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「坊主」と「袈裟」を一緒にしてしまうのは人類の悲しい習性だと思いました

日本には「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉があります。

例えばどこかの芸能人が不倫などの「世間を騒がす行為」をしてしまったとき、なぜかその芸能人がCMで宣伝している商品までとばっちりを受けて売れなくことがありますが、まさしくこの典型例だと思います。

私なんかは「これはこれ、それはそれ」という性格なので、CMの出演者がどんなにゲスなことをしようがその商品が好きなら気にせずに買いますが、やはり「ゲスなことをした人が宣伝する商品なんて買いたくない!」と思う人は多いようで、不祥事をやらかした芸能人が出演するCMがすぐにお蔵入りしてしまいます。

この「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのは日本人だけの習性ではありません。むしろ他の国のほうが日本よりも酷い場合もあります。

先日中国で日本の浴衣を着ていただけで連行されるという事件がありましたが、「日本憎けりゃ浴衣まで憎い」と言わんばかりの露骨な行為にむしろ笑ってしまいます。(もちろん笑い話ではありませんが)

アメリカでも同じような話があります。

2003年にアメリカがイラク戦争を始めたのですが、フランスが戦争にケチをつけたために頭に来たアメリカの愛国的なレストランが「フレンチフライ」を「フリーダムフライ」と言い換えてしまったということがありました。

「フランス憎けりゃ”フレンチがつく物”まで憎い」ということでしょうが、ここまで来るともはや「バカバカしい」を通り越してしまうレベルです。

こんな感じでどうやら「坊主」と「袈裟」を切り分けないのは全人類共通の習性であり、人間というのはひとたび何かを憎むと「憎しみ」が自分の中でどんどん増幅され、関係するものすべてを憎んでしまう悲しい生き物ではないかと思っています。

コミュケーションの研修などでは”叱るときは「人」と「事」を切り分けて話しましょう”なんて教えていますが、現実は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というように「人」と「事」を切り分けて考えるのはかなり難易度の高いことかもしれません。

私も嫌いな政治家に対してはついその人の政策をすべて否定的に見てしまいますが、やはり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の呪縛にかかっている可能性があるので、嫌いな政治家であっても政策はニュートラルに見るよう心掛けようと思います。

まあ香川照之が出ている番組はこれからも気にせずに見ますが

最後までお読みいただきありがとうございます。

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