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原爆ドームを訪れて考えた“生きること”について。

先日、広島県に旅をした際、原爆ドームと広島平和記念資料館を訪れました。

高校時代に修学旅行で長崎の資料館は訪問したことがあるのですが、広島の原爆ドームと資料館はお恥ずかしながら、24年間生きてきて初めての訪問でした。

広島旅の目的は原爆ドームではなかったのですが、折角訪れるのであれば行ってみよう、それくらいの軽い気持ちでした。

ですが、資料館での展示の数々を一通り見終えると、決して軽い気持ちでは収まらないほど全身が揺さぶられる感覚に陥りました。“生きる”とはなんだろう、“生きている”とはどんな状態だろう。強烈に考え、というより感じざるを得ない時間でした。

訪問から少し時間が経ち、少し心が落ち着いた今。改めて、あの時間に感じ、考えた“生きること”について改めて考えてみようと思います。

■これまでの“生きる”ことに対する考え

これまで、このnoteでも度々“生きる”をテーマに幾つかの記事を描いてきました。

アホウドリの糞で出来た島で暮らすナウル国民の生き方と仕事について。
過去と未来の概念を持たず「今この瞬間」を生きるピダハン族について。
相田みつを美術館を訪れ「仕事=生きる」の生き方をしたいと考えたこと。

ですが、“生き方”や“生きる”をテーマに執筆したどの記事も、そもそも「命がある」という前提を基に執筆を行っていました。命がある、明日の自分もきっと生きているだろう。こうした考えがそもそもあるからこそ、その先の働くことや生き様、生き方の選択肢を広げるというテーマに結びつけていました。

■資料館を見終えてからの“生きる”ことに対する考え

“痛がってなかなか靴を脱がせることは出来ませんでした”

衝撃的な1文と、展示された1足の靴。

被爆した少年の母親が、治療に際して少年から靴を脱がせようとした時の描写がその展示には刻まれていました。資料館にはこうした数々の遺品や、被爆時の人々の様子を描いたものが展示されています。中には、小学校低学年や未就学児によって、街を歩く皮膚の爛れた人々の様子の絵画もありました。

私が幼い頃よく画用紙に描いていた、太陽やお花。犬の絵ではありません。

こうした展示を観て強く感じたこと、それは“自分は生かされている”ということでした。急に心を持ち上げられて一気に落とされたか、という衝撃と共に抱いた感覚。

おそらく、言語化すると。

普段“生きること”について考える時、そこには当たり前のように命がある状態を想定しています。ですが、その前提が崩れた時。命ある事が当たり前でないと知った時。今、私が生きているこの状態はもしかすると“生かされている”状態なのかもしれない。そう思いました。そして、これは大学生だった過去に気仙沼、大船渡を旅し、3.11の資料館を訪れた際にも同じように強烈に抱いた感覚です。

強い使命感を持って生きすぎる必要はないけれど。今、生きているという事は何かしらの意味があって生かされているのかもしれないな。自分を、周りの人を、そして目の前の出来事を大切に今日を、明日を生きたい。

展示を見終えた今、そう思います。

今回、広島に行くから、ついでにという気持ちで訪れた原爆ドーム。沢山の外国籍の方々をお見受けしました。音声案内を片手に、資料の英訳をゆっくり読み込む彼ら。原爆ドームが旅の目的で広島を訪れたのかな?と思うと、(他の広島の観光地より外国籍の方が多かったため予想)彼らの姿は自分も意識的に過去を、歴史を知る目的で各地を訪れる意思決定が出来るようになりたいとも思わせてくれました。

“生きる”

その定義を少し広げられた旅となりました。

○れいちゃんのInstagram


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