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教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第9章 島津の進入と大島・沖繩③

3、幕府及び島津と沖繩の関係

【解説】
 引き続き、冷静な筆致で、沖縄が薩摩の支配下に陥ったことを記している。文意は伝わるが、わかりにくいところは整理した。薩摩藩の支配の中で、貿易の利を考慮して、支那風の風俗を残したことは、近代になって大いに副作用として残ることになるようだ。
 突然蔡温を登場させてしまうのは相変わらずの勇み足だが、そのまま記載した。

【本文】
 島津に降伏した後、沖縄は独立国だったのでしょうか、それとも薩摩藩の一部となったのでしょうか、或いは日本の一部になったのでしょうか。
 尚寧が鹿児島で捺印した降伏文書には、「琉球は昔から島津の附庸国(ふようこく)」であり、「薩摩の藩主が代わるたびに使を出して礼儀をつくしていたが、豊臣秀吉の時、命ぜられた役(兵糧)を遠国だということで行うことができず、今回、琉球国は破却(はきゃく)」された。「今後は島津の定めた法令をかたく守る」ということを誓っています。
 この文書だけを見ると、もちろん独立の国ではありえませんが、「昔から島津の附庸」というのは、薩摩側が一方的に主張していることに過ぎません。ではこの降伏のあとはどうでしょうか。
 島津の領地になったのかというと、形の上ではそうではありませんが、実際はそれに近くなっています。将軍徳川秀忠から島津ヘは、「薩摩、大隅、日向の外、琉球12万3700石を領知させる」という書状を出しています。各藩主が領地を将軍から安堵されているのと同じように、島津は沖縄も領地としてもらい、島津のその配下の尚寧王は「沖縄、伊江、慶良間、伊是名、久米、伊平屋、渡名喜、宮古、八重山」の8万9086石を領地としてあてがわれているわけです。
 これで見ると王国というのはかざりにすぎないことがわかります。
なぜ王国のかざりをのこしたか。王国としておく方が、島津には都合がよかったのです。
 その理由は、支那と貿易ができることです。琉球は明、後に清の朝貢国にだから貿易をることができましたが、島津の領地となってしまったら、今まで通りの朝貢貿易ができなくなる可能性がありました。もうひとつの理由は、沖縄を外国として扱うことで、島津が名誉を得て、幕政において、他の大名より優位な地位に就こうという思惑もありました。
 それなので、琉球から江戸に上る際の行列も、正副使以下の重役はわざと支那服を着せ、城内でも支那の音楽を演奏させました。また普段も日本風のことをさせないように、気を配っていたのです。
 将軍が代わると沖縄から慶賀使が江戸に行き、また琉球の王が代わると謝恩使が行って将軍に礼を言いました。新王即位の際には島津の承認を得ることになっていましたが、これは将軍から島津に任せてあるので、王になることを許してくれた将軍のところに行って礼をのべ、御恩を感謝するというわけです。
 だから「王」という称号は、自分で持っている権利ではなく、与えられたものでした。実際、尚質王までは国司と呼ばれていたという事実もあります。後に宰相となる蔡温も、国王は「王国のかざり」と述べています。

【原文】
三、幕府及び島津と沖繩の関係
 島津進入ののちの沖繩は独立の国であるかそれとも島津の一部となったのか、或は(ママ)日本の一部になったのか。尚寧が鹿児島で印をおした降伏文書には「琉球は昔から島津の附庸国(ふようこく)で」「さつま藩主がかわるごとに使を出し礼儀をつくしていたが豊臣秀吉の時、命ぜられた役―兵糧―を遠国なるが故にはたし得ず、今回、琉球国破却(はきゃく)せられ」といい「今後は島津の定めた法令をかたく守る」ということをちかっています。
 これで見ると王国というのはかざりにすぎないことがわかります。
 なぜ王国のかざりをのこしたか。王国としておけば島津には都合がよいわけがある。
 一つは、中国との貿易が出来る、島津の領地となったのでは貿易をとめられるおそれがあります。二つには、沖繩を外国あつかいすることによって島津が他の藩に対し名誉をあげ、又幕府にたいしては藩主の位をのぼせてもらったりする口実にもなります。
 それで江戸上りの行列も正副使以下の重役はわざと中国服をきせ、城内でも中国音楽をやらせ、ふだんでも沖繩に命じて日本風のことをやらせないようにと気をくばっています。
 徳川将軍がかわると沖繩から慶賀使が江戸に行き、又沖繩の王がかわると謝恩使がまいり将軍に礼をいう。即ち新らしい(ママ)王が立つときは島津の承認をえるが、これは徳川将軍から島津に任せてあるので、王になることを許してくれたもとのところに行って礼をのべ、御恩を感謝するわけです。
 それで王という名をとなえるのは、自分でもっている権利ではなくあたえられたもので、尚質王までは国司といわしています。蔡温も「王国のかざり」といい、これはたゞかざりであることをみとめていました。


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