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Lecturer profiles no.2 ~Rei 麗~


プロフィール

⭐︎講師名
Rei 麗

⭐︎英語資格
英検準一級
TOEFL 84
IELTS 7.0
TOEIC 990点

⭐︎担当授業
発音練習
フォニックス
リーディング
ライティング
英検対策

My story


私の今までの journeyのお話をしていきたいと思います!

私は子供の頃は、怖いもの知らずだったように思います。
あれはなんだろうと思ったらすぐに聞く。
あれをやってみたいと思ったらやってみる。
そんな子でした。

私はバレエを4歳から6年間習っていたのですが、そもそも始めるきっかけとなったのも、母に
「やるならバレエとプールどっちがいい?」
と聞かれ、うーん、プールはもう習ったことあるしなぁ、ていうかバレエってなんだろうなぁ、聞いたことないなぁと思い、
「バレエ!」と答えたことが始まりでした。

私が英語や海外に興味を持ったのは、海外旅行や親の仕事からでした。
親が出張で海外に行き、こんな人にあったんだよ、こんなお見上げを買ってきたよ、というと、私が知らない世界があるんだなぁと目を輝かせていました。

海外旅行に行くと、現地では私の理解できない言語を話していて、両親も日本語ではない言葉を話していて、「何事!?」と思っていました笑
けど、のちに知る英語という言語は、意外にも私の日常生活の中に溢れていたのです。

私の両親は、家や車の中でCDをかけていることが多かったので、どれも何度も何度も聴いていました。ちなみにどんなCDかというと、バングルズやABBA、ハワイアンなど、もろ両親の世代のものばかりでした笑
もちろん日本で生まれ日本で育った私にはその歌の歌詞は分かりませんでしたが、何回も聞くうちに、口ずさむようになりました。

あと、テレビでよくみていたのは、「大草原の小さな家」や「フルハウス」です。これらは私の母が大好きで、特に大草原の小さな家はVHRを持っていたので、何度も見るほど大好きでした。

そんなかんやで小学生になりました。
ここからしっかり勉強というものを始めたわけですが、私が小学生の頃は、英語の授業は月に1回あればよかったような気がします。
授業でも、今の子達のようにフォニックスなどをやっていたわけではなく、フルーツの名前や授業科目の名前などを勉強していた覚えがあります。

あと!私が小学生時代にハマっていたのは、iCarly(アイカーリー)です!!私世代の子達なら知らない人はいないであろう伝説のドラマですよね!
アメリカの中学生は楽しそうだなぁと思って見ていました。
近々自分も経験することになるとは知らずに。。。

私が小学校4年生の頃。両親が「アメリカに引っ越すことになるかも」という話をしているところを小耳に挟みました。
私が聞いてみると、「まだ決まってないから」と2人は言いましたが、そのあとそのことが確実に決まりました。
アメリカのサンフランシスコというところに引っ越すんだよ、英語話すんだよと言われ、普通の人ならびっくりしたりどうしようと悩んだりするかも知れませんが、私の反応は、
「ふーん。そうなんだ」でした笑
この謎の怖いもの知らずさと能天気さがあって、よかったなと今では思います。

さて、アメリカに引っ越すことが決まったのはいいが私も妹も英語は全く話せません。そこで母は、チラシの裏側などに、よく使う英語のフレーズを一枚ずつ書いて、私と妹にそれを言わせる練習をさせ始めました。

そして小学校5年生の夏休み、とうとうアメリカはサンフランシスコに引っ越しました。
9月から早速学校が始まり、私と妹は現地校に、もちろん英語しか通じない環境にボンッと放り込まれました。

アメリカに引っ越すまでは、周りの大人に「アメリカ行っちゃえばすぐに英語喋れるようになるよ!」なんて言われたもので、能天気な10歳はとくに心配もせずアメリカに引っ越しました。

ところが大変。小学校最初の日にその考えは甘かったと実感させられました
まず教室に行って先生に初めて会い、名前を聞かれました。
なので私は「I’m レイ」と返したのですが、先生はなかなか私の名前を聞き取れず、困った顔をされてしまいました。

この先生の反応も無理はありません。なぜなら私の英語はとってもカタカナ英語だったからです!
もちろん先生も名簿で私の名前をみて、ああ、Reiっていう子が入るのね、とは知っていたはずです。
けれども、日本語のように「レイ」というと、まるで「I’m Lei」と言っているように聞こえるんです。

ちなみに「Lei」だと、ハワイでもらう花でできたネックレスのことを指す言葉になってしまうのです😣🌺

英語ゼロゼロだった私はリスニング力も壊滅的でしたので、少なくても最初の4、5ヶ月は授業中なんてただひたすら先生の言うことを聞き流している状態。笑 

最初の一年は毎日お母さんに手伝ってもらいながらやってました。
毎日号泣しながら笑 
何もわからない自分が不甲斐なくて、しかたがなかったですね笑
でもこれは私だけではなく、第二言語を英語とするみんなが通る道というのは聞いていたので、私だけじゃないんだ!というのは励みにはなっていました。

でももう科学の宿題が出て日なんて絶望でした。
まだ日本語でもやっていない原子の話なんかが出てきて、全然理解することができませんでした。
時には他の子は30分で終わるであろう宿題を、お父さんと一緒に23時までやったことだってありました。

このような感じで、最初の1年は多くの涙を流し、しかし少しづつ英語が理解できるようになってきました。

アメリカでは6年生から中学校に入るので、私がやっと英語がわかるようになってきた!と思った頃には新しい学校、勉強のレベルも上の環境に行くことになりました。

私が日本に帰国したのは中学校2年生になった春。
地元の区立中学校に通い始めました。
「おお!麗が帰ってきた!」とびっくりされました笑
この時、すごく自分は"帰国子女"なんだな、と自覚させられました。

そして高校は英語に特化したコースのある私立高校に入りました。
ここでは数学や化学の授業が少なめで、その空いた時間を英語に回すカリキュラムだったので、理系が苦手な私にとってはピッタリだ!と思い、通い始めました笑

なので私は、「私は大学は一般受験で行くのは厳しいかも知れない」と早々から思っていました。そこで、指定校推薦や、当時の自己推薦入試である、AO入試を狙おうと考え始めました。

推薦入試をするには学校のGPAや英検などの資格、ボランティア活動などが重要になってくるということで、それらに特に力を入れていました。

英検2級は中学校2年生の時にとっていたのですが、入試の際はスコアは2年以内のものでなくてはいけなかったので、英検、IELTS、TOEFLをそれぞれ受けました。

運命の高校3年生。私は運良く指定校推薦をもらうことができました!

そして現在では、上智大学の国際教養学部というところで毎日学んでいます。
大学入学とともにコロナ禍になってしまい、最初の2年間は授業がほぼオンラインで行われるなど、なかなか思うように行かないこともありましたが、国際教養学部は授業が全て英語で行われている学部で、留学生もたくさんいるので、日本にいながら留学気分を味わうことができ、とても楽しく通っています。

怖いもの知らずで突き進んできた人生。
つらいこともたくさんありましたが、その経験から得たものは、私の人生の大きな財産となりました!

レッドウッド講師として

Hello! Thank you for visiting my page.

初めまして。根津の英語塾レッドウッド で講師をしているレイと言います。
現在、上智大学の国際教養学部3年生で、レッドウッドでは2020年から講師をしています。

これまでの英語学習の経験を元に、皆さんが英語を楽しく、目標に向かっていけるよう、レッスンを行っています。

みなさんに会えるのを楽しみにしています!

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See you soon:)

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