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禅、弓道、礼法、そして 世界の経営者を結びつける「絶対的なもの」

日本の伝統文化が育んできた思想が、より良い未来をつくるヒントになる気がする。

ここ最近、わたしの中でその考えは加速しまくっている。

うまく言葉にできないこの確信を、どうにか表現できないものか。
そんな試行錯誤真っ最中の試みとして、現時点の頭の中を書き起こしてみた。


ジョブズも愛読した「弓と禅」から感じる、精神性

以前より気になっていた、「弓と禅」を読んだ。

この本は、ドイツ人哲学者 ヘリゲル氏が弓道を通して日本の「道」に通底する禅の考えを感得するプロセスを綴ったものだ。

スティーブ・ジョブズ氏も影響を受けたと言われており、世界中で読まれている一冊。

哲学者でもあるヘリゲル氏は、禅の真髄を頭で考えて理解をしようとする。

合理的かつ論理的に捉え、分からないことは徹底的に質問をし、理解しようと努めるのだがうまくいかない。
そんな弟子の姿を見て、師匠である阿波研造 氏は「考えるのをやめなさい」と諭す。

この師匠と弟子のやり取りは、本当に何度も繰り返され、(お互いとも)気持ちが折れてしまってもおかしくないほど続く。

その葛藤、心情の変化は、ぜひ書籍を読んで欲しい。

下記は、言葉で理解しいようと質問ばかりするヘリゲル氏へ師匠が伝えた言葉。

正しい道は、目的がなく、意図がないものです。あなたが、的を確実に中てるために、矢を放すのを習おうと意欲することに固執すればするだけ、それだけ一方もうまくいかず、それだけ他方も遠ざかるのです。あなたが、あまりに意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっています。意志で行わないと、何も生じないと、思い込んでいます。

論理よりも、精神性。
意欲ではなく、無心。

ヘリゲル氏は、苦悩しながらも師匠の教えを信じ、日々の実践を積み重ねていく。


そして、4年ほど経ったある時、遂にヘリゲル氏は「無心の射」を放つ経験をする。

その時「中(あ)てるということの意味」について、師匠はヘリゲル氏に問う。
すると、あの合理的かつ論理的なヘリゲル氏の口から発せられた言葉は、とても抽象的で精神的なものだった。

私はそもそももはや何も理解していないのではないかと恐れています。(中略)
弓を引き分けるのが私であるのか、私を一杯に引き絞らせているのが弓であるのか、的に中てるのが私出るのか、的が私に中たるのか。
『それ』は身体の眼には精神的であり、精神の眼には身体的です。それは二つあるのか、どちらかであるのか。これら全てーーー弓と矢と的と私とは、相互に絡み合っていて、もはや分けることができません。分けようという要求すら失せました。

弓道は、的を射るという物理的な結果が伴うものではあるが、その根源を精神的な修練に求め、その目標は精神的に射中てることにある。

ヘリゲル氏は、見事に、その境地に達した。

なぜ、人は武道の精神性に惹かれるのか

ヘリゲル氏が体得した弓道の精神性は、いまの時代にどのように活きるのだろう?

そのヒントになりそうな記事を発見した。
チョコレートでお馴染みのゴディバジャパンのCEO ジェローム・シュシャン氏は、なんと弓道歴30年。ご自身のマネジメントに弓道の教えを取り入れているという。

私のビジネスの考え方は、来日してから30年間続けている弓道に影響を受けています。弓道には「正射必中(せいしゃひっちゅう)」という言葉があります。これは、正しく射れば必ず当たるという意味で、「的に当てることではなく、正しく射ることに集中する」。そうすれば必ず結果が付いてくるという考え方です。

つまり、売上げや目標に向かうのではなく、「商品」「チャネル 」「接客」「広告」といった正しいことをまずやる。それぞれにベストを尽くせば、結果がついてくるということ。

また、シュシャン氏は次のようにも言っている。

弓道の言葉に「1射1射」があります。前の成功を忘れ、いつも新しい気持ちで射るという意味ですが、これもビジネスにつながる考え方だと思います。お客さまに長く愛されるため、新しいことにチャレンジすることは非常に大切です。

