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手を握ると見えてくる「人生と生き方」。佐賀県みやき町の福祉ネイリスト・平井理沙さん

鹿児島県から佐賀県みやき町に移住、地域おこし協力隊として地域に入り込み、自分の「ビジネス」を見いだした。LIS nail(リズネイル)代表の平井理沙さん(30)福祉ネイリストとして起業した平井さんが重視するのは、地方ではいまだ残る「ご近所づきあい」だ。ビジネスも「人と人との関わりが大切」と話す。

おじいちゃん、おばあちゃんが多いみやき町で、平井さんがビジネスを続ける原動力とは、一体何なのか――。

佐賀発NAGARE編集部
この連載「NAGARE(ナガレ)」は、東京から佐賀に移住して、自分の「したい」を形にする「自分地域活性化」を行いながら、人と人のエネルギーをつなぐ「着火屋」こと山本卓とその仲間たちが、地方で仕事をする“人”にフォーカスをあて、自分で自分の人生の“流れ”をつくり続けるための「原点」や「仕事をやり続ける原動力」を取材し、これからの地方ビジネスを考えるきっかけを発信していきます。

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仕事:ネイルは「人の温かさ」を提供できる

リサさんのネイルサロン「LIS nail(リズネイル)」。
サロン名は[「Life is Smile」の頭文字から付けたという

――(齋藤)平井さんのお仕事「福祉ネイリスト」について教えてください。

(平井)福祉ネイリストは、ご高齢の方や、障害をお持ちの方にネイルの施術をする仕事です。普通のネイリストさんの施術と比べ、お客様とお話ししている時間はもしかしたら倍以上。金額感も大きく異なり、とってもリーズナブルな価格で提供しています。映えや奇麗さよりも「人の温かさ」を提供するお仕事だと感じています。

「おじいちゃんやおばあちゃんと、手と手を触れ合わせ、お話をする。大切な時間です」

――というのは?

(平井)福祉ネイリストのお仕事で私が一番大切にしているのは「コミュニケーション」です。もちろん最低限の技術を身につけた人しか資格を得ることはできません。でも私が最も大切だと思うのは、皆さんと「お話しすること」なんです。おばあちゃんや障害をお持ちの方にとって、手のケアは決して必要不可欠なことではありません。それでも皆さんが来てくれるのは、お話ししたいからなのかなって感じます。

――介護施設などを訪問されることもあるんですよね?

(平井)依頼があればお伺いすることもあります。一部の方は、最初すごく嫌そうな様子なんです。笑顔もなく「せんでもいい」なんて言われることもあります。でも、手と手を触れ合わせ、ゆっくりと同じ時間を過ごしていると、最近のこと、昔のこと、ご本人のことや家族のこと、友達のこと、ペットのことなど、ぽつりぽつりと話し出してくれるんです。

ネイルは一対一で、ある程度の時間を向き合って過ごします。手と手が触れ合っている間、手のぬくもりがおばあちゃんやおじいちゃん、障害者の方々の心をほぐしていくのかもしれません。実際に私がこの仕事を始めたのも、この仕事を続けているのも、「ネイルの楽しさ」ではなく、この優しい時間があるからなんです。

転機:家族のように迎えてくれた町への恩返し

自身で作り上げた仕事場「LIS nail」

――平井さんが仕事を始めたきっかけは、なんだったのですか?

(平井)私は鹿児島県出身で、主人の仕事の関係でみやき町に来ました。一時期は福岡県の都市部に住んでいたのですが、みやき町に来て「私って田舎が好きなんだ」と気付きました。ちょうど子供が生まれたばかりの頃に、「地域おこし協力隊というのがあるよ」と役所の方から紹介を受けて、「地域に入り込むことができるんだ、面白そう!」とすぐに飛び込みました。

――地域おこし協力隊時代はどのようなことをされていたんですか?

(平井)最初は、みやき町のふるさと納税事業について、地場産品のPRなどに対する問い合わせ、出品する物産品の選定・営業などをしていました。時にはイベントを開催し、自らお客様に商品を紹介したりもしました。活動の中で、町の情報誌に載せていただく機会があり、イベント中に「よくこんな田舎に来たね」と、皆さんから話しかけていただきました。地域おこし協力隊の活動を通じて、地域と深く関わることで、私はパソコンと向き合っているより、人と関わっている方が楽しい!と改めて感じました。

地域おこし協力隊時代のイベント活動。
「人と話したり、触れ合ったりすることが、私にとって喜びです」

――福祉ネイルをみやき町でも始めようと思ったきっかけは?

(平井)協力隊として多くの町の皆さんと過ごす中で、みやき町に住む人たちへの思いが強くなっていきました。最近は、古き良き「ご近所づきあい」が苦手だという方もいると思います。でも、知り合ったおじいちゃん、おばあちゃんから「野菜あるね?」と声をかけられたり、スーパーでばったり会った人から「リサちゃん!」と呼ばれたり。皆さん、移住してきた私たち家族を気にかけてくれて、たくさん助けてくれる。お世話になっていることを実感する毎日だったんです。「皆さんに私ができることってなんだろう」と考えている時に、福祉ネイリストの資格を生かして高齢者の方に笑顔をお届けする活動をしようと思いました。

ネイルのサービスといっても、ただマニキュアを塗るだけではなく、手全体と指先をやさしくほぐすハンドトリートメントをしたりもします。ただ何かを販売して終わり、ではなく、ゆっくりと時間を共にすることができる福祉ネイリストという仕事なら、「おじいちゃん、おばあちゃんに喜んでもらえるかもしれない」と思いました。お金もうけではなく、お世話になった皆さんへ恩返しのつもりで開業しようと思ったんです。

原点:「人の数だけ、いろんな事情や人生がある」…人生を変えた山村留学

「人の手の温もりを感じられることは、ネイリストの特権かもしれませんね」

――すごい。人づきあいに疲れることはないんですか?

(平井)もちろん大変なこともあります。皆さんとの距離がとても近いので、良いことをした時は自分のことのように喜んでくれますが、違うことをしてしまうと家族のように?られます(笑い)。でも、それを大変だと思っても、嫌だとは不思議と思わないのです。元々中学生の頃、共同生活をしていたからかもしれません。

――共同生活をされていたんですか?

(平井)中学2年から鹿児島県の山村留学プログラムに参加し、竹島という島で卒業までの2年間を過ごしました。きっかけは年子の姉が取り寄せたパンフレットでした。何気なくパンフレットを開いた瞬間、心を奪われました。遠足は船に乗って魚釣り。学校にプールがないから海で水泳の授業。パンフレットに載っていた学校の行事欄が魅力的すぎたんです。「こんなのあるのー! 楽しそー! 行きたーい!」と、母と見学に行ってみることにしました。

そこでお会いしたのが、留学生たちの里親さん。里親さんのお母さんが経営されている旅館に泊まったんですが、そこで里親さんが料理人としてお手伝いされていました。その料理のおいしいこと! 「この人が里親さんなら、毎日こんなおいしいご飯が食べられるん?」って(笑い)。そしてもう即決でしたね。「島、いい!」って。

――島ではどんな暮らしをしていたのですか?

(平井)島にはお菓子を売っているようなお店もない。食料や生活に必要なものは、定期的に船が持ってきます。唯一、“買い食い”できるとすると、近所のじいちゃんが家の前に冷蔵庫を出して売っているジュースぐらい。ショッピングモールどころか、自動販売機が設置されただけで話題になるような場所でした。

学校はというと、私の他に留学生が5人いました。島での1年目のクラス(中学2年時)は中1から中3までのクラスで、全部で5人。そのうちの1人は島民でしたが、他の4人は留学生でした。島の学校は中学校と小学校が合同だったので、同じ廊下にずらっと教室が並んでいて、「こっちは小学校、こっちは中学校」という感じで、それも新鮮でしたね。

留学生は、里親さんのところにみんな一緒に住んでいました。学校でも家でもずっと一緒なので、放課後は小中学生みんなで帰って、話したり、海に行ったり、お手伝いしたり。そんな生活でした。今考えるとすごいです。本当に貴重な体験をしていたんだなと思います。

少し違った「島暮らし」という体験が、人との関わり方を教えてくれた

――子供たちはみんな、平井さんのように島暮らしに憧れて留学していたのですか?

(平井)私のように前向きな理由で島に来た子ばかりではありませんでした。地元の学校に行くことができなくなった子、家族と一緒に生活できなくなってしまった子、体が弱くて療養のために来ている子、さまざまな事情を抱えた子供たちがいました。共同生活を通じて、お互い家族のような関係になると、里親さんが、私たち子供にもしっかりそれぞれの事情をお話ししてくださるんですよね。

子供ながらに、人の数だけ、いろんな人生があることを学びました。そして、それぞれの「違い」を自分なりに受け入れることを学んでいきました。

原動力:みんなが笑顔になってくれる

「あのおじいちゃんたち、元気かな」と、思いをはせる

――福祉ネイルを始めてよかったなと感じたのはどんな時でしたか?

(平井)ある介護施設にネイルをしに行った時のことです。あるおじいちゃんに出会いました。そのおじいちゃんは、ネイルをしているあるおばあちゃんの隣で、その手を見ながら「すてきだ、奇麗だね」と言いながら、にこやかにずっと見守られていたんです。「すごく仲良しなお二人だな」とほほ笑ましく感じていると、おじいちゃんがポツリと「このおばあちゃんと僕はね、昔付き合っていたんだよ」と。

――ご夫婦ではなかったんですね!

(平井)おじいちゃんとおばあちゃんは、若い頃にお付き合いをされていたそうなのです。そしてお互いに別れて、別々の人生を送っていたそうです。しかしお互いにパートナーを亡くし、お一人になり、この施設にやってきた。そして偶然にも、数十年ぶりに再会したんです。

そのおじいちゃんには愛した奥様がいらっしゃって、きっと多くのお友達もいらっしゃって、お元気だった頃は、自分の足でいろんな場所に出かけた。多くの幸せを感じてこられたのだと思います。でも、年老いてお一人になられ、施設に入所されたいま、「人生いろんなことがあったけど、僕はね、今が一番幸せなんだよ」とおっしゃる。その言葉を聞いた時に、何か込み上げるものを感じました。

――すてきなお話ですね。

(平井)おじいちゃんは少し認知症があるのだと、あとで施設の方から聞きました。おじいちゃんの言葉は本当なのか、それとも認知症ゆえの言葉なのかは分かりません。でも、私はその言葉に大きな衝撃を受けました。その言葉を思い出す度に、自分の人生について考えます。自分はどんな人生を送るのか。今は幸せなのか。私は、80歳や90歳のおじいちゃん、おばあちゃんが感じることを、福祉ネイリストという仕事を通して知ることができる。そのことが、私の人生に大きな影響を与えてくれるのです。皆さんが笑顔になってくれることが、私の原動力になっています。

仕事は、人とのご縁だと私は思っています。人となりが分からないような相手を、人は信頼することはできないと思います。高齢の方であれば、なおさらです。少しずつ、少しずつ、時間をかけて地域に関わっていく。自分が地域を知って、そしてようやく自分自身を知ってもらう。そんな時間を楽しみ、大切にできるか、それが好きか、好きじゃないか、だと思います。

――逆に、仕事をされていて心が折れそうになったことはありますか?

(平井)心が折れそうにまでなったことはありません。それはきっと地域を知った上で、始めた事業だからです。この土地で事業を始めるということはどういうことなのかを、地域おこし協力隊の3年間を通して学びました。

もちろん、ネイルをする時に、うまくお話ができないこともありますし、いつもと様子が違うお客様の様子にへこんで、自分の未熟さを感じることもあります。でもそんな時には「相手も人だから、そんな時もある」と考えます。気分に波があるのも当たり前、相性があるのも当たり前。やっぱり商売は人と人との関係が大事だと思います。「そんな時もあるよね」と思って、深く考えないようにしています。たくさん反省しますが、おいしいものを食べて、友達と話して、決して深追いはしない。そうやって、私はこの仕事を続けてきました。

アドバイス:地方におけるビジネスは、その土地の人々とどのようにおつきあいしていくかが大切

撮影時に偶然、姿を表した美しい虹とともに

――地方でのビジネスをする上で大切にしていることはなんでしょうか?

