人物の視点を変えて謎を解く面白さ
――ダー子のパートでは謎だったものがボクちゃんのパートで明かされたり、大して意味のないつなぎのシーンと思われるものが、最後の真相のパートでめちゃくちゃ意味あるものだって気付かされたり。
【#209】20220125
人生は物語。
どうも横山黎です。
作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。
今回は「人物の視点を変えて謎を解く面白さ」というテーマで話していこうと思います。
☆視点を変える演出が効果的だった映画
前回、映画『コンフィデンスマンJP英雄編』について話していきました。4つの魅力を話そうと思ったら、熱が高まり過ぎて、半分しか語ることができませんでした(笑)
今回はその続きで、「視点を変える面白さ」という観点から魅力を掘り下げていこうと思います。
今回の映画、一人の人物にスポットをあてて物語が進み、次は別の一人にスポットあてて……のように、主役が変わっていく物語が展開されていきました。
ダー子の物語
↓
ボクちゃんの物語
↓
リチャードの物語
↓
狼たちの物語
↓
真相
ざっとこんな風に展開されました。一人の人物にカメラをあてて、その人物を中心に時間が進んでいくんですね。
このシステムが、すっっごく効果的で、あっと驚くしかけに気付くのです。
どんなしかけかというと、「視点が変わることによって、謎が解かれるというもの」。
☆主人公は自分の世界しか分からない
ダー子の物語で登場したボクちゃん。
ダー子の物語では、ボクちゃんの物語はサイドストーリーです。
言うまでもありませんよね。人生が物語だとしたら、自分は主人公で、それ以外の人は主人公以下です。メインキャラクターはいるでしょう。でも、自分以外、誰も主人公になれないのです。自分が見たいように見るし、見えないものは知り得ません。
ですから、ダー子のパートでは謎だったものがボクちゃんのパートで明かされたり、大して意味のないつなぎのシーンと思われるものが、最後の真相のパートでめちゃくちゃ意味あるものだって気付かされたり。
もうね、こんな仕掛けがノンストップなんですよ。ご覧になられた方はお分かりだと思います。えっぐいくらいにどんどん謎が解かれ、伏線が回収されていきます。
それがこの作品の大きな魅力の一つだと思いました。
パンフレットを読む限り、キャストのみなさんも「撮影したものどうなるんだろう?」と疑問に思っていたそうですから、本当に複雑なつくりになっていたんだと思います。
それを監督の田中さんや脚本の古沢さんをはじめ、制作陣が総力をあげて、最高傑作を作り上げたんだなと思いました。
☆「犯人はこの中にいる!」なんて台詞いらない
「視点を変えて謎を解くこと」は僕が追求したい領域の一つでもあります。
僕はミステリーが好きなんですが、「犯人はこの中にいる!」とか「さあ謎解きをしましょう!」とか、これから謎が解かれますよ、と教えてくれるミステリーが多いじゃないですか。
でも、こんなこといったらアレですけど、現実的じゃないなあと思って。
探偵役の一人語り、それも実際に言葉にしてみたら何十分もかかりそうな推論を、だまって聞いているのも変な話だし、なんか、いろいろツッコミどころあるなあと思って。
もちろん、それがミステリの文化だし、これからどんな風に紐解かれていくんだろう!?とワクワクする質なのですが、でももう少し別の可能性を探ってみてもいいんじゃないかな、と思ってしまいます。
ちゃんと丁寧に謎解きを描きたい。
でも、一人に語らせるには長すぎる。
なら視点を変えて複数人に語らせることは一つの術ではないでしょうか。
実際、自分が謎だと思っているものは、他の人にとって謎じゃなかったりするわけじゃないですか。探偵をはじめみんなが謎だと思っているものも、犯人だけは自分がやったことで、知ってるわけだから、謎でもなんでもないんですよね。当たり前のことですが。
謎の解き方はいろいろあると思います。
それはつまり今まで共有されていなかった事実を共有する作業なので、その事実を知っている誰かがそれを語ったら、それもちゃんと謎解きだよね、という話です。
コンフィデンスマンJPの世界でもよく使われている手法ですよね。今回はその手法がより明確に、的確に利用されていたなと思いました。
さっきも言った通り、「視点を変える謎解き」には興味があって、そんな物語を追求したいなと思っています。それを試みているのが、以下の作品です。
ライトを当てる人物を変えることで、謎が解かれる物語です。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
横山黎でした。
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