Skin Two, <O>, Marquis, Heavy Rubber.
●ビデオ監督
White Room, Fetish Academy, Rubber Discipline.
●本の出版
Fetish Divas, Fetish Goddess Dita, Fetish Photography.
●ウェブサイトの運営
marquis. de、heavyrubber.com
●フェティッシュイベントの開催
Ball Bizarre、Night of <O>、Night of Marquis、Art Bizarre
●フェティッシュ小説の執筆


後記
MARQUIS Magazineに出会った時をはっきり覚えてはいませんが、イギリスのSKINTWOより外国のビザール文化という印象を強く感じ「ちょっとこわいかも」と思いました。
メディカル要素だったり、顔も覆ってることが多い。
トラウマ的恐怖にも似た要素がそこにはありました。
私にとってMARQUISのファーストアタックはダークな衝撃だったわけです。
しかし、ピーターの選ぶヒールは私のフェチにものすごく刺ささり、雑誌より映像を見る機会が割と多かったです。
透明ラバーの存在を知ったのもMARQUISでだと思います。
今回インタヴューをさせてもらうにあたりピーターに聞きたいと思っていた”戦争などのダークな一面とセクシャルなものは意外と切り離されている”という話は逆にドイツらしさを感じたりもしました。

余談ですが、私は会員制SNS”mixi”にてMARQUISのコミュニティーを制作管理していました。(520人以上が参加)
そのTOP画像は少し上でピーターとモデルの3人が写っている画像のMARQUISカバー版でした。
そんなピーターに色々話を聞け、相手からもインタビューを喜んでもらえ、これまた震えました。
KURAGEなどでなんとなく身近な存在に感じますが、やはり彼も神のような存在。
本当に感慨深いです。
MARQUISから離れると聞いたときはとても残念に思いましたが、今こうして色々と話を聞け、新しいプランを知ることができ、彼の作り出すものをまた追いかけることができるのかなと思えます。

MARQUIS Cover Photo by Peter at work


親日家でもあるピーターさん。
日本のフェティシストたちにも、自分らしさとしてフェチを楽しむことを強く望んでいるようです。

Peter San、日本でまた会えることを楽しみにしています。


More Info
Official Web
www.peterwczernich.com


Peter W. Czernichの新刊「DITA VON TEESE - The Early Shootings」の クラウドファンディングが開始しました!
ぜひこのプロジェクトに賛同して下さい!

DITA VON TEESE - The Early Shootings

DITA VON TEESE - The Early Shootings
Peter W. Czernich


クラウドファンディングは無事クリア。
写真集は現在印刷に取り掛かっているそうです。
ご協力いただいた皆様ありがとうございました。しばしお待ち下さい。
また、Peterのサイトでもいずれ販売されるようになるそうです。
(2023,7,26追記)

クラウドファンディングの写真集は購入した方々の手元へ無事発送されました。
今後はPeterのサイトで購入することが可能です。
(2023,8月追記)

All images credit Peter at work

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