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生きることと、仕事をすることがなるべく一致している状態でありたいと願う。

◯皆さんはどんな23歳に戻りますか?あるいはなりたいですか?

突然ですが、皆さんに問うてみたいです。

お仕事をしている皆さん、今はお休み中だけど仕事をしたことがある皆さん。まだ仕事をしたことがないけれど、これから仕事をする皆さん。“仕事”について一瞬でもいいです。考えたことのある皆さんにお聞きしたいです。

皆さんは何の為にお仕事をしていますか?
何の為、という明確な目的が無い場合はなぜそのお仕事を選びましたか?
そのお仕事を始める前と後で、自分の人生観に何かしら変化が生まれましたか?その仕事を好きになりましたか?嫌いになりましたか?
お金の為に仕事をしていますか?それとも働いていたら、気づいたらお金を頂けていますか?
仕事。と思って仕事をしていますか?自分の愉しみの延長ですか?
あなたの仕事に“割り切る”という価値観は出てきますか?
好きなことが仕事になっていますか?それとも、好きではないけれど。嫌いなことを仕事にしない形ですか?

仕事をしたことがない皆さんは仕事を始める時、もし上記の質問をされた場合、自分はどんな答えをしそうか予想できますか?

少しでも答えを出そうと考えてくださった皆さん、ありがとうございます。
そして、まだ働いたことがない皆さん。生意気にも皆さんの答えもお聞きしようとしてしまいましたが、お聞きしておきながら正直今の私になにか参考になるような答えを出せるわけでもありません。ごめんなさい。

大学を卒業し、社会にまだ2本足でしっかりと立ち切れていない23の私。以前、ライターとして業務委託を請け負っている企業さんのslackにてこんな問いを投げかけました。

普段編集部のライターでひっそりと参加しています〇〇と申します。ライターの傍、“れいちゃんのぼっち飯”という屋号の元、マルシェでおむすびを販売したりなんてこともしています。

私はどうしても自分が興味あること、やりたいことしか続けられず、逆に興味があることであればエネルギーが切れるまで突っ走ってしまいます。
(野菜が好きすぎて、今は山形の農家さんのもとに1ヶ月住み込んでいます)

ただ、一方で経済的に自立しされているか。となると正直首を縦に振り切れません。周囲の支えてくださる方がさつまいもを10kg近く送ってくださったり、魚をくださったり。(この形はこれですごく有難いことです)“頑張っているから”と送ってくれる方やおまけをしてくれる方に助けられていますが、いつまでも甘えられるとも、これがサステナブルな形とも思いません。
経済的な不安を抱えてまで自分が好きなことをしていていいのか。そんな生き方でいいのか。自分が嫌いになりそうになる時もあります。

そこで皆さんに冒頭の問いを投げかけたいです。
⑴経済的に自立しきれずとも自分の興味を突き進む
⑵経済的に自立できているがあまり興味がないことをする
どちらの23歳に戻りますか?もちろんこの二元論では語りきれないかと思います。ライフワークとライスワークを切り分けて考えますか?やりたいことは出来なくても、やりたくないことはしないという形を取りますか?

皆さんの声を聞きたいです。私の生きるヒントにしたいです。そしてその生き方をする中で、beと do。どんな自分でありたくて、何をしていたいですか?もしよかったらDMや返信いただけたら嬉しいです。

物質的には何もお返しできませんが、牛歩ながらの活躍と楽しい記事で還元できたらなと思っています。

想像以上に沢山の方からのお返事を頂きました。

就活で(2)の興味にない道を選んで後悔をして、現在の道に辿り着くまでに遠回りをしたので⑴の興味がある道を突き進む道を選ぶという方。
妥協の道を選んだつもりではいたが、結局興味が湧いた道となる、⑵が⑴にシフトした方。
興味はないが、嫌ではない(2)の道を選びながら細く長く⑴の好きなことを辞めない道を選んだ方。

1人1人全く異なる沢山の仕事の選び方と生き方とがありました。とはいえまだまだ私、という人間の中では模索中の仕事をする、ということへの感触。今回は、先日訪れた『生きること、書くこと 相田みつを展』を訪れた際に感じたことや考えたことに触れつつ描いていければと思います。

◯生きること、書くこと。相田みつを展を訪れて。

”人間だもの”

丸みをおびた字体と、一度聞いたらなんとなく耳に残るインパクトのある響き。みつを、という少し珍しい名前。

間違いなく“書く”ことが彼にとって人生の一部だったと感じられる展示でした。「父が書を描いている時は、何とも言えぬ近づきがたい雰囲気を感じた」と息子である、相田一人氏が述べるほど相田みつを自身が書に捧げるものは大きかったのだろうと感じました。

書家として、詩人として、“生活の中にある言葉”“自分の心のうちから出た言葉”を緻密な計算の元に生み出された余白と字体で書き続けてきた人生。題名の通り、彼にとっての生きることは、書くことだったのだと感じざるを得ない空間でした。

