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自分の心と向き合うこと  その3

1ヶ月の入院生活

今から5年程前、完全房室ブロックという心臓の病気で救急搬送されました。
そしてそのまま約1ヶ月の入院生活を送ることになったのです。

病室内のトイレに歩くだけで意識を失い、ベット上から動けない状態でした。
徐脈になっていることが原因だったので、まずは点滴で脈を早めながら検査を受け始めたのですが…
頻繁に意識を失い、その度に「本当に死ぬかもしれない」と感じました。
2日間は、食事以外は失神することが怖くて何もできなかったです。
髪もボサボサ、顔も洗わない、歯磨きも看護師さんと一緒にベット上。
記憶はボンヤリとしていますが、はっきり覚えていることは、
「人は存在しているだけでいいんだ」と感じたことです。
なぜそう思ったのか…?
説明できないのですが、心電図のアラームが鳴って意識が遠のいて本当に死ぬかもしれないと思った時、感じたのです。
娘が天に還ってしまった時は「ただただ存在してくれるだけでいいから、お願い生きて!」と、強く思いました。
存在するだけでいいという感覚は、日々の生活に流されていると薄れてしまいますが、大切にしたい感覚です。

とりあえず失神を避ける為に、検査をしてペースメーカを恒久的に埋め込まなければならない結果となるまで、外付けの物を装着しました。
それからは失神もなくなり、一般病棟に移ることになったのです。

検査以外はずっと病室で、とにかく読書。
そして日記をつけ始めました。
外付けペースメーカーのおかげで、特に辛い症状もなく、身の周りのことは自分で出来ていると書いてあります。

完全房室ブロックは、ペースメーカーがあれば生きていける疾患です。
だから私は、「治療法もあるし、気をつけて生活すれば生きていけるのだからラッキー!」と本気で思えました。
これは、娘の難病が治療法もなく「死」を意識して生きなくてはならない厳しい経験があったからだと思います。

入院して約2週間後に、いろいろな検査の結果やはり恒久的なペースメーカーを埋め込むことになりました。
自分の状態を受け入れてはいても、さすがに手術をするって決まった時は「私の人生って苦しいことが本当に多い…どうして何だろう?この状態の意味って何だろう?」と一晩考えていました。
でもその時は答えが出ませんでした。

でも退院近い日に綴った日記を今読み返すと、この感覚や思いを身をもって体験するために起こった出来事だったのではないかと思うのです。
当時の日記をそのまま記します。

人は、余裕が出てくると本来の自分じゃなくなり始める…
体感した。
「生きてるだけでいい」
これが少しわかった気がする。
「生きてるだけでいい」
この思いを忘れずに。
過去も未来も置いといて、まず「今」を「今」だけを見つめること。
これが幸せの秘訣だ。
余分なことは考えないで「今を生きる」
生き方を見つめる為に、神様が私に与えた試練なんだ。
そう思ってこれからの人生を生きていこう。

この経験が大きなきっかけとなり、私は心理学を勉強したいと思い始めたのです。
そして、人生の流れが変化し始めました。

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