【小説】『桃太郎』
とある山のふもとに、「桃の里」と呼ばれる場所がありました。里の近くに、桃の木がなる森があるからです。
その里に生まれた桃太郎は、心やさしい元気な子。他の子どもたちだけでなく、森に住む動物たちともなかよく遊んでいます。
特になかよしなのは、イヌとサルとキジ。桃太郎はそれぞれ、バウ、モック、ケンと呼んでいました。
ある日の昼どき。桃太郎とお母さんは昼食を食べていました。木こりのお父さんは、毎日、朝から夕方まで、森のなかで仕事をしているので、今はいません。
「桃太郎、今日は何をするの?」
お母さんは玄米を食べながらききました。
「今日は、バウたちと一緒に鬼ごっこをしようと思ってる」
「あんまり遠くへはいかないでよ」
お母さんの心配をかき消すように、桃太郎は「うん!」と大きな声で返事をしました。
「ねえ、お母さん。鬼ごっこって、なんで鬼ごっこっていうの?」
お母さんは木の箸を置きました。
「桃太郎、悪いことをしたらどこに連れていかれる?」
「鬼ヶ島」
「そう。そこには何が住んでる?」
「鬼」
「そう。鬼はとてもおそろしい生き物なの。ひどい仕打ちをされる。そんなおそろしい鬼から逃げるのが、鬼ごっこなの」
「ふーん。鬼って、悪いやつなんだね」
桃の里では、子どもが悪さをしたときや危険なことをしたとき、大人は決まって「鬼ヶ島につれていくぞ!」と口にします。
桃の森をぬけると海に出ます。その海の向こうにうかぶのが鬼ヶ島。そこには鬼というおそろしい生き物が住んでいるのです。
「ごちそうさま! 行ってきます!」
「桃太郎! アレは持った?」
桃太郎は浴衣のそでから、印籠を取り出します。お母さんはほほえみ、「行ってらっしゃい!」と見送りました。
バウとモックとケンと一緒に遊ぶときはいつも、里の北の方にある、ため池の前で待ち合わせます。桃太郎が着いたとき、すでに三匹はため池の前で待っていました。
予定通り、みんなで鬼ごっこをすることになりました。鬼になったのはケン。羽をはためかせ、やる気まんまんです。
桃太郎は森の方へ逃げました。
「よし。ここまで来れば、きっとつかまらないぞ」
しかし、森のなかは、まるで迷路のよう。分かれ道と行き止まりの連続で、桃太郎はたちまち迷ってしまいました。
とうとう陽がしずみ、あたりは闇に包まれます。
桃太郎の胸のなかは不安でいっぱい。おなかもすいたし、のどもかわきました。森のなかはしんと静まり、どこかで鳴いているふくろうの声だけがひびきます。
あてもなく歩いていた桃太郎でしたが、途中で聞こえてきた川のせせらぎに耳をすませます。それをたよりに、川にたどりつくことができました。手で上手にすくって、のどをうるおします。
あたりを見わたすと、大きな影を見つけました。近づいて確認してみると、川に面するように大きな木の家が建っていたのです。窓があったので、家のなかをのぞいてみました。
「これは!?」
桃太郎が何かを見つけたそのときでした。
ガサガサ、ガサガサ。
草のゆれる音がしました。里のだれかでしょうか。森の動物でしょうか。
森のなかは暗いのでよく見えませんでしたが、現れたのは見知らぬ少女でした。桃太郎よりも背が低く、おかっぱ頭で、白い浴衣を着ていました。
「キミは、だれ?」
桃太郎はたずねましたが、少女は首をかしげるだけです。
「どこから来たの? どうしてここにいるの?」
どんな質問をしても、少女は何も答えませんでした。桃太郎の言っていることが分からないのか、きょとんとしているだけです。
ガサガサ、ガサガサ。
ふたたび、草のゆれる音がしました。今度こそだれかが助けにきてくれたんだと期待しましたが、浮かび上がったシルエットは人型ではありません。細く、長かったのです。
「ヘビだ!」
桃太郎は前にお父さんから聞いたことを思い出します。
「森のなかには毒を持った大きなヘビがいる。そいつにかまれたらひとたまりもない。気をつけなさい」
森の動物たちともなかよしの桃太郎ですが、毒ヘビとなると話は変わります。桃太郎は近くにあった小石を拾って、ヘビをめがけて投げました。
見事命中しましたが、そのせいでヘビははげしくおこりました。甲高いさけび声が木々をふるわせます。
「にげよう!」
桃太郎は少女の手を取り、走り出しました。それと同時に、ヘビが後から追いかけてきます。暗い森のなかをかけまわります。
短い悲鳴が上がりました。
少女が石につまずいて転んだのです。手をつないでいた桃太郎もしりもちをつきました。
ヘビは二つに割れた舌を見せ、するどい目つきでにらみつけ、ゆっくりゆっくり近づきます。
少女は桃太郎のうしろにかくれました。ぶるぶるとふるえているのを、背中ごしに感じます。
ヘビの動きは止まりません。桃太郎は少女の手をにぎり直しました。
こわくて一歩も動けなかった2人でしたが、ヘビは急に動きを止め、近くの草むらへスルスルと消えていきました。わけは分かりませんが、どうやら助かったようです。
「ふう、危なかった……」
桃太郎はひたいの汗をぬぐいます。少女はほっとした様子で、胸をなで下ろしました。そのとき2人は、おたがいに手をつないでいることに気付き、突然はずかしくなって手を放しました。
目を泳がせていた桃太郎でしたが、浴衣のすそからのぞく少女のひざにかすりきずを見つけました。
「ケガしてるじゃないか!」
桃太郎は浴衣のそでから印籠を取り出しました。そこには薬が入っているのです。けがしたところにぬると、すぐに治ると教えてくれました。
薬指で少しだけすくい、少女の足にぬってあげます。
薬がしみて、少女は顔をしかめました。しかし、すぐに効果が現れて、かすりきずは治り、少女の足は元通りになりました。
少女は顔を上げ、言葉を話しました。
しかし、桃太郎は、少女が何を言っているのか理解できませんでした。桃の里で使っている言葉ではなかったからです。
しばらく少女は何かをうったえていましたが、桃太郎は理解できませんでした。何としてでも通じ合いたいと思った桃太郎は考えました。
(そうだ! 名前だ! 名前なら、きっとどこの世界だって同じはずだ!)
桃太郎は自分の鼻を指差して、「モ、モ、タ、ロ、ウ」と言いました。
「モ、モ……?」
はじめこそ上手く言えていませんでしたが、何回かくり返すうちに少女の発音はしっかりしてきました。
「モモタロウ!」
ついに少女はちゃんと理解してくれたのです。
すると今度は、少女が自分の鼻を指差して、「キ、コ」と言いました。
「キコ?」
キコの顔はパッと明るくなり、大きくうなずきました。それから二人は、おたがいの鼻を指差して、おたがいの名前を呼び合いました。
「キコ!」
「モモタロウ!」
「キコ!」
「モモタロウ!」
何度も何度もくり返します。
名前を呼び合うたびに、2人の顔はほころんでいきます。
2人の笑顔が呼び寄せたのでしょうか。黒い雲にかくれていた月が顔を出します。森のなかに月明かりが差しこんできました。
月の光は、キコの白い肌をかがやかせるのと同時に、森の闇にかくれていた秘密を影にして、道にのばしました。
「キコ、それって……?」
今まで気付きませんでしたが、キコの頭の上に三角の形をした何かが2本、髪のなかからのぞいていました。
そう、角です。
キコもそのときになって初めて、桃太郎の頭に角がないことを知りました。
お互いが一歩ずつ、後ずさりをします。
口を小さく開けたまま、一歩ずつ。
ケーン、ケーン。
突然、頭の上から鳴き声がしました。見上げると、ケンが羽をばたつかせています。まもなくして、お父さんと里のみんなが来てくれました。
「おい! 桃太郎! 探したじゃないか!」
お父さんにしかられて、桃太郎はあやまりました。
「帰るぞ、モモタロウ」
お父さんが背中を向けました。一歩をふみ出した桃太郎でしたが、思い出したようにふり返ります。
しかし、そこにキコのすがたはありませんでした。
桃の里のいたるところで、たいまつの火が灯っていました。夜ふかしをする里のなかを、桃太郎はお父さんの背中をじっと見つめながら歩いていました。
家に帰ってから、桃太郎はお父さんにこっぴどくしかられました。いつものように「鬼ヶ島に連れていくぞ!」とおこられました。
桃太郎はうつむきます。
「お父さん、鬼って、角が2本あるんだよね」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
「ボク……鬼に会ったかもしれない」
お父さんの顔がゆがみました。これにはお母さんもだまっていられません。
「桃太郎、鬼に会ったってどういうこと?」
「森のなかで会ったんだ。角の生えた女の子に」
お父さんとお母さんは顔を見合わせました。
桃太郎は森のなかでの出来事を話しました。キコという名前の少女とのひとときを両親に聞かせました。
「……それでね、キコはお月さまみたいに明るく笑うんだ。言葉は通じなかったけど、キコとならきっと友達に……」
「だまれ!」
お父さんがどなりました。家のなかの空気がこおりつきます。桃太郎は身体をこわばらせました。
「里のみんなでおまえを探していたときのことだ。森の向こうの浜辺に船がとまっているのをだれかが見たらしい」
「船?」
「鬼だ。鬼の船だ。森に入って、また桃をぬすんでいったにちがいない。おまえはそんなやつと友達になりたいと言うのか」
桃太郎は何も言えなくなりました。ぎゅっとくちびるをかみしめます。お母さんは桃太郎の肩に手を置いて、静かに語りかけます。
「桃太郎。里のみんなは、子どもたちのことを本当に大切に思っているの。だから、もう勝手なことはよして」
「でも……」
「これ以上、お父さんや里のみんなを困らせないで。鬼と友達になりたいなんて言わないの。分かった?」
「……はい」
返事はしたものの、桃太郎は納得したわけではありませんでした。
父親にしかられたからといって、モモタロウの好奇心は消えません。もう一度、キコに会ってみたい。鬼のことをもっと知りたい。その気持ちは日に日に大きくなっていきました。
数日後のよく晴れた日の朝、桃太郎はため池の前にいました。
桃太郎は近くに生えている笹をぬき取りました。慣れた手つきでつくったのは、笹船です。ため池にそっと浮かべます。木の枝で水面をたたき、小さな流れをつくると、笹船はゆっくりと動き始めました。
まもなくして、バウとモックとケンが現れました。あいさつもせず、桃太郎は小さな声で自分の決意を語りました。
「ボク……鬼ヶ島へ行く」
三匹は目をまんまるにさせて、口をあんぐり開けました。おどろきすぎて、鳴き声ひとつ出せません。
桃太郎は森でのことを話しました。そして、この前お父さんに言われたことも話しました。
「もう一度キコに会いたいんだ。きっと友達になれるはずなんだ。言葉は通じなかったけど、きっと何か方法はある。それに……」
桃太郎はふりかえって、ため池の方を見ました。のぼり始めた陽の光が反射して、きらめいています。
「ボクは、鬼は悪いやつじゃないと思うんだ。キコは悪いやつと思えなかったから。でも、分からない。お父さんの言うように、もしかしたら本当に桃をぬすんでいったのかもしれない。分からない。だから、鬼ヶ島に行って、確かめたいんだ」
桃太郎の熱い思いが届いたのか、三匹は協力してくれるそうです。
「みんなに見せたいものがあるんだ! 一緒に来て!」
桃太郎が三匹を連れてやってきたのは、森のなかにある、あの木の家でした。窓をのぞいて、だれもいないことを確認すると、桃太郎はとびらを開けました。なかをのぞいた三匹はびっくりぎょうてん。
そこには5隻の船があったのです。
桃太郎があの夜に見たものは、船だったのです。
「これで、鬼ヶ島に行こうと思う」
みんなで力を合わせて、小屋から船を出し、川にうかべました。桃太郎とバウとモックは船に乗り、空を飛べるケンは先導係になりました。
「このままこの川を下れば、海に出る。みんな! 準備はいいかい?」
三匹がそれぞれ声を上げます。
「さあ! 出発だ!」
冒険の始まりです。
きれいな青空の下、桃太郎たちを乗せた船が海をわたります。
船をこぎながら、桃太郎は考えごとをしていました。
キコのことです。
キコは、普通の人間のような見た目でした。髪もあったし、浴衣を着ていました。違いといえば、使う言葉と、角が生えていたこと。
キコは本当に鬼なのでしょうか?
そもそも、キコが本当に鬼だとしたら、どうして森にいたのでしょう。鬼が住んでいるのは鬼ヶ島。森へ行くためには、今の桃太郎たちのように海をわたらなければいけません。
桃太郎はお父さんから聞いた話を思い出します。
里のだれかが、浜辺にとまっている鬼の船を見たそうです。それが正しいなら、キコはあの船に乗ってやってきたのでしょうか? 帰りもあの船に乗って、帰っていったのでしょうか? 無事に、鬼ヶ島へ帰れたのでしょうか?
ケーン! ケーン!
ケンの鳴き声に、桃太郎はわれに返りました。
「ケン、どうした?……あっ!鬼ヶ島だ!」
そうです。海の向こうにポツンとうかぶ島が見えたのです。鬼ヶ島にちがいありません。
ケーン! ケーン!
「よーし! もうすぐだ! がんばるぞ!」
桃太郎とモックはさらに力を入れて櫂をこぎました。
ケーン! ケーン!
ケンの声がやみません。
「分かったから、そんなさわぐなって」
ケーン! ケーン!
桃太郎は何かがおかしいと思いました。今までに聞いたことのないケンの声だと気付きました。何かをおそれているような、はりつめた声です。
次の瞬間、船が大きくゆれます。
モモタロウとモックはこぐ手を止めました。
まるで海そのものがゆれているようです。
ゆれは止まらず、船はひっくり返り、桃太郎たちは海に放り投げられました。空を飛べるケンは、羽をつかって桃太郎たちを助けようとしますが、力が弱いので引き上げられません。
ゆれは大きくなり、ついにバウとモックが波に飲まれてしまいました。
桃太郎はふんばりますが、どうすることもできませんでした。ふとふりかえると、巨大な波がおそってきました。
桃太郎もケンも、その波に飲まれてしまいました。
そのころ、突然の地震におそわれた桃の里では、さわぎになっていました。
里の家は木やわらでできているので、ゆれにたえられず、くずれてしまった家も少なくありません。たいまつ台もたおれていました。
里のみんなは家族がちゃんと全員そろっているのか、確認し合っています。
「オレたちの家族は大丈夫だ!」
「こっちもみんないる!」
「子どもたちは無事か!?」
まもなくして、みんなの無事を確認できました。しかし、ただ一人、行方の分からない者がいたのです。
桃太郎です。
桃太郎のすがただけが見つかっていないのです。
里のみんなは森のなかを探していました。先頭を歩くのはお父さん。何も言わず、難しい顔をしています。
お母さんや他のみんなは、首を右に左に振りながら、「桃太郎!桃太郎!」とくりかえし名前を呼びました。しかし、返事はありません。
「あの子、どこ行ってしまったのかしら」
お母さんが悲しい表情でぽつりと言いました。すると、おとうさんが急に立ち止まりました。
「……鬼に、さらわれたのかもしれない」
お父さんの言葉に、里のみんなが静まりました。川のせせらぎが聞こえてきます。
「この前、鬼の船が来たのは、里のだれかをさらうための下見に来ていたんだ。キコとかいう鬼のむすめにたぶらかされて、桃太郎は鬼にさらわれたんだ。だから、オレは……」
お父さんがふり返りました。
「鬼ヶ島へ行く」
里のみんなの開いた口がふさがりません。まばたきするのも忘れて、石のように固まっています。
「でも、あなた。どうやって行くの?」
お父さんは身体の向きを変え、川の流れてくる方を指差しました。その先にあるものを見て、斧を持った若い者がききました。
「おやっさん、あの木の家は何ですかい?」
「船小屋だ」
里のみんながざわざわし始めました。
「オレはひそかに船をつくっていた。いつかこんな日が来ると思っていたんだ。最近は特に鬼の悪さが目立つ。桃の森を守るためにも、早く鬼を退治する必要があった。そのためには、船をつくらなければいけなかった」
ガサガサ、ガサガサ。
「だれだ!?」
若い男がさけびました。ゆれた草の向こうから現れたのはヘビでした。桃太郎をおそった、例のヘビです。あの夜と同じように、するどい目つきで人間たちをにらみつけています。
「毒ヘビです! 退治します!」
若い男が斧をふり上げましたが、お父さんは「待て」と言いました。
「そこの草むらにはそいつの根城がある。この前来たとき、卵を産んでいた。きっと今は、そいつもだれかの親だ」
「し、しかし、毒ヘビですよ!」
「子どもを守りたいだけだ。下手に攻撃しなければ、かまれる心配もないだろ。子どもを思う気持ちは、人間も動物も同じだよ」
お父さんの言葉に、若い男は斧を下しました。
