1年経ったらしい

noteで初めて記事を書いてから、1年が経ったらしい。最初の方はほぼ毎日書いていたのが、最近では自分の時間が出来たときに、書きたいときに書くというスタンスが定着している。その結果、月に2本くらいしか書けなかったこともある。

毎日書いている人、週に何回も書いている人に比べたら、1年間続けましたという言葉の重みは薄まるかもしれない。胸を張って1年間取り組みましたとも少し違うかもしれない。それでも、日々何かを感じながらそれをアウトプットする場を自分なりに意識しつつ生活できたことは大きい。

一番はじめに書いた日常生活を何となく過ごすのではなく、一つ一つにピリオドを打ちながら過ごすということは出来ていたと思う。

noteを書くためのネタ探しというよりは、ふと素通りしそうな物事に関して自分なりに考えを落としこんで書いてみるということ。書くこと、アウトプットすることによってより自分の体験、経験や思いをより高い解像度で刻める。

自分にