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アジアと日本の歴史⑥ パラオ~日本の統治を懐かしむ太平洋の島国

 1994 年、ミクロネシアに人口15,000 人の小さな独立国が誕生しました。パラオ共和国です。
 日本からはグアムで飛行機を乗り継いで、約1時間40 分で首都・コロールの空港に到着します。パラオは美しい珊瑚礁に囲まれた、たくさんの島々か
ら成りますが、それらを全て集めても、淡路島くらいの大きさです。近年は、ダイビングスポットの1 つとして人気を集めており、我が国からもた
くさんの観光客が訪れています。
 アメリカの信託統治領から独立したパラオですが、敗戦までは、我が国の委任統治領でした。前大統領クニオ・ナカムラ氏は名前からしてわかるように日系人です。現地の人も、日本人からもらったり、名付けてもらったりした日本風の名前を、今でも誇らしげに名乗っています。筆者がであった上院議員は、ウメタロウさん。しかしこれは彼の名前ではなく、苗字なのです。
 第1世界大戦が終結し、大正6(1919)年に対ドイツ講和条約(ヴェルサイユ条約)が結ばれました。戦勝国として参加した我が国は、中国・山東省にあったドイツ権益を継承し(後に中国に返還) 、またドイツ領南洋諸島の委任統治権を得ました。この一部が、現在パラオ共和国となっています。
 日本の統治はパラオに大きな足跡を残しています。今日でもお年寄りは日本語を巧みに操りますが、もともとパラオ語に語彙が少なかったこともあって、その2割は日本語の単語です。たとえば、パラオ語では野菜の入ったスープのことを全て「ミソシル」と言います。新語や形容詞、接続詞、さらには裁判用語や幼児語に日本語の語彙が多くありますが、次第に英語化しているようです。
 一方、唯一の公立高校であるパラオ・ハイスクールでは、日本人の先生を迎えて、日本語の授業にも力を入れています。
 一般的にいって、パラオ人は親日的です。特に年輩の人たちは日本統治時代を懐かしんでいます。彼らは、アメリカ統治時代に、テレビなどを通じて入り込んだ、アメリカ文化の悪影響で、若年層の様々な問題(フリー・セックスの風潮やドラッグなど) を引き起こしたと考えています。「日本統治時代はよかった」という言葉には、道徳や厳しいしつけが秩序を保っていたという意味があるのです。
 素朴で人なつっこい、笑顔、それが多くの人が感じるパラオ人の第一印象ですが、彼らは非常に誇り高い民族です。
 パラオ共和国文部省は、2007年、建国後初めての国定「国史」教科書を作りました。アメリカ統治下では、歴史の授業は「アメリカ史」をそのまま教えていました。その中で、「日本人によるパラオ人差別」や「パラオ人虐殺事件」といった、日本の自虐的歴史教科書のような、眉唾ものの反日的歴史教育が一部の教師によって行われていたようです。もっとも、子供たちが家に帰って家族に話すと、お年寄りたちに、「そんなことがあるもんか」と一笑に付されていたようですが、「国史」が教えられず、アメリカ史が教えられる状態は、独立後も続いていました。
 「歴史を奪われたままでは真の独立国とはいえない」と、パラオ人たちはミクロネシア研究の成果を充分に盛り込んだ、立派な「国史」教科書を作り上げたのです。
 「国史」なくして「独立」なし。我が国もパラオ人の気概に学び、1日も早く「国史」を取り戻さねばならないのではないでしょうか。

連載第38 回/平成11 年1月5日掲載

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