「みんな聞いてくれ! 桃太郎は鬼にさらわれた! オレは自分の息子を命がけで守りたい! わが子のために、力を貸してくれる者がいるのなら、共に船に乗ってほしい! 共に鬼退治をしてほしい!」
お父さんの熱い言葉に、里のみんなは胸を打たれました。
「よし! みんな! 鬼ヶ島に行くぞ!」
里のみんなは、一度里に帰って武器を準備する人と、船の準備をする人とに別れました。
お父さんは船小屋のとびらを開けます。なかに入り、さっそく準備に取りかかりました。そのとき、船が1隻ないことに気付きました。
桃太郎は目を覚ましました。
オレンジの空に夕暮れ雲がうかんでいます。風に乗って、波の音が耳に届きます。
服がぬれていることに気付き、桃太郎は思い出しました。突然船がゆれ出し、大きな波に飲まれたのです。
「みんな!」
桃太郎はガバッと起き上がりました。全身に痛みが走ります。
あんなに荒れていた波はおだやかになっていて、砂浜に寄せては返していました。西陽を反射して、まぶしくきらめいています。
波打ち際に何かの影を見つけました。痛む身体をふるい立たせて、そばへかけ寄ります。
「バウ!」
桃太郎はバウの身体をゆすりました。はじめは反応がなかったのであせりましたが、まばたきをしたのを見て安心しました。
そのあと、あたりを散策していると、モックとケンも見つかりました。意識がない状態でしたが、桃太郎が身体をゆすると、二匹とも目を覚ましました。
「一時はどうなるかと思ったけど、どうにか鬼ヶ島にたどり着いたみたいだよ」
見上げると、大きな岩のかべが立ちはだかっています。ものものしい雰囲気がただよう光景に、桃太郎たちは息を飲みました。
島のなかへ入れそうな場所を探していると、岩のかべに大きなあなを見つけました。あなのなかへ風が吹き込んでいます。
「よし! みんな、行くよ!」
どうくつをぬけると、目の前には見たことのない景色が広がっていました。
美しい田んぼにあぜ道がのびています。色とりどりの花が咲き、小鳥のさえずりが聞こえてきました。
「きれいな場所だ。ここは本当に、鬼ヶ島なのかな……」
桃太郎たちはまわりの景色を見わたしながら、ゆっくりと歩いてきました。
目の前に気配を感じます。バウがほえました。
桃太郎の前に、青鬼がいたのです。強く固そうな角が二本、頭から生えていました。右手には金棒を持っています。
おそろしい顔で何か言われましたが、桃太郎は理解できませんでした。
青鬼は大きな声でさけびました。
鬼がどんどん集まってきます。赤鬼、黄色い鬼、緑鬼。あっという間に桃太郎たちを囲んでしまいました。
「ボクは桃の里の桃太郎! あやしいものじゃないんです! 話がしたいだけなんです!」
桃太郎がいくら説明しても、言葉の通じない鬼たちは理解してくれません。金棒をひきずりながら、青鬼が近づいてきます。
「モモタロウ!」
聞き覚えのある声のした方を見ると、そこに立っていたのはキコでした。
「キコ!」
「モモタロウ!モモタロウ!」
キコは何度も名前を読んでくれました。
キコが他の鬼たちに説明してくれたおかげで、桃太郎たちは難をのがれました。鬼たちは納得していない様子でしたが、元いた場所へ戻っていきました。
キコは桃太郎のそばにかけ寄ってきます。
「モモタロウ! ワタシ、ニンゲン、コトバ、スコシ、オボエタヨ」
「本当だ! すごい!」
「マタアエタ、ウレシイ」
「ボクもまた会えてうれしい!」
キコの後ろから、だれかがゆっくりと歩み寄ってきます。背中の曲がった、黒い鬼でした。髪とひげが白く、おじいちゃん鬼のようです。
「人間の子どもか……ついてきなさい」
桃太郎たちはおそるおそる、黒鬼の後についていきました。
桃太郎たちが案内されたのは、鬼ヶ島で一番立派なお屋敷。黒鬼の住んでいる家です。
バウたち三匹は、お屋敷の外で待つことになりました。はじめは少し不安そうでしたが、鬼の子どもたちになつかれて、一緒に遊ぶことになりました。
桃太郎はとても広い部屋に通されました。部屋に入った瞬間、かべにそって座っていた鬼たちににらみつけられました。
桃太郎はたたみの上に正座しました。その前に黒鬼が座りこみ、あぐらをかきます。そばには小さな机が置かれ、その上には湯呑がふたつ並んでいました。
「おいしい水だ。せっかくだから飲みなさい」
桃太郎はお礼を言って、湯呑に手をのばしました。それはとても固く、つるつるとした手ざわりで、黒く光っていました。
水を飲んで、少し緊張がほぐれた気がします。
「わしはライデン。この鬼ヶ島のおさだ。キミは名前をなんという」
「モモタロウ!」
横にいるキコが叫びました。桃太郎は少し照れながら、自分でも名乗りました。
「ライデンさんは人間の言葉が分かるんですね」
「わしだけじゃない。ここにいる鬼たちも理解している。民の上に立つ者はあらゆる知恵が必要だからな。それはともかく……」
ライデンはせきばらいをはさんでから言いました。
「どうしてこの地へ来た?」
「それは……キコに会いたかったからです」
部屋にいる鬼たちが、一斉にキコの方を見ました。キコは目を丸くしたあと、はずかしそうに下を向きました。
「それと、確かめたかったからです。鬼ヶ島とはどんな場所か。本当に鬼は悪者なのか」
「ほう……」
ライデンはあごをさすりました。
「ボクは桃の里という場所で生まれました。里のみんなは、鬼は悪いやつだっていうんです。だから、ボクもそう思っていました。キコに出会うまでは」
