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日本人の大発見⑤ 旨味を科学した先駆者は漱石と人生を語り合った・池田菊苗

 人間の味覚は、甘味、酸味、塩味、苦味の4種であるとされてきましたが、今では5番目の味覚として、「旨味」が認められています。それをすでに100年前に発見していた化学者がいます。それが池田菊苗です。
 池田は元治元(1864)年、京都の室町に薩摩藩留守居役の次男として生まれました。明治6(1973)年、征韓論争に敗れた西郷隆盛が下野すると、父もそれに同調して官職を辞し、大阪で宿屋を始めました。
 すでに東京や京都で英語や漢字を学んでいた池田でしたが、大阪で運命的な出会いをします。大阪衛生試験所長兼造幣局技師であった村橋次郎です。村橋から化学実験の手ほどきを受け、化学の面白さに取り付かれた池田は、上京して学問を続けたいと思いが強くなりました。しかし、「士族の商法」に失敗した家から学費は出ません。そこで池田は、自分の寝具を売り払って上京し、明治15年に大学予備門(後の旧制第一高等学校)に入学しました。
 成績優秀だった池田は奨学金を受けることになりましたが、明治18年に東京大学理科大学(現東京大学理学部)に進学した年に、父が莫大な借金を背負って、家族を引き連れて上京し、池田のもとに転がりこんできたのです。さらに学制改革で給費制度がなくなったため、池田は得意だった英語を教えたり、翻訳をしたりして糊口をしのぎました。
 苦学しながらも、池田は大学院を経て、明治23年に高等師範学校(現筑波大学)で化学を教えることになり、3年後には母校の助教授となりました。
 明治32年、池田はドイツヘの留学を命ぜられ、その2年間を、最新鋭設備を備えた研究室で学び、大いに得るところがありました。
 帰途、ロンドンに立ち寄った池田は、たまたま同じ文部省給費生として留学中だった若き英文学者と出会いました。2カ月ほどの同宿生活でしたが、すっかり意気投合した2人は、毎日のように人生や哲学を語り合いました。この英文学者こそ夏目金之助。後に文豪と呼ばれる夏目漱石でした。
 さて、明治34年に教授に昇格した池田は、コロイド化学など物理化学の新知識を教授しました。また、純正化学か無駄な学問ではないことを示すため、その応用についても関心を抱き、まもなく自らそれに携わる決心をしました。
 明治40年、池田は食物の「旨味」についての研究を始めました。研究対象に選ばれたのは昆布。京都生まれで大阪育ちの池田にとって、なじみ深い味でした。そして昆布の浸出液の組成は簡単なものであろうと推測したからでした。翌年、池田はその「旨味」の正体がグルタミン酸イオンであることを突き止めました。
 池田はこの発見を「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法」として特許申罰し、明治41年7月に認可されました。翌年には鈴木三郎助という実業家の協力を得て、池田はこれを「昧の素」という名称で発売しました。今日、世界中のキッチンや食卓にある化学調味料(MSG)の元祖です。
 その後も理化学研究所の設立に参画するなど、化学とともに歩んだ池田は、昭和11(1936)年に71歳で亡くなりました。池田は今、東京都豊島区の雑司が谷墓地で、ロンドンで人生を語り合った友・夏目漱石と同じ眠っています。

連載第122回/平成12年10月11日掲載

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