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瀬戸内寂聴さんと笠置シヅ子さんと讃岐和三盆との意外な関係とは?

◼️瀬戸内寂聴さんと香川県東かがわ市の和三盆との関係は?



◼️【私のルーツ】高松藩松平家 普請方 森家。 徳島藩 碁浦御番所 役人兼庄屋 八田家と『八田家文書』阿波秦氏。 讃岐 黒羽城主 永塩因幡守氏継と黒羽庄屋 永峰家。 黒羽三谷家と瀬戸内寂聴と和三盆。



🔹瀬戸内寂聴さんの父 三谷豊吉さんは、江戸時代から香川県東かがわ市黒羽(くれは)で、代々、和三盆を製造する製糖業を営んでいた三谷峰八さんの三男で、後に瀬戸内家に養子となり徳島市で神仏具店を営んだ。


豊吉さんは、10代のときから丁稚奉公し相当苦労して、指物職人としての腕を磨いた。 

瀬戸内寂聴さんは、生前、東かがわ市引田にある積善坊に法要で訪れた際に父の実家の黒羽にも立ち寄っている。 私の曾祖父の妹がこの三谷家へ嫁いだ為、私の大叔母らも引田での法要に手伝いに行っていたので寂聴さんとも交流があった。


また、寂聴さんは、若い頃には父親の実家近くにある久米通賢の実家跡にも訪れている。 久米通賢は高松藩の財政危機を救う為に、藩からの援助が足りなくなると私財を投げ打って坂出の塩田を開発した人物だ。その塩田は後に日本一の生産量を誇るようになり、和三盆と共に高松藩の財政を支えた。 三谷家はこの久米家と親戚関係にあった。

東かがわ市引田の積善坊には瀬戸内寂聴さんの十字架の印がある父母の墓があり、隣の萬生寺には笠置シヅ子さんの養父母の墓と若くして戦死した義弟の墓がある。


🔹東かがわ市引田にある積善坊と萬生寺


🔹萬生寺にある笠置シヅ子さん養父母 亀井音吉、ウメ、義弟 亀井八郎の墓


🔹笠置シヅ子さんが戦死した弟へ捧げた曲『大空の弟』とは? 東かがわ市の萬生寺に養父母と義弟のお墓を建て銅製の雨どいを寄付した。現在も寄進塔が残る。安戸池で愛娘と魚釣り。



🔹久米通賢


🔹瀬戸内神仏具店ホームページ

所在地:徳島県徳島市東大工町2丁目19






🔹東かがわ市黒羽(くれは)は、神戸の三宮から車で1時間半くらいで行ける。


🔹黒羽(くれは) という土地は、呉服とも記され、大化の改新の頃、戦乱を逃れ中国の呉の国からやって来た渡来人がこの地に機織りの技術を伝えた。 その関係から黒羽に祀られる神は蕃神(外国由来の神)が多い。

角川日本地名大辞典


🔹讃岐三白(砂糖、塩、木綿)



🔹香川県東かがわ市黒羽にある糖業感謝碑。 和三盆は江戸時代、黒羽一帯で製造され、関西方面で販売され緊迫していた高松藩の財政を大いに支えた。


白糖の製法を長年の苦労の末に編み出した向山周慶と関良介は、死後に高松藩主から砂糖神として崇められ高松城内に向良(こうら)神社を建てて祀られた。現在は移築され高松市松島町にある。東かがわ市湊の向山周慶生誕地近くにも向良神社と関良介の墓がある。

香川大学農学部では、現在、希少糖研究が進められている。


🔹東かがわ市黒羽にある糖業感謝碑。代々、製糖業を営んでいた瀬戸内寂聴さんの祖父の三谷峰八さんの家はこの近くにあり、私の曽祖父の妹の森トヨは、明治時代に三谷家に嫁いだ。



🔹高松市松島町と東かがわ市湊にある向良神社の位置


🔹香川県東かがわ市黒羽生まれの笠置シヅ子さん。実家の三谷家 本家は代々、製糖業を営む豪農だった。屋号を黒茂といい、現在は分家の孫黒茂が東かがわ市で和三盆の製造、販売を行なっている。

笠置シヅ子さんの祖父は漢学者で教え子の南原繁さんは戦後初の東京大学総長となった。また南原さんは笠置シヅ子さんの後援会長も務めた。 笠置シヅ子さんの父 三谷陳平さんは、南原繁さんの幼なじみで、引田郵便局に勤めていた。


🔹代々、門外不出の製法を受け継ぐ三谷製糖。


🔹三谷製糖の和三盆





◼️【東かがわ市黒羽出身】美空ひばりさんが物まねした歌手 笠置シヅ子さん! 出生の秘密! 東京ブギウギの大ヒット! 祖父は漢学者! 後援会長は東大総長 南原繁さん! ミラクルひかるさんも物まね!



◼️【NHK朝ドラ】「ブギウギ」のモデル 笠置シヅ子さんの出身地 東かがわ市のゆかりの地を紹介!


🔹東かがわ市は香川県の東端に位置し、西は徳島県鳴門市となる。JR讃岐相生駅から南側に黒羽地区がある。


🔹讃岐相生駅、久米通賢の墓(馬宿)、糖業感謝碑(黒羽)


🔹三谷製糖、相生古里庵(笠置シヅ子さんの実家近く)




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