桃太郎はキコの方をちらりと見ました。
「少し前に、森のなかで会ったんです。言葉は通じなかったけれど、お互いに名前だけは分かって、それだけで分かり合えた気がして、楽しかったんです。そのときボクは思いました。鬼は悪者なんかじゃない。きっと、もっとなかよくなれるんだって。でも……」
「でも?」
「あの夜、里のだれかが見たって言うんです。桃の森の近くの浜辺にとまっていた鬼の船を。きっと桃をうばいにきたにちがいないって言うんです」
ライデンの表情は変わりません。桃太郎の話をだまって聞いています。
「だけど……どうしても信じられなくて。キコみたいに、鬼はやさしい生き物のはずだって思って、桃をうばうとか考えられなくて……だから、確かめにきたんです」
しばらく沈黙が続きました。その間、桃太郎はライデンの目をじっと見つめていました。そのまなざしに誠意を感じたライデンは何かに納得した様子で、昔話を語り始めました。
「かつて、鬼と人間は共に生きていた。鬼ヶ島でしか作れない鉄を桃の里に、桃の森でしか取れない桃を鬼ヶ島に。そんな風にして、貿易をしていたんだ。それだけじゃない。年に一度、桃の里で祭りが開かれ、大人たちは共に酒を飲み、子どもたちは共に遊んだ」
「楽しそうだね。でも、そんなお祭り、今はないよ。どうしてなくなっちゃったの?」
ライデンの顔がこわくなりました。
「鬼の子どもが、人間の子どもにいじめられたことが原因だった。角があるから。肌の色が違うから。人間の言葉がうまくしゃべれないから。そんな理由で、鬼の子どもはなぐられ、けられ、仲間はずれにされたんだ」
桃太郎は視線をそっと落としました。
「しかし、鬼の子どもはやられっぱなしじゃなかった。戦ったんだ。木の棒を武器にして、立ち向かったんだ。結果、そのいじめっこは死んでしまった」
「そんな……」
「そのあと、鬼と人間はいくさを始めた。おたがいが自分たちの子どもを守るために、自分たちの生活を守るために、自分たちの正義を守るために、戦ったんだ」
桃太郎はライデンが目をつむって話していることに気付きました。ライデンの顔はどんどん険しくなっていきます。
「いくさが終わると、鬼と人間は共に生きることをやめた。それぞれの生まれた場所で生きていくことにした。われわれ鬼たちは生活に困ることはなかったが、どうしてもつくれないものがあった」
「どうしてもつくれないもの?」
「薬だよ」
ライデンのしぶい声が部屋にひびきます。
「桃太郎。桃が薬になることは知っているな?」
桃太郎はうなずきました。
幼いころから、お父さんやお母さんから言われてきたことです。里のみんなが桃を大事にしているのは、病気を治す薬になるからです。
桃太郎は外へ出かけるとき、お父さんがくれた印籠に、桃をすりつぶしてつくった薬を入れて、持ち歩くようにしていました。
「鬼も病気になる。薬がなければ、そのまま死んでしまう。だから、どうしても桃が必要だったんだ。だから、薬が足りなくなったら、海をわたり、森に入り、桃を取って帰ってくる」
「じゃあ、あの夜も?」
「ああ、そうだ。人間の目には、鬼が桃をうばっているように映ったのだろうな。しかし、わしらも生きなければいけない。仕方がないことなんだよ」
重たい空気になりました。桃太郎も、ライデンも、キコも、他の鬼たちも、肩を落として、床を見つめていました。
「ライデンさん。ボクたちは知らないことばかりだった。それなのに知ろうともせずに勝手に鬼は悪者だって決めつけていたんだ……ごめんなさい!」
桃太郎は深く頭を下げました。
「頭を上げなさい」
言われた通りに頭を上げると、ライデンはやわらかくほほえんでいました。
「人間の子どもが来たと聞いたときは、またいくさでも始まるのかと思った。直前に、島が大きくゆれたからな。何かよからぬことが起こるとおそれていた。だが、どうやら思い過ごしだったようだ。キミのような人間に出会えて、とてもうれしく思う」
「ウレシイ! ウレシイ!」
キコがはしゃぎます。
「桃太郎、今夜はゆっくりしていきなさい。ごちそうをふるまおう」
夜のうたげは、酒場にある広い部屋で行われました。鬼ヶ島に住む鬼たちが一つ屋根の下に集まります。
机の上には、ごちそうが並んでいます。白いごはんに、焼き魚。つけ物に、お吸い物。野菜や天ぷらもあります。
「いただきます!」
ほっぺたがおちるほど、どの料理もおいしく、箸を持つ手は止まりません。
「桃太郎、いい食いっぷりだな」
となりに座る緑鬼が話しかけてきました。
「鬼ヶ島の箸って、固いんだね。ボクたちが使っているのは木でできているから、たまに折れちゃうんだ」
「この箸は鉄でできてるからな」
「ライデンさんも言っていたけど、鉄って何なの?」
「なんだ知らないのか。鉄は金属のひとつだよ。とにかく固いんだ」
「へえ。鉄はどこにあるの?」
「鬼ヶ島の山の上の方に、たたら場ってあってな。そこでつくっているんだ。箸も、湯呑も、金棒も、船も、全部鉄でできているんだぜ」
そのとき、桃太郎ははっとしました。
あわてて浴衣のそでをさぐりました。印籠を手にしたとき、あることに気が付きました。
「あれ……」
「ん?どうした?」
「いや……このなかに薬が入っていたんだけど、波に飲まれたとき、ふたがとれて流されてしまったみたい」
「大事な薬なのに、それはもったいないなあ……ん? おい、それ見せてみろ」
桃太郎は緑鬼に印籠をわたしました。
「やっぱり、そうだよね。今思ったんだ。この印籠も鉄でできているんじゃないかって」
「ああ、そのとおりだぜ。こいつは鉄だ。この島でつくったものだ。それにしても、かなり古い……」
「ライデンさんが言っていたように、昔は鬼とボクたちはなかよしだった。きっとそのころに鬼からもらったんだよ」
「でもよ、人間と貿易をしていたのは、はるか昔。今でも残っているなんてことがありえるのか?」
「その印籠はお父さんからもらったものなんだ。お父さんはおじいちゃんからもらったんじゃないかな。そんな風に、長いあいだ、大切に使ってきたんだと思う」
「人間は真面目だな。真面目なのに、どうして鬼をきらうんだ? そんなに鬼がにくいのか?」
「それは……」
「答えなくていいよ」
緑鬼は印籠を桃太郎に返しました。お酒のせいでほっぺは赤くなっていますが、緑鬼の表情は真剣そのものでした。
「でもな、桃太郎」
「うん」
「一緒に生きていく方が、おたがいにしあわせになれるんじゃないかな」
「……ボクもそう思う」
桃太郎は身体の向きを変えました。力強いまなざしで、緑鬼の顔を見上げました。
「だからさ、いろんなこと、知りたいんだ。いろんなこと、ボクに教えてよ!」
緑鬼はにやりと笑い、桃太郎の頭を乱暴になでました。髪がくしゃくしゃになります。
「よし!なんでも聞け!知りたいことがあったらなんでも聞いていけ!」
そう言って、緑鬼は高笑いしました。
真夜中になって桃太郎は目覚めました。
目をこすりながら、ゆっくりと起き上がります。となりにはバウとモックとケンがすやすやと眠っています。楽しい夢でも見ているのでしょうか、みんな気持ちよさそうな顔をしていました。
ごちそうをたらふく食べ、鬼たちとたくさんしゃべり、そのまま眠ってしまったのでした。
あたりを見わたします。うたげが開かれた部屋ではありません。客室のような部屋で寝かされていたようです。
桃太郎はふと思い立って、外へ出てみました。目の前には海があり、ふりかえってみると山がそびえていました。
しばらく散歩していると、村のはずれに大きな岩がありました。その上に、小さな影を見つけます。
「モモタロウ!」
声を聞いてすぐに分かります。小さな影の正体はキコでした。桃太郎も大きな岩の上にのぼり、キコのとなりに座りました。
「こんなところで何してるの?」
「ワタシ、オツキサマ、スキ」
キコは見上げました。そこには銀色にかがやく月がうかんでいました。
「ネガイゴト、カナエテクレル」
「願いごと? 本当に?」
キコは首をたてにふります。
「オカアサン、ビョウキ、ナオッタ」
キコはあの夜のことを話してくれました。
前の満月の夜、キコのお母さんがたおれたのです。せきが止まらず、高い熱にうかされていました。お医者さんは、はたらきすぎて体調をくずしたんだと診断しました。
その夜、キコは眠れませんでした。そっと家をぬけ出して、大きな岩の上に来たのです。お母さんが元気になるように、満月に祈ったのです。
そのころ、鬼ヶ島では深刻な薬不足におちいっていたので、森へ行って桃を取りにいく必要がありました。
数日後、ライデンの命令で、若い鬼たちが海をわたったのですが、そのとき、キコもかくれて船に乗ったのです。自分のお母さんの病気を治すため、いてもたってもいられなくなり、船に乗ったのです。
海の上でキコの存在に気付いた若い鬼たちは困りましたが、後にはひけず、そのまま連れていくことにしました。
浜辺に着くと、若い鬼たちは、船から出ないで待っているようにキコに命令しました。しかし、キコはがまんできませんでした。ここまで来てただ待っているだけにはいきません。若い鬼たちが森のなかへ入っていった後、キコは船を出てしまったのです。桃を探しにいったのです。
はりきって飛び出したのはいいものの、キコは道に迷ってしまいました。不安におしつぶされそうななか、あてもなく歩いていると、その先に桃太郎がいたのです。
桃太郎はキコのかすりきずを一瞬で治す薬を持っていました。その効果を目の当たりにしたとき、これでお母さんの病気を治せると思いました。
私にも分けてほしい。
キコはそれを言葉にしましたが、桃太郎には通じませんでした。
でも、桃太郎と過ごしたひとときは、とても楽しかったのです。名前を呼び合うことしかできなかったけれど、とても楽しかったのです。
「そうだったんだね。あのあとは、ちゃんと帰れたの?」
「ウン。ミンナガ、ミツケテ、クレタ」
「よかった。急にいなくなったから心配したんだよ」
「ゴメン、ナサイ」
「無事ならそれでいいんだ。それで、キコのお母さんの病気は治ったの?」
キコは三回も首をたてにふりました。若い鬼たちが持ち帰った桃を薬にして、お母さんの体調は回復したのです。
「そうか。本当に願いごとが叶ったんだね」
「ウン。モモタロウ、ネガイゴト、ナニ?」
桃太郎は夜空をあおいで、目を細めます。大きな満月の光のなかで、夢をつぶやきました。
「いつか、里のみんなと鬼たちで楽しく暮らしたいな」
桃太郎の言葉を聞いて、キコが笑顔になりました。この世のきれいなものが全部つまったような、そんな笑顔になりました。
「ワタシモ、クラシタイ」
キコは月に向かって手を合わせ、目をつぶりました。桃太郎もそれにならいました。心のなかで、もう一度、夢をつぶやきました。
そのときです。
カン!カン!カン!カン!
遠くの方から鐘の音がしました。すぐに島全体がさわがしくなります。ただ事ではない様子です。
桃太郎とキコは不安そうに顔を見合わせました。
「行ってみよう!」
2人は走り出しました。
鬼ヶ島は混乱していました。里のみんなが鬼ヶ島にやってきたのです。鬼退治にやってきたのです。里のみんなは斧を、鬼たちは金棒を武器にして戦っています。
「どうしてみんながここにいるんだ……どうして鬼と戦っているんだ……」
「ワカラナイ。ワタシ、コワい」
キコが桃太郎の浴衣のそでをつかみました。
あたりを見わたすと、近くに動物たちのすがたを見つけました。三匹も、外のさわがしさに起こされてやってきたのです。
バウはたおれている鬼のきずをなめて、なぐさめていました。モックは、ケンが運んできた長い木の葉を包帯にして、血を止めています。
「一体全体どうなってるんだ……」
三匹も悲しそうな顔をしました。
「進め!」
その一声に、里の人間が前進しました。指揮を取っている人物を目にして、桃太郎は息がつまりました。
「お父さん……?」
何が起こっているのか、ますます分からなくなってしまいました。
桃太郎たちのいるすぐそばで、鬼たちが何かを準備しています。細長い筒状のもので、持ち手が少し曲がっています。
鉄砲です。
鬼たちは弾をつめこみ、ねらいをさだめて撃ちました。大きな音がしたかと思えば、遠くの方から、うめき声が聞こえてきました。
鉄砲使いの鬼は、次々と弾をこめては撃っていきました。このままでは里のみんながやられてしまいます。どうにかして戦いを止めなければいけません。
桃太郎は走り出しました。鬼と人間のあいだに割って入ります。
「みんな!やめてよ!」
桃太郎のすがたを目にして、里の人間の動きが止まりました。鬼たちも同じように止まり、鬼ヶ島は夜の静けさを取りもどしました。
「桃太郎! 大丈夫か? ケガはないか?」
お父さんがあわてて前に出てきました。
「ボクは大丈夫だよ。それより何してるの? なんで鬼と戦っているの?」
「……おまえを守るためだ」
鬼たちをにらみながら、お父さんは答えました。
「キミは鬼にさらわれたんだろう? 悪い鬼をたおすために、キミのお父さんが鬼退治しようと声を上げたんだ!」
斧を持った若い男がさけびました。右肩をケガしています。
「ボクは自分で鬼ヶ島に来たんだ! キコと友達になるために!」
桃太郎をはじめ、里のみんなは言葉を失いました。冷たい風がすりぬけていきます。黒い雲が満月をよごしていきます。
「人間たちを向かい打て!」
「桃太郎はおとりだったんだ! ためらうな!」
鬼の群れから、そんな声が聞こえてきます。桃太郎はふり返り、あわててさけびました。
「違う! ボクはそんなことしないよ!」
少し前まで一緒にうたげを楽しんだというのに、どうして対立しなければいけないのでしょう。桃太郎の説得もむなしく、鬼のうたがいは晴れません。銃口は桃太郎に向けられました。
ダンッ!
大きな音がしたとき、桃太郎は地面にたおれこんでいました。キコが体当たりしてきたからです。そのおかげで弾をよけることができましたが、キコのおなかに命中してしまいました。
「キコ!」
桃太郎はキコのそばへかけ寄りました。浴衣のおなかのあたりがぬれています。地面に青い血が流れ落ちていきます。
「そんな……キコ!しっかりして!」
息はありますが、痛みで顔はゆがみ、ぐったりしています。
桃太郎は印籠を取り出そうとしました。しかし、薬がなくなってしまったことを思い出しました。こぶしを地面にたたきつけ、くちびるをかみしめます。
桃太郎はふり返りました。
「お父さん!桃をちょうだい!キコを助けたいんだ!」
「鬼のむすめにやるものか。桃太郎、早くこっちへ来い!」
「どうしてだよ!どうして助けてくれないんだ!」
「鬼はおそろしい生き物だ。退治する必要が……」
「ちがう!」
お父さんの言葉をさえぎります。
「ボクはここに来て知ったんだ。鬼はやさしい生き物だって。みんなは鬼を悪者だって言っていたけど、全然そんなことない。たいして知りもしないくせに、悪いうわさだけ流して、なんでこばもうとするんだよ!」
桃太郎のさけびが、こだまします。
「ボクは思うよ。この世界に悪い鬼がいるとしたら、それはみんなの心のなかにいるって。知らずぎらいしたり、人と違うことをバカにしたり、うそをついたり、自分のことばかり考えたり……退治するべきなのは、そういう悪い気持ちなんだ!」
お父さんが目をそらしました。里のみんなも、視線を泳がせます。
「おねがいだよ! 桃をわたしてくれよ! このままだと、キコが死んじゃう!」
桃太郎は泣きながら、うったえました。
しかし、里の人間はしぶっています。
本当に桃をわたしていいものか。
鬼の子どもを救っていいものか。
鬼と共に生きるなんてできることなのか。
いくつもの迷いが、みんなの頭のなかにめぐっているのです。
そのときでした。
まぶしい光が差しこみました。
水平線の向こうから白い太陽が顔を出し、新しい日の始まりを告げたのです。
海はきらめき、空はかがやき、島は静けさに包まれました。
人間も、鬼も、動物も、鬼ヶ島にいる全ての者が、えもいえぬ美しさを目にしたのです。
足音が聞こえてきます。
「お父さん……」
「船小屋に船が1隻ないことに気付いたとき、もしかしたら桃太郎が自分で鬼ヶ島に向かったのではないか。その可能性が頭をよぎった。でも、すぐに考えないことにした」
お父さんの肩がふるえています。
「鬼の仕業にちがいない、そう思ってしまったからだ。ろくに確かめもせず、鬼退治しようと思ってしまった」
朝日がのぼっていきます。空も、島も、みんなの心も、白い光が照らしていきます。
「でも、目が覚めたよ。みんな同じ空の下にいる。たとえ違いはあっても、命に間違いはない。気付かせてくれてありがとな、桃太郎」
お父さんは右手を差し出しました。その手には、桃がありました。桃太郎の顔がぱっと明るくなりました。
「お父さん、ありがとう!」
桃太郎はお父さんから受け取った桃を、近くにいた鬼にたのんで、金棒で割ってもらいました。粉々になった桃のカケラをひとつつまんで、キコの口に入れます。
「キコ……起きてよ……」
まもなくして、キコはゆっくりと目を開けました。何度かまばたきをして、桃太郎の顔を見ると、にっこりと笑ったのでした。
「マタ、タスケテ、クレタ。アリガトウ、モモタロウ」
桃太郎は少し照れて、ほっぺをポリポリ。その様子に、鬼も里のみんなも顔がほころびました。
「桃太郎」
お父さんはしゃがんで、両手を桃太郎の肩に置きました。
「一つだけ分かってほしい。お父さんはおまえが心配で、ただ守りたかっただけなんだ。だから、こんなことを……」
「それくらい、分かってるよ」
桃太郎は得意顔になって答えます。
「だって、お父さんは、いつもボクのことを一番に考えてくれるじゃん。もしものときのために薬を持たせてくれるし、毒ヘビのことを教えてくれたし、今日、ボクを見つけたとき、『大丈夫か? ケガはないか?』って心配してくれた」
お父さんははっとしました。今までの日々が、頭のなかをかけめぐります。
「最初はどうして鬼と戦っているのか分からなかったけど、今なら分かる。全部、ボクのためだったんだよね」
「ああ……そうだ……」
おとうさんの声がふるえます。
「それくらい分かるよ。ボクはお父さんの子どもだもん」
お父さんの目が開かれました。それが合図だったかのように、涙があふれてきました。そして、桃太郎を抱きしめました。強く、強く、抱きしめました。
鬼の群れからひとりの鬼がやってきました。ライデンです。お父さんの前まで来て、手を差し出しました。
お父さんは立ち上がり、その手をにぎりました。
「共に、生きよう」
桃太郎のおかげで、人間と鬼がなかなおりをすることができました。桃の里、鬼ヶ島、それぞれの生活に新しい風がふき始めたのです。
共に豊かになっていくため、また貿易をすることにしました。鬼ヶ島からは白米や鉄を、桃の里からは木材や桃を輸出します。
また、和解のしるしに、鬼ヶ島にも桃の木を植えることにしました。森に生えている桃の木を何本か、鬼ヶ島に移したのです。果実が実れば、鬼ヶ島で病人が出たときに、すぐに治せるようになります。
3年後、鬼ヶ島に桃の花が咲きました。
そのお祝いに、鬼ヶ島で春のうたげを開くことになりました。桃の里の人たちも、森の動物たちも、みんなで鬼ヶ島に集まります。
春のうたげは大盛り上がり。
広場につくられた舞台の上では、おどりをおどったり、歌をうたったり、様々な見せ物が披露されました。
酒場では、大人たちがさかずきを交わし合い、顔を赤くしています。
砂浜の方では、子どもたちが水遊びをしています。
桃太郎とキコのふたりは、村のはずれの大きな岩の上に座り、青空を見上げていました。
「みんな楽しそうだね」
「うん。桃太郎のおかげだよ。ありがとう」
桃太郎は首をふりました。
「違うよ。キコのおかげだよ」
「どうして?」
「あの夜、森でキコに出会わなければ何も始まらなかったし、ここで願いごとを叶える方法を教えてくれたから、みんな仲良くなれたんだ」
キコの視線に気づきます。その目は少し光っていました。桃太郎はキコの手をにぎり、快晴のような笑顔で言いました。
「これからもずっと 一緒だ。生き合っていこう」
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