これに関しては、「弓と禅」にも通じる考えが書かれてた。
下記は、師匠の言葉。

射に失敗しても、そのことに腹を立てないようにすべきことは、前からご存知のことです。射がうまく行っても喜ばないことを付け加えなさい。快・不快の間を行き来することから離れなければなりません。
ゆったりとした平静さで、まるであなたではなく、他の人がよい射を射たかのように、超然としていることを学ばなければなりません。ーーーこれが、どんなに重要か計り知れません。

これらを改めてまとめると、

・目標達成を意図しない 
・その時々の結果に固執しない
・平静と、目の前の正しいことに集中する 


という感じだろうか。
私たちのビジネスのシーンにおいても、当てはまる考えのような気がする。


呼吸法 ーーーー それこそ「絶対的なもの」


では、どのようにしたら「平静と、目の前の正しいことに集中」できるのか。

その答えは、小笠原流 三十一世宗家 嫡男である 小笠原清基さんの言葉から得ることができた。
小笠原流に関する記事は、こちらを参照。

小笠原さん曰く、「弓道は、相対的ではなく絶対的である」とのこと。

相手と比較するのではなく、自分自身の精神を鍛錬することが求められる。

それは、自分自身を見失わない(=絶対的)ということだ。
そのために大切なことは「呼吸」なのだそう。

人間は、感情的になったり、焦ったり、我を忘れた状態になると、呼吸が乱れる。
どんな時にも、平静にいるためには、正しい呼吸法を身に付けることが大切だ。

そういえば、「弓と禅」の一説にもこのような記述があった。

我々に課題が与えられた。家庭で礼法ーーー体配の歩み、構え、とりわけ呼吸法を行い、深く沈潜することであった。 (中略)
弓と矢なしに礼法を舞うように慣れてくるやいなや、我々はすでに歩みで異常な集中に導かれ、さらに行うと、それだけ決定的に楽に行われ、身体の力が抜けた状態によって、集中の過程を容易にしようと心がけているほど、ますますそうなるのであった。(中略)我々はそのように安心感を持っていたので、見物の人たちがいる試験の日を平静な気持ちで待ち受けていた。

かのスティーブ・ジョブズ氏が、禅やマインドフルネスに興味を抱いたのも、この「絶対的なもの」を見つめるためだったのかもしれない。


ジョブズ氏にも影響を与えたと言われる住職 山下氏は次のように話している。

彼はマーケティングを一切しなかった。座禅によって自分の中に下りていき、自分が本当に望むものを徹底的に見ようとした。自分の深いところから来るものを作るから、製品は相手の深いところを揺さぶる力を持っていた。自分は一体何を望むのか。それを探るのが彼の究極のマーケティング・リサーチだったのでしょう。(中略)
自分に日々問いかけ、その時に本当にしたいことをしなければいけないと言っている。普通はそう思ってもなかなかできない。だって空気を読んで、皆に好かれる生き方をした方が楽だから。しかし、ジョブズは違った。深く下りていき、普段のモノの見方とは違う、もう一つの視点をキープしようとした。そのために坐禅を使ったのでしょう。

スティーブ・ジョブズと禅—世界が注目する禅の実践効果 | https://www.nippon.com/ja/views/b06101/

正しい呼吸法は、「絶対的なもの」に立ち返らせてくれる唯一のものなのかもしれない。


自分の「芯」をブラさず、生きていく

情報に溢れ、調べればすぐに答え(正しいのかは分からないけど)が見つかる時代。
他人の目を気にして、空気を読んで、SNSのリアクションに左右され、同調圧力に負け、自分自身の芯となるものを貫くことは難しいと思える時代。

そんな中でも、最近は「自分らしさ」などのキーワードもよく目にするし、一人ひとりの価値観を尊重した社会へのシフトが行われているような気もする。

つまり、世界トップレベルの経営者でなくても、自分を見失わずに生きていくことが必要な時代ということだ。

今回学んだ、 弓道の精神性は現代にもきっと活きるはず。

・目標達成を意図しない 
・その時々の結果に固執しない
・平静と、目の前の正しいことに集中する 


そのために、呼吸を整え、外的環境に惑わされることなく、絶対的な自分を見つめる。そして、自分の本当に正しいと感じるものを貫くこと。

このあり方は、きっとより良い未来につながっていく。


おわり
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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