関東大震災後の惨劇を描いた『桃太郎』
まず、この作品が発表されたのはいつかというと1924年です。言い換えると、1923年から一年後のことです。さらに言い換えると、関東大震災から一年後のことです。関東大震災の直後に綴られた作品であることをふまえてもう一度見つめ直してみると、非常に興味深いものがみえてきます。
【#167】20211214
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。
今回は、「芥川龍之介の『桃太郎』は関東大震災後の惨劇を描いていたのかもしれない」というテーマで話していこうと思います。
前回に引き続き、芥川龍之介の『桃太郎』についてですので、未読の方は、是非、そちらを先にお読みください!
☆「地震学」に通じた雉?
今回のテーマを聞いてなんのこっちゃ?って思われた方、少なくないと思いますが、ゆっくり丁寧にみていきます。
まず、この作品が発表されたのはいつかというと1924年です。言い換えると、1923年から一年後のことです。さらに言い換えると、関東大震災から一年後のことです。
関東大震災の直後に綴られた作品であることをふまえてもう一度見つめ直してみると、非常に興味深いものがみえてきます。
まず、注目してほしいのは、犬、猿、雉の登場シーン。昨日の記事でも引用しましたが、まあまあ仲が悪い様子が描かれています。その説明で、雉はどんな風に書かれていましたか?
「地震学などにも通じた雉」と書かれていました。
もしかしたら昨日読まれた方で、「ん?」と思われた方いらっしゃったかもしれません。そうなんですよ。一応、「雉が泣いたら地震が起こる」みたいな俗説はあるらしいんですが、それでもわざわざそれを説明する必要がありますか? 後の展開でも全く描かれませんし、無駄な設定のような気がしてきますよね。
でも、この「地震学」というワードが重要なんです。
もうお分かりですね。芥川は「地震学」という言葉で、読者に関東大震災を意識させようとしたと考えられるのです。関東大震災から一年後、いや一年経たずいて作られたことからもこの可能性は大いにあります。
しかし、みなさんの頭の中にまた新たな「?」が生まれますよね。
なんで、関東大震災を意識させることにこだわったのか?
☆関東大震災後の惨劇
この『桃太郎』では、後半で桃太郎が鬼退治をするシーンがありますが、かなり惨い様子が描かれています。引用しますね。
犬はただ一噛みに鬼の若者をかみ殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人間と親類同士の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱を恣にした。
(引用:芥川龍之介『桃太郎』)
絶句しますよね。かなりはちゃめちゃにやってます。その結果、それまでは美しい楽土であった鬼ヶ島でしたが、そこら中に鬼の死骸が転がることになったのでした。
この惨劇は、その後起こり得る戦争の惨劇を示しており、芥川はそれを見越して、軍国主義を風刺する物語を書きたかったのではないか、故に反軍国主義の『桃太郎』とされているのですが、実は少し別の側面があるとも言われています。
ここで話が戻ってきますが、それが「関東大震災後の惨劇」を描いたのではないか、と考えられているのです。
ここで注意してほしいのが、「関東大震災の惨劇」ではなく「関東大震災後の惨劇」ということです。
関東大震災は東京をはじめ、多くの人が亡くなり、壊滅的な被害を受けましたが、その直後の人災によってさらなる犠牲が生まれました。震災の混乱に乗じて、とんでもない噂が飛び交ったのです。
「社会主義者と朝鮮人が暴動をおこし、各地で放火暴行、井戸に毒を入れている」
もちろん、デタラメです。完全なるデマです。しかし、地震のせいで街も人の頭の中も混乱していますから、人々はそれを鵜呑みにしたんですね。
その結果、朝鮮人の大量虐殺が起こりました。社会主義者の弾圧も起こりました。自警団と呼ばれる民間の組織が次々と人を殺していったのです。
全く事実ではないデマのせいで、何の罪もない人間が、ただ朝鮮人であるからという理由だけで、ただ社会主義者であるからという理由だけで弾圧されたのです。
ちなみにですが、同時に中国人も虐殺されていました。それはなぜか、朝鮮人と間違われたからです。朝鮮人と間違われて、殺される理由も分からぬまま、死んでいったのです。
数百、数千の朝鮮人、中国人、社会主義者が殺されたといいます。
この関東大震災後の惨劇を、芥川は鬼退治のシーンで描いたのではないか、と考えられるのです。
☆ラストシーンの「天才」とは?
さて、今回は「関東大震災後の惨劇」を描いたのではないか、という話をしてきましたが、この『桃太郎』で特徴的なのが、ラストシーンです。
前回の記事では触れませんでしたが、この『桃太郎』、ちょっと不思議な終わり方をするんですね。
人間の知らない山の奥に雲霧を破った桃の木は今日もなお昔のように、累々と無数の実をつけている。勿論桃太郎を孕んでいた実だけはとうに谷川を流れ去ってしまった。しかし未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。あの大きい八咫鴉は今度はいつこの木の梢へもう一度姿を露わすであろう? ああ、未来の天才はまだそれらの実の中に何人とも知らず眠っている。……
(引用:芥川龍之介『桃太郎』)
最後の節はこの一段落だけなのですが、「天才」という言葉が印象的かと思います。軍国主義、旧天皇制を風刺したり、関東大震災後の惨劇を描こうとしたり、様々な側面を持つ芥川の『桃太郎』ですが、どのアングルから見ようと、桃太郎は「悪」の存在としてとらえられます。
しかし、最後のフレーズでは「桃太郎」=「天才」と示しているんですね。
このあたりの話を、次回しようと思います。次が芥川龍之介の『桃太郎』最終章です。贅沢にも三度にわたりお送りすることになりました(笑)
それだけ伝えたいことがたくさんあるということです。それだけ面白くて魅力的な作品だということです。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。
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