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患者さんの「嫌だ」という情動にどう対処しますか?

ヒトには様々な情動があります。

情動はヒトを喜ばせたり、悲しませたり、怖がらせたりします。

誰しも「なんだか気分が乗らない」と感じるときはあるし、「今は何をしても気分が良い」と感じるときもあるでしょう。

これは全て情動が影響していると考えられます。

今回は、患者さん・利用者さんも情動に支配されていることについて書いていきたいと思います。

なぜなら、患者さん・利用者さんも情動を持つ人間であり、情動の影響で理学療法などの介入成果が大きく異なる可能性があるからです。

今回のnoteを読むと、
●情動とは何なのかが少しわかる
●情動が何によって生じるのかがわかる
●情動を操るために何が必要なのかがわかる


情動とは何なのか

ルドゥーは情動というものを論じるにあたり、ウィリアム・ジェームズの次のような記述を引用しています。

通常われわれは、情動について、何かの事象を心が知覚すると、情動と呼ばれる心情が引き起こされ、ついでこの心の状態が身体的な表現をつくり出す、と考える。だが私の主張では反対である。このような身体的な変化は刺激を知覚した後に続いて直接的に起きるものであり、そのままの変化を感じるということが情動なのである。
(ジョセフ・ルドゥー著, 松本元ら訳:エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学,2003)

この主張はつまり、こういうことです。

❌️知覚→情動→身体的表現

⭕️刺激→身体的変化→情動

我々は直感的に、情動つまり心の変化を感じるから身体が反応すると考えがちです。

しかし、ここで主張されているのは、身体的変化が生じるから情動が起こるということです。

熊に遭遇した際の情動について、次のように説明されています。

刺激(熊)→反応(逃走)→情動(恐怖)

つまり、熊を見たら恐いから逃げるのではなく、逃げるから恐いということなのです。


患者さん・利用者さんの情動

理学療法士等のリハビリテーション関連職として働いていると、動くこと、運動すること、ベッドから起き上がることすらも嫌がる患者さん・利用者さんに出会うことは少なくありません。

これはしばしば『拒否』という言葉で表現されます。(この表現はあまり好きではありませんが)

その患者さんも、家に帰りたい、動けるようになりたいという考えは持っているはずです。

その時点ではそのように思えなくても、中長期的に見れば動けるようになることはその方にとってメリットの方が大きいはずです。

なぜ、動くこと、運動すること、起きることを嫌がってしまうのでしょうか。

これには、情動が深く関わっているのではないでしょうか。

前述の理論で説明すると、次のようなプロセスになっているのではないでしょうか。

疾患・機能障害→動けない(寝たきり)→情動(動きたくない、起きたくない)


患者さんの情動を操るために

そうであるならば、私たちのすべきことは明確です。

動きたい・起きたいという情動が生じるのを待つのではなく、まずは動かすこと・起こすことが必要なのです。

かといって、無理矢理に起こして強制連行するわけにはいきません。

理学療法士として、何ができるのでしょうか。

少なくとも、運動療法の実施を焦らないことが必要だと考えます。

だって、動きたくないんですから。

動きたくないのに「動け」と言われても、「嫌だ」と思うのは当たり前です。

そうではなく、まずは話すだけで良いと思うのです。

話すのも嫌なら、横にいるだけでも良いのではないでしょうか。

横にいると、「どっか行け!」「うっとうしい!」なんて悪態をつかれることもあるかもしれません。

傷付いてしまう理学療法士もいるかもしれませんが、その悪態をつくというのも、ある種の運動(発話)だと捉えると、介入の糸口になるかもしれません。

そう考えると、ただじっと黙って寝ているよりは、かなり良い状態に向かえる気がしませんか?


動き始めるから動きたくなる

自分に当てはめて考えてみましょう。

「動きたくないなぁ」「勉強したくないなぁ」なんて思うことは誰しも経験があるはずです。

それでも、時間的制約や義務感などから、なんとか重い腰を上げて、作業や勉強を始めますよね。

そして、動き始めてしまうと、意外と気分が乗ってくる、という経験はありませんか?

そう、動き始めたから、動きたくなってくるのです。

逆に、「やる気になったら始めよう」と考えていると、一生やる気になどならないのではないでしょうか。

最初は「嫌だなぁ」という気持ちを持ちながらでも、動き始めてしまうべきなのです。

患者さんも同様です。

「嫌だ」という気持ちを利用して、動かしてしまえば良いのです。

それは『悪態をつく』ということかもしれませんし、『手が出る』ということかもしれません。

療法士が対応できる程度の悪態や暴力(避けられることが前提)でなければこのような対応は難しいですが、患者さん自身が自発的に何らかの運動を行っているというのは評価すべきかもしれません。

悪態をついてくる方であれば、ひとしきり悪態をつき尽くしてもらった後で、何が嫌なのかを冷静に説明するよう求めても良いかもしれません。

そのとき、腰掛けてもらえるかもしれません。

それがきっかけで、離床ができるようになるかもしれません。

実際、そのような経験は1度や2度ではありません。


まとめ

情動について考えてきました。

何らかの情動があるから行動を起こすのではなく、何らかの身体的反応が生じるから情動が起こる、ということを理解していただけたでしょうか?

そうであるならば、情動が起こる・変化することを待つのではなく、情動を起こす・変化させるように、先に身体に変化を起こすべきです。

患者さん・利用者さんに対してもそうですし、自分に対しても同様のことが言えるはずです。

理学療法士の介入を嫌がる患者さん・利用者さんに対しては、理学療法というものに拘りすぎず、ただ話すとか、そういった介入の糸口を探ることも有効なのではないでしょうか。

こちらの要求(理学療法の実施)ばかり通そうとしても、「嫌だ」という情動を強化してしまい、上手くいかないかもしれませんよ。


より深く学びたい方へ

エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学
今回引用した書籍です。情動について学ぶなら必読です。



おわりに

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