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離婚を重く受け止める私は被害妄想をよくしてしまう


思えば離婚してから、ただでさえ重たかった結婚がもっと重く感じられるようになった。


周りが結婚するから焦るとか、みんな幸せそうでいいなぁとかそんな気持ちはあまりなくて、どちらかと言うと「離婚しちゃった自分が新婚さんの近くにいていいのかしら」って気持ちだった。



新婚さんじゃなくっても、学生時代の友達、会社で出会った人や趣味で出会った人、周りの女友達はほとんど結婚していた。パートナーとお互いに話し合いながら一緒にいる生活を続けているようだった。



これが40代とか30代半ばとかなら、もうちょっと周りの空気が違ったのかもしれないんだけど、20代後半の私はなんだか幸せに置いてけぼりにされた気分だった。



申し訳なさと寂しさ。
誰かに強くぶつけることはないけれど、
奥底に少しずつ溜まってる。



私だけなんでだめなんだろう、と悲観的に考えることはあまりなかった。自分の人生を他人任せに生きてきたツケが回ってきただけで、みんなは自分と向き合い相手に気持ちを伝え続ける努力ができてたんだと思う。



わたしにはできてなかった。
誰かの理想の人になれば、その人がずっと愛してくれてるもんだと思ってた。



誰かの理想になるための努力ならできた。家庭的な女っぽい雰囲気を出すこともしたし、明るいキャラを演じきってきた。



けどやっぱりそれはキャラだったので本当のわたしではなかったらしい。



一人で本を読んで何の音楽もない空間でただ過ごす自分は周りからすると病んでいるというか、あまり世間に見せていい顔ではないと思った。



でももう疲れてしまったのだ。
それなら誰とも近付かず、周りの友人や家族を大事にすればいいんだと、仕事に打ち込めばいいのだと思った。



それはわたしにとって周りが評価してくれやすい部分で、得意分野だったから。



けど「本当の自分を誰も知らない」と勝手に思い始めてしまっていたらしい。孤独感が強くなってしまって、今の自分の生活を受け入れられない時もあった。



ショッピングモールの家族連れはもう慣れた。わたしにとっての当たり前は友人や母が一緒にいること。



けどママ友の家へ行った時は違った。子どもが誰か帰ってきた時に1人は「おとうしゃん!」と言った。もう1人は「パパ!」と言った。




そうか、こんなところでも勝手に傷ついてしまう自分がいたのか。同じ環境にいるもの同士でだんだん仲良くなる説が世間で言われている理由が身に染みる。



ただ、「じゃあ同じ環境の人とだけ付き合おう」と思わないのが私の良いところだってことにしたい。



ここでは悲しい気持ちを曝け出しているけども、これは人には会えなかった奥底を浄化するために引っ張っているだけで、その人との人間関係の方がよっぽど大切にしているつもり。



ただ、恋愛のクセはなかなか抜けない。思ったことを言うまでに時間がかかってしまうのが私の悪いところなんだと思う。



なので「なんだか泣きそうだ」と思っても堪えてしまう。一人では我慢しないことも、ニ人だと途端に我慢が増えてしまう。そんな生き方をしてきたらしい。




勇気を出してみよう、みたいな、あなたも大丈夫だよ、みたいなメッセージをこのブログではよく発信している。



それは過去の私が欲しかった言葉で、過去の私が救われればいいと思って、今悩んでいる人へ届けばいいと思ったから。



でも考え直したらわたしは自分のことになると卑屈に卑屈を重ねてきた女だ。



そうなるとそんな前向きなメッセージなんてしゃらくさくて、読む気にもならない。



だから過去の自分をもっと考えた時、もっと奥の奥の人に言いづらい感情を込めた方が伝わるものがあるのかと考えた。



この文字を無表情で、淡々と、電車内で打ち込んでいる。みんなが誰かと連絡を取ったりSNSを眺める横で、私は暗い感情を吐き出している。




そう思うと、人は外側からじゃ分からない。
あなたの電車の横の人は、私だったのかもしれない。



「他人に見せる自分」を作らなくてもいい自分でい続けるために、綺麗事を並べるばかりじゃない本音の私を、もっともっと知ってもらえたらいいな。



今日はどんな1日でしたか?
札幌は強風がすごすぎて泣きそうだでした。
早く春がくるといいよね。


冬が明けるのはもう少し。
雪のない地域も、温かさが戻るまでもう少し。
早くお花をみたいですねえ



ありがとうございます。味の素の冷凍餃子をきゃぴるんるん食べます。