▼日常▼ファジーでファンタジーなチャイルドフッドメモリー『Five Years Old Memories』【月の裏側のビデオゲーム】
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『Five Years Old Memories』は強く人に勧めたい、だけどできることなら自身の体験として多くを知らないまま触れてほしいと、同時に願いたくなる稀有な作品のひとつだ。まさに「体験」としか呼びようのない本作に漂う独自のプレイフィールは、どんな言葉をあてがおうとも説明し尽くしがたいむず痒い思いを抱かされる。
計7つのチャプターからなる本作は、それぞれに作者である小光氏が友人たちへ聞いた5歳ごろの記憶に関するインタビュー音声(小光氏の相づちや笑い声も含めた対話形式)と、その内容に基づくアニメーションで構成されている。
ほとんどの物事や秩序を自らの感覚によって捉えていた幼少期の世界。そのいたいけなダイナミズムに満ちた記憶の海へ飛び込み、現実も空想も等しく混じり合うファジーな“あのころ”に出会い直す時間が、ここには開かれている。
執筆 / ドラゴンワサビポテト
編集 / 葛西祝
各シーンではクリック、ドラッグ、スクロールにボタンの長押しといったマウス操作を通じて特定のポイントに干渉でき、その結果により何かしらの展開やインタラクションにちなんだ効果音が発生したりする。エピソードの進行にともない場面が移り変わり、音声を最後まで聞き終えると次のチャプターに移動することが可能だ。
と、このように概要を表してみたところで、『Five Years Old Memories』の核となる魅力には一切言及できていない気がしてくる。なぜなら本作には、プレイヤーが自ら手探りでインタビュイーの当時の思考をなぞり、その突拍子もなさに裏切られ、あるいは得心するプロセスの中に微細な知覚や認識の変化を見出す楽しさが詰まっているためだ。
「えっ!」「そんな~」「たはは」と膝を打って笑い転げたくなる発想の飛躍や、存外にままらなない現実とのギャップがまぶしく、その光に触れるには頭の中で一度実際に像を結んでみるのが望ましい。気がつけば、ある極私的な生の瞬間が他人事とは思えない身近さとして、あなたの内にも宿り始めているだろう。
筆者が最も親近感を覚えたのは、カラーペンなどの棒状のものを振り回し、その残像を魔法のオーラやビームに見立てていたというToma氏の話だ。人形遊びの延長で、ねじやペットボトルキャップや貝殻を冒険させていたToma少年は、壮大なファンタジーワールドの創造主となりオリジナルの魔法エフェクトを発明。おそらく「これは…!」と閃いたタイミングがどこかであったはずだが、プレイヤー自身もまた、何気なく置かれたペンをつかんで振ることでその驚きと興奮を追体験できる。
魔法をさらに強化しようとする衝動も、その工夫の成果も、すべてはToma少年の世界に残る小さくてかけがえのない思い出のかけら。現在から振り返る過去は必ずしも正確でない部分もあるかもしれないけれど、時の網目からこぼれ落ちずにすくい上げられたエピソードの数々は、やけに具体的で鮮烈な記憶ばかりだ。食事プレートに描かれたモジャモジャのキャラクターの絵、じょうろで水没させた父の革靴、曼荼羅をセルフで見る方法、微笑ましさの止めどない奔流がインタラクティブな操作性で増幅され柔らかに押し寄せてくる。
5歳ごろの記憶を本作のテーマに据えたのは、「小学校=社会」へ出る手前の時期だからこそ感じられる、幼い子どもたち独自の世界やルールに着目したためだと小光氏は話す。完全に無垢な状態から規範を学習するまでの中間の存在、「5歳ごろ」とあえて幅を持たせているあたりにもマージナルな無数の自己が広がっている。ドキュメンタリー的であり、想起によって生まれたフィクショナルな語りに身を委ねることで<私>はどこまでも溶け合い、この先ずっと忘れ得ない新たな人生のメモリーが刻まれるはずだ。
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