(平井)地方には都市部よりも多くのチャンスがあるように感じます。サービスがまだまだ少ないし、入ってくるのに時差があるので。都会であれば、すでに多くのライバルがいますが、地方にはまだライバルが少ない場合が多い。でもその時に何が大切になるのかというと、私は「意思」なのかなと思います。

「地域で何がしたいか」がない人は、迷った時に、どんどん軸がブレていって、結局長続きしない。でも地方のお仕事ほど、長く続けないと意味がないと思っています。人はすぐには新しいものや人を受け入れられないので、2~3年で地域に入り込むのは本当に大変です。意欲とやる気の塊のような人ほど、理想と現実のギャップに挫折を感じ、町を出て行ってしまう。その度に私は「もったいないな」って思います。

――地域に入り込むためのアドバイスなどいただければと思います。

(平井)地方には、都市部にはない「ご近所づきあい」があります。古き良き関係性がまだまだ「地域」にはしっかり存在している。人と人との距離が都市部よりも密なんです。都市部での関係性はドライで、ビジネスであれば特に、個人的なことってそんなに重要じゃない。でも、「地域のビジネス」では「人との距離が近い」、いわゆる「ウエットな関係性」がいいんじゃないかと思います。「地域のビジネス」といっても結局は、その土地の人々とどのようにおつきあいしていくかだと思うんです。

――平井さんにとって、仕事とは何ですか?

(平井)「ご近所さんへの恩返し」ですね。お世話になっている人が喜んで笑顔になってくれたらそれでいいんじゃないかなって思います。だから、大きく、どデカく、県外にも!なんて気持ちはさらさらなくて、このみやき町で広く、長く、続けていきたいと思っています。

みやき町で暮らす皆様一人一人の人生を聞くことができるのはとってもすごいと感じる日々です。不思議なことに、そう思ってやっていると、お客様や地域の方からいろんな方をご紹介いただいて、勝手に多くのご縁が舞い込んでくる。地方の皆さんは、移住してくる人を温かく歓迎してくださいますからね。

――最後に地方への移住を考えている読者へのアドバイスをお願いします。

(平井)やっぱり、長く続けてみてください、ということですね。都市部よりも人との距離が近いからこそ、ビジネスにおいても、人の思いや心が大事になってくる。続けられるかどうかをすぐに判断してしまうのではなく、長く続けることで新しい道が見えてくると私は思っています。

スピードは遅くても、その地域に住む人のあり方次第で、その地域は姿を変えていきます。その地域に生きることは、その地域の文化になっていくことだと感じます。数年で何かを得ようとするのではなく、まずは自分がその地域を知ること、環境に柔軟に対応していくこと。それが地方のビジネスにおいて大事なことだと私は思います。もちろん、自分の軸がブレないようにしながら。

平井理沙(ひらい・りさ)
福祉ネイリスト
1993年3月生まれ。鹿児島市出身。中学生の時に鹿児島県の山村留学プログラムに参加し、約2年間の島暮らしで人とのつながりの大切さや集団生活での生き方を身につける。社会人になってからは鹿児島の観光、地域開発会社に就職し、特産品をはじめとした地域の良さを発信する。結婚を機に佐賀県みやき町に移住、地域おこし協力隊の活動を通じて地域の中に深く入り込む。地域の方々への恩返しがしたいという思いから、福祉ネイル講師の資格を取得し、個人サロン兼福祉ネイルスクールを開業。3児の母として子育てをしながら活動の幅を広げる。

ライター:齋藤亜后(さいとう・あこ)
静岡市生まれ。大学を中退しネイリストの資格を取得。東京都のシニアの生活支援を行うベンチャー企業に勤め、映像制作、新規事業開発、直営店立ち上げ運営、行政間連携等を行う。また映像制作技術を向上させるため、副業として映像制作会社に業務委託として勤め、結婚式のエンドロールムービーの撮影を行う。その後映像制作の個人事業主として独立。佐賀県では塾講師や町立小学校の生活支援員、また映像制作の講師として子供の教育現場に携わる。現在は場所にとらわれない働き方を確立させることを目標にアメリカにて活動中。