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子供の頃は世界は「白」と「黒」に分かれていたのに、大人になると「グレー」にしか見えなくなった

社会人向けに人材育成の仕事をしていると20代前半の若手と接することもあれば、50代以上のベテランと接することもありますが、仕事における経験値を除くと両者の最も大きな違いは「グレー」なものに対する受け止め方ではないかと考えています。

例えば20代前半の新人に研修を行うときに「こういう場合はどっちでもいいですよ」というグレーな言い方をすると戸惑う人が多いので、白か黒かはっきり伝えてあげたほうが納得してくれます。

一方で50代後半の大ベテランに対して「こういうときはこうすべきです」なんて言ってしまうとほぼ確実に反発されます。できるだけ断定的な言い方を避け、「基本原則はこうだけど、例外もありますよね」といったグレーな言い方で伝えたほうがむしろ納得してくれます。

これを自分自身に当てはめても思い当たることがあります。

子供の頃を思い出すと、漫画やアニメは「正義の味方」と「悪党」がはっきり分かれているような単純な勧善懲悪ものが好きで、ガンダムは見ていましたがは実はあまりよくわかっていませんでした。(連邦軍にもジオン軍にもそれぞれの正義があることは大人になって初めて理解できたことです)

子供の頃に見えていた世界はシンプルに「白」か「黒」に分かれており、人間も「良い人」か「悪い人」しかいないと思っていました。

子供の頃の世界観

それが中学、高校、大学と進むにつれて世の中には「白黒どっちでもないグレーな存在」があることを認知できるようになり、漫画やアニメも主人公側と敵側のどちらにも属さない第三勢力が出てくる話を面白いと感じるようになりました。

学生時代の世界観

やがて社会人になると、今度は「大人の世界にはいろいろなヤツがいる」という現実を見てグレーにも段階があることがわかるようになりました。普段は白に近い”良い人”もたまに悪いことをするし、普段は黒に近い”悪い人”もたまに良いことをするので、それが人間らしいと思えるようになりましたが、それでも白に近いグレーと黒に近いグレーには「境界線」があると考えていました。

社会人なり立ての頃の世界観

そこから更に年齢を重ねるにつれて様々な価値観に触れるようになり、そもそも白と黒の間には境界線はなく、濃淡のグラデーションがあるだけではないかと思えるようになりました。

オッサンになった今では「真っ黒な極悪人」も「真っ白な聖人君子」もいない(いると信じていない)と思うようになり、何でもグレーに見えてしまっているので、世の中の大抵のことは許容できます。

オッサンになった今の世界観

ただ物事が何でもグレーに見えるようになったことで、現状に対して「まあこういうこともあるので仕方ない」と思ってしまい、「これではいけないので変えよう!」という意欲も弱くなってしまっています

世の中の現状に対して疑問を呈するのは何でもグレーに見えるオッサンよりも、白か黒にしか見えない子供かもしれません。

一方で白か黒かにしか見えない子供と、何でもグレーに見えるオッサンでは見える世界があまりにも違うので、両者の対話はかなり難しいという問題もあります。

そんなわけで「大人になる」のも良いことばかりではないかも・・・、と思いました。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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