とはいえ、書が展覧会で価値が評価され、投資をされる対象になって初めて“お金を頂く仕事”として成立する世界。書くことでしか生きられなかったと書かれた紹介文には同時に、常に生活に悩まされていたとの表記も。自分の生きるを表現しつつも、仕事としての評価されるには難しい生涯だった苦悩も垣間見える展示でした。

◯心に突き刺さる展示。『わたしは無駄に』

幾つか、今もその出だしと、何となくの全体感を思い出せる印象的な書がありました。中でも、特に印象的だったもの。

『わたしは無駄に』から始まるこちらの書。

https://pando.life/japannect/article/28104

わたしは無駄にこの世に生まれてきたのではない。
また人間として生まれてきたからには無駄にこの世を過ごしたくはない。
わたしがこの世に生まれてきたのはわたしでなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ。
それが社会的に高いか低いかそんなことは問題ではない。その仕事が何であるかを見つけ、そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに人間として生まれてきた意義と生きてゆくよろこびがあるのだ。

引用:相田みつを書

決して、販売先での評価が高かったわけではない相田みつをの書。(生活が必ずしも豊かでなかったという表記から仮説)

ただ、お金に結びつかずとも。みつをにとって文字を残すこと。生活にある言葉を、自分の心の中にある言葉を紙の上に滑らせること。これは紛れもなく『生きること』でした。

そして、彼の心の声を、あの字体で、あの余白で描けるのは彼にしかできない生き方だった。そんな彼の叫びのようなものを感じられる書でした。

◯『生きることと仕事をなるべく一致させよ』そう教えてくれた先生

人生をかけて追いかけたい自分の『生きる』理由は何か、をより手触り感を持って考えるきっかけとなった今回の展示。実は、行くきっかけとなったのはタイトルを見てとある方の一言を思い出してのことでした。

生きること、書くこと。最初に目にした時に思い出したのは、高校生の時にお世話になったとある先生の一言。大学受験で世界史を選択した私が通っていた、世界史の塾の先生の一言です。

『生きることと、仕事をすることは。可能な限り一致していないといけない』

高校生だった当時。一致するも何も、そもそも仕事をしたことがなかったので到底理解に及ぶことは出来ませんでした。しかし、それでも生徒に対して発した言葉。きっと何かしらの意味があるのだろう、と事あるごとに思い返していました。

大学生で初めてアルバイトを始めた時。身体を壊して働けなくなってしまった時。生きる意味が分からなくなってしまった時。

『午前中に何をしているか聞かれることがある(塾は言わずもがな高校の授業後の時間帯から始まるため)けれど、美術館に行って絵画や展示をしている』

『それは、世界史を教える自分にとっては、”生きている”時間なんだ』

先生にとって、世界史を教えることは仕事であり生きること。その他の時間帯に美術館に足を運ぶことも同じように生きること。

世の中的に“すごい”と言われる経営者の方々の背中を追いかけて。苦しくて息切れをして。所詮自分にしかなれない世界線に気づかずに、“すごい”人のそばにいることで自分の“すごさ”を担保したくて仕方がなかった大学生の頃。仕事をすることは“すごい”人にしがみついて、自分を必死で大きく見せる作業でした。

だけど、全く生きていませんでした。身体を壊して、肩書きも健康も何もかもが削がれた自分になった時。ボーっと過ごす日々の中で、ひたすら自分の心の声を聞く練習をしました。

その日に行きたい場所に、その日の直感で行く。なるべく先の予定は決めずに自分の声と相談してその都度、行動を変化させる。2か月以上はそれを繰り返し、自分がどんな瞬間に楽しい気持ちになるのか知ろうとしました。知ろうとしなくても、感じられる瞬間を後から振り返りました。そうするうちに気づいた『食×描く』としての生き方。

八百屋の大将に直談判でお店で働きたい旨を伝えた時。小売りの現場からだけでは見えてこない生産の現場に行くと決め、農家さんの元での住み込み生活を決意した時。文章を描くのが好きで。自費で『れいちゃんのぼっち飯』の本を製作した時。20社近くのライター募集に応募して、ライターとしてのお仕事を頂けた時。私は確かに生きていました。そして、活動の全てではないけれど、多かれ少なかれそれが仕事をすることと一致する場面がありました。

『生きることと、仕事をすることは。可能な限り一致していないといけない』

福村先生、きっとこのことですよね。

まだ社会に出たての若干23歳の私。働くこと、生きること。この先もきっと、というよりこの先の方がきっと、その方法やバランスでもがいて苦しくて。正解のない中で正解を見つけようとして。自分に自信がなくなって。その、すぐ後に謎に自信が湧いてきて不安で眠れない日が続いて。それでもどうにか進もうと、進歩はしなくても変化はしていく私。

どうか仕事に自分としての“生きる”があるか常に問うていてください。願わくば、毎回“あるよ”と。心の底からの笑顔が返ってくることを、過去の私が。見えない未来の貴方の背中を全力で押しながら願っています。

本日もお読みいただきありがとうございました。

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