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英雄を必要とする国が不幸なのだ。

――自由が保障されていない時代や環境にこそ、英雄という存在は求められるわけで、ある程度自由の保障された現在、英雄の必要性を感じる人は少ない

【#210】20220126

人生は物語。
どうも横山黎です。


作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。


今回は「今求められているヒーロー」というテーマで話していこうと思います。



☆英雄が身近じゃない今の時代に


先日、コンフィデンスマンJP英雄編を身に行って参りました。前回、前々回と、その魅力について語ってきましたが、今回でラストです。

これまでに「圧倒的エンタメ」「シリーズ物」「視点を変える演出」の三つの観点で見つめてきましたが、最後は「英雄」をテーマに見つめていこうと思います。



コンフィデンスマンJP英雄編では、英雄が一つのキーワードで、メインキャラクター3人のルーツにも関わってきます。ダー子、ボクちゃん、リチャードの三人の師匠にあたるのが、英雄とうたわれた三代目ツチノコという人物。

その三代目ツチノコが死亡したというニュースが入り、四代目ツチノコの称号をかけて三人で騙し合いをするという物語です。


とはいえ、今を生きる僕らにとって、英雄って身近じゃないですよね。

やっぱりその単語を聞くと、ナポレオンとか、神話に登場する人物を思い浮かべますよね。現在、英雄という大層な称号のつく人物など、思い当たりませんよね。

この映画の中でも、「今の時代に英雄なんていない」みたいな台詞がありました。


「みんな、誰かにとっての英雄」


そんな台詞もあったはずです。



つまり、今の時代に、在りし日のような英雄は存在しないんですね。



☆英雄を必要とする国が不幸なんだ

英雄のいない国が不幸なのではない。
英雄を必要とする国が不幸なのだ。
――ベルトルト・ブレヒト『ガリレオの生涯』


この言葉は、映画のはじまりと同時に紹介された言葉です。パンフレットの一ページ目にも書かれていました。

言い得て妙ですよね。


とにかく強い者を信仰して従わなければ明日をも生きられない時代、あるいは環境ならば、それは本当の幸せではないということです。自由が追求されていないからです。


個人的なイメージかもしれませんが、英雄ときくと、全くクリーンな人物像が思い浮かぶわけではありません。汚れ仕事も果たしてきた、海千山千の強者を想起します。そして、自分たちの自由と平和を奪還するために、命を捧げて、革命を起こす。そんなイメージです。

つまり、自由が保障されていない時代や環境にこそ、英雄という存在は求められるわけで、ある程度自由の保障された現在、英雄の必要性を感じる人は少ないわけですね。無論、断定することはできませんが。


でも、基本的に今、しあわせじゃないですか。


最低限の生活はできていると思います。常に命が危険にさらされている人もほとんどいないはずですし、やりたいことを追求したり、やりたくないことを拒む選択肢だって用意されています。

何度も同じことを繰り返していますが、今の時代、大昔のように、英雄を求めることはないんですよ。



☆今求められている「英雄」


話は映画に戻りますが、この映画の結末はコンフィデンスマンJPらしく、大どんでん返しが決まるわけです。このシリーズ物は基本的に「勧善懲悪型」の物語なので、大悪党から大金や財宝を奪い取って、弱者を救うオチに落ち着きます。


今回もそんな感じの結末でした。


そういう作品である以上、「大悪党を倒した」という意味で、英雄の存在を見出すことはできます。


しかし、さっきも触れた通り、「今の時代に英雄なんていない」「みんな、誰かにとっての英雄」という台詞が登場します。現在の「英雄観」に言及しているということです。


コンフィデンスマンJPの世界では、ダー子たちを英雄と位置付けて語らなければいけません。あくまでダー子たちが主人公の物語ですから。

しかし、誰かがダー子たちを英雄と呼ぶように、ダー子たちも三代目ツチノコを英雄と呼び、三代目ツチノコもきっと二代目ツチノコを英雄として崇めていたはずです。


まとめると、「今の時代に英雄なんていない」とは、「確たる圧倒的な英雄は存在しない」という意味であり、この世からヒーローが消えたわけではないことをさします。誰もが誰かの拠り所であり、誰もが誰かを必要としているわけです。


☆かつて日本一の英雄だったあの人は今……


日本で英雄といえば、桃太郎がパッと浮かぶのではないでしょうか。鬼退治という分かりやすい勧善懲悪の物語が展開していきますからね。長い時間をかけて、「桃太郎=英雄」というイメージが固定されていったと思います。


それが一番盛り上がりを見せたのが、戦時中で、戦争に勝つ英雄として桃太郎は象徴的な扱いをされていました。町中にたくましい桃太郎のイラストの描かれたポスターが貼られ、真珠湾攻撃が題材の桃太郎がアニメーション映画になって公開されたり、桃太郎は英雄としてその役を全うしていました。



しかし日本は敗戦し、日本人の誇りは砕け散りました。


同時にそれは桃太郎の英雄像の崩壊をも意味し、戦後の桃太郎の権威は失われていきました。


auのCMを思い出してみてください。かろうじて主人公のポジションではあるものの、他のキャラクターたちと肩を並べています。なんなら、歌がヒットした浦ちゃんの方が人気なのではないでしょうか? あるいはかぐや姫とか。


それだけ、今、固定の誰かを英雄としたり、象徴とすることが、忌避されているのかなと思いました。


力でねじ伏せる英雄はもう時代おくれ。

優しさをもって、つながりを大事にする者こそ、これからのヒーロー。

そんな風に思っています。


僕は今、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作するという企画を行っています。鬼退治するヒーローよりも、鬼と共に生きるヒーローの方が、これからの時代求められるよね、と思ったので、再構築しています。



最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
横山黎でした。

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