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筋金入りの「アンチ」は最も熱心な「追っかけ」だったという話

国葬の話ついでに安倍元首相の思い出話が一つあります。
(別に個人的に何かあったというわけではありませんが)

何年か前の総選挙で私の自宅の最寄り駅に安倍元首相が応援演説に来たことがありました。

私たちはそうとは知らずにたまたま駅前の広場を通りかかっただけですが、時の総理大臣が来るということで駅前はものすごい数の警官とSPがいて物々しい雰囲気になりました。

私たちは支持者でも何でもないのですが、安倍さんを生で見れる機会はそうそうないのでせっかくだから立ち止まって出てくるのを待つことにしました。

そのとき、私たちの後ろに陣取っている一団がいることに気づきました。おそらくだいぶ前からその場所で待っていたと思われますが、「まだ出てこないのか・・・」という表情で演説会場を睨みつけていました。

そして司会の女性が「皆さん、お待たせしました!内閣総理大臣 安倍晋三さんの登場です!」と大きな声で紹介して安倍さんが壇上に上がると、後ろに陣取っていた人たちから一斉に「お前なんか待ってねえよ!」「そうだ!そうだ!」「帰れ!」というヤジが飛んだのです。

要は安倍さんに対して「待ってねえよ!」というヤジを言うためにずっと待っていたというわけです。

安倍さんの政治思想に否定的な方々と思われますが、待機していた場所から推測すると支持者よりも前から待ち構えていた可能性があります。

この光景を見て「あの人たちが一番熱心な追っかけだね」という話をしました。

安倍さんが亡くなられて寂しい思いをしているのは支持者の方や親交のあった方よりも、案外このような筋金入りの「アンチ安倍」の方々のほうかもしれません。

昨日九段下のあたりでヘルメットを被って暴れていた人が一部居たみたいですが、私には彼らなりの安倍さんへの”追悼”にも見えました。(この先安倍さんに何も言えなくなるので最後ぐらい言わせろ、みたいな)

何せ今まで「人生をかけて戦う敵を見つけた!」と言わんばかりに情熱を燃やしてきたのに、その相手が居なくなると「この先誰と戦えばいいのか・・・」という喪失感ははかり知れません。

感情の向く方向は真逆ですが「その人に関心がある」という点では「ファン」も「アンチ」も同じであり、むしろ「ファン」よりも「アンチ」のほうが関心が強いことがあります。

ある意味「ファン」は居なくても「アンチ」が居れば人々から注目される存在になり、うまく利用すればビジネス上の利益につながるので、昨今の「迷惑系〇〇」という人も最初からアンチ獲得を狙っていると思われます。

もし誰かの言動を見て「コイツは許せん!何としても懲らしめてやる!」と思って熱烈な「アンチ」になってしまったらまさしく相手の思う壺なので、私は誰のアンチにもならないよう気をつけようと思います。

「ファン」も「アンチ」も相手にとってはいい金づるなので・・・
(それを言ったらおしまいですが)

最後までお読みいただきありがとうございます。

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