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星新一のショートショートにみる働き方改革

稀代のSF作家 星新一の『マイ国家』というタイトルの短編集の中に、
「首輪」という話がある。

<ある男が、宝石の密輸で捕まり、裁判で有罪の判決を受けた。そこで言い渡された判決は有罪。
しかし与えられた選択肢がユニークだった。
1つは流刑星での3年間の労働。
2つ目が元の都会で特殊な首輪をつけて生活する
というもの。
当然ながら男は後者を選んだ。
しかしその首輪がやっかいだったのだ。
なんとそれは男が、快楽的・娯楽的な行動を取ろうとするとそれを制限する首輪だった。
女に声をかけようとすれば、その方向に首は回らず、テレビを見ようとすれば背を向けられ、酒を飲もうとすれば、口が開かない。
生殺しの状態にとうとう男は音をあげ、流刑星へと戻り、3年間勤勉に働いたという。

かたや昭和のモーレツサラリーマンたちはこう語る。
働き辛くなったものだ」と。

昔であれば、残業し、何時間でも会社にいることが美徳とされ、極端な話、その仕事のためなら何時間でも残っていいというのが世の流れだった。
それが変わってきたのがここ最近。
ワークライフバランスという言葉が巷に溢れ、
2015年に電通の事件があって以来、その流れは加速。

最近では、残業をしない社員に褒賞金まで与える会社が現れた。
私の現在勤めている会社でも21時完全退社である。

強まる昨今のワーク(仕事)とライフ(私生活を生きる時間)を分ける風潮
しかし、そこを明確に切り分ければ、分けるほど、仕事が辛いと感じるのは気のせいだろうか。

そして仕事の密度が濃くなるのと比例して、私生活は充実する。

さらに気持ちの落差がさらに広がる。
言い過ぎかもしれないが、いっそひと思いに会社で生活してしまった方が楽なのではないか?と思う時がある。

星新一が「首輪」で描いたような、快楽があり、娯楽を知っていながら、それに触れられない時間があればあるほどに辛い。
                
ワークとライフを分ける中で上手く切り分けられる人も中にはいるだろう。
だがしかしこれが日本のスタイルに合っているのかは疑問ではある。
落合陽一の日本再興戦略にもこうある

「(個人の権利に立脚した)西洋的思想と日本の相性の悪さは、仕事観にも現れています。今は、ワークライフバランスという言葉が吹き荒れていますが、ワークとライフを二分法で分けること自体が文化的に向いていないのです。日本人は仕事と生活が一体化した『ワークアズライフ』の方が向いています。無理なく、そして自然に働くのが大切なのです。日本は歴史的にも、労働者の時間が長い国家です。大和朝廷の時代にも、下級役人は長時間労働をしています。1年のうち350日は働いて、そのうち120日が夜勤というような生活です。(中略)それが過労でなかったのはなぜでしょうか?それはつまり、昔からストレスが少なく、生活の一部として働いていたのです。」(p40)

後半部分の「ストレスがなく」の部分は史料的根拠に乏しく、一概に日本人は〜であるというようにくくるのは危険だが、話として面白い。
詳述は本書を参考にしてもらいたいが、
アメリカのように個人の権利に立脚し、休みと仕事を明確に分けるような西洋的価値観ではなく、百の商売を持ったとされる百姓のように、仕事を生活の一部として生きていく。

私が計7年間打ち込んできた陸上競技においても、アップダウンのあるコースが一番きつい。
老子や荘子らが語った東洋思想の根本は多くを求めず、自然に生きることにある。

好きでその仕事をする。自分にとってはストレスのないことで、他の人に幸せを与えらるようなものを行い、それに対し、対価をもらう。
仕事が生活の一部になる(ワーク・アズ・ライフ)
四六時中仕事をしなければならないのか!」との批判があるかもしれないが、その仕事自体が辛くない=生活の一部になっていれば、人の幸福の尺度は相対的なもので、辛くないように思う。

外国人から見た江戸から明治の日本人を描いた渡辺京二さんの『逝きし世の面影』という本がある。

近世以前の日本社会を全く別文明であると位置づけ、近代化によって、それが死んだのだというある意味衝撃的一冊なのだが、

その中にこうある。

チェンバレン曰く、「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」と称した。しかし日本も、富国強兵・殖産興業をもってわざわざ富裕階級とともに貧困階級をつくりだしてしまった。そのためチェンバレンは、自著の『日本事物誌』(平凡社東洋文庫)を、古き日本のための「いわば墓碑銘たらんとするもの」と位置づけた。  

それを読んでも、金銭的・物質的には今よりはるかに満たされていないが、生き生きとした民衆の姿が浮かび上がってくる。

働くとは何か?

今一度、考えるべき時がきているのかもしれない。


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