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前向きな言葉でも、「持てる者」から「持たざる者」に向けられると逆効果になるかもしれない

世の中には様々な前向きな言葉が溢れており、人はそこから生きる勇気やエネルギーをもらうことができます。

私自身も長い人生の中で苦しい時期もありましたが、その時に聞いた「生きているだけで価値がある」という言葉や、「失敗してもいい」「逃げてもいい」という言葉に助けられた覚えがあります。

しかし、自分がその言葉に励まされたからといって、他の人も同じように前向きになれるとは限らないことを思い知らされました。

研修の場で受講者の方を励ますつもりで「失敗してもいい、何度でも立ち上がればいい」と言ったのですが、うんうんと頷いてくれる人がいる一方で、「それができたら苦労しないよ…」という冷めた目で見てくる人もいました。

そのとき、自分が「失敗してもいい」という言葉で前向きになれたのは自分自身が失敗を何度も許してもらった経験があり、自分は立ち直れるという根拠に無い自信の持ち主であったからということに初めて気づきました。

逆に言うと「たった一度の失敗でひどい目に会わされ、立ち直れる自信も持てない人」にとっては「非現実的なきれいごと」にしか聞こえなかったのです。

自分はたまたま「持てる者」だったからそんな言葉で前向きになれたのであって、「持たざる者」にはむしろネガティブな言葉にしか聞こえません。

もしそこに気づかず、自分にとって前向きな言葉ばかり吐き続けていると、相手の心はますます離れていったことでしょう。

人は誰でも「持てる者」と「持たざる者」になる

この経験は自分が「持てる者」という立場だったのですが、逆に自分が「持たざる者」になることもあります。

私自身が自覚している欠点の一つに、同じことをコツコツ継続して行うことができないというのはあります。

激しく飽きっぽいのか集中力が極度にないのか、子供の頃から5分以上じっとしていることができませんでした。

そんな私に「継続すれば必ず成功できる」と言われても「自分には無理」と思ってしまいます。

「持てる者」か「持たざる者」かは相対的なものであり、例えばすごく繊細な人は「細かい配慮ができる」という点では「持てる者」ですが、「細かいことを気にしない」という点では「持たざる者」になります。

変な例かもしれませんが、運動神経が極度に悪い人はスポーツを行う上では「持たざる者」ですが、運動ができない人の気持ちを理解することにおいては「持てる者」になります。

このように、すべてにおいて「持てる者」という人はいないと思いますが、誰でもある場面では「持てる者」、別の場面では「持たざる者」になる可能性があると言えます。

ただし、「持たざる者」であることは自覚しやすいのですが、「持てる者」であることは自覚しにくいのかもしれません。

そのため、人にアドバイスすることや何かを教えるときはつい忘れてしまいがちですが、自分が「持てる者」だから言える言葉があり、もし相手が「持たざる者」だと逆効果になることを意識したほうが良いと思いました。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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