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「シカゴ野球観戦記」の巻

 もはや旧聞に属するが、2005年にシカゴ・ホワイトソックスの呪いが、ボストン・レッドソックスに続いて解けた。
 ホワイトソックスの呪いとは。
 1919年のシーズン中に起こった大規模な八百長事件は、チームのスター選手であったジョー・ジャクソン(”Shoeless” Joe Jackson)が永久追放になるなど、球界に激震を与えた。その後、ホワイトソックスはワールドシリーズに出られたのが1回だけで、その呪いがかかっていると言われてたのだ。イチローがMLBのルーキー最多安打記録を更新した際にジョー・ジャクソンの名前が出たことを覚えている人もいると思う。キャリアが続いていたら、殿堂入りしていた選手だ。
 写真は2006年7月7日の試合。ホワイトソックスのホームグラウンド「ギャランティード・レート・フィールド」(当時はUSセルラー・フィールド)。シカゴ在住の友人の結婚式に出席するために、1泊3日という強行スケジュールでLAからシカゴに行き、そのついでに野球も見に行ったという訳だ。
 この球場、名物オーナーだったがビル・ヴェックがMLBで初めて電光掲示板を設置したことで有名だ。それをまだ使っている。今は老朽化が進んでいて、その面影もないが。

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 正直に言うと、カブスの試合、というか球場(リグレー・フィールド)を見たかったのだ。そこはMLB最古の球場。どうもシカゴは古い球場が好きなようだ。それはともかく、当日は遠征中で、未だに呪いが解けないカブスには縁がなかったようで。先に呪いが解けたホワイトソックスの試合に行ったのだ。シカゴの球団は呪いがかかるのも好きなのかもしれない。ちなみにカブスの呪いも2016年にめでたく解けている。
 球場の外では、当時呪いが解けないままだったカブスを揶揄するTシャツが売られていたが、まさかホワイトソックスが先にワールドチャンピオンになろうとは、ホワイトソックスファンも思わなかっただろうに。このように、おなじシカゴでも、ホワイトソックスのファンがカブスのファンだとは限らない。かくいう筆者も、ドジャースファンだが、エンジェルスは嫌いだった。そしてその昔は、阪神タイガース、南海ホークスのファンだったが、近鉄バファローズ、阪急ブレーブスは嫌いだった。そういう例は多いと思う。
 さて、冒頭の写真、バッターボックスに立つのは井口資仁。彼も、まさかホワイトソックスがワールドチャンピオンになるとは思わなかっただろう。ワールドシリーズのチャンピオンリングは、すでにニューヨーク・ヤンキース時代の故伊良部秀輝が第1号でもらっているが、彼は試合に出場していない。全くの余談だが、LA時代に引退後の伊良部に仕事場で出くわしたことがある。非常に腰の低い人で、あの、憎たらしさは全く感じさせない印象だった。まさかあんな最期を遂げるとは、夢にも思わなかった。
 さて2005年のリングは、シーズン途中まで井口の同僚であった高津臣吾ももらったそうだが、実際に出場してリングをもらった日本人は、井口が最初になるそうだ。
 では、ワールドシリーズ初出場の日本人選手は誰か?
 実は、新庄剛志がサンフランシスコ・ジャイアンツ時代に出場している。
 アメリカにもう一度行くとしたら、真っ先に球場に行きたいと、ずっと思っている。球場の思い出はつきない。
 
拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「呪いが解けた街で」(2007年02月14日 12:01付)に加筆修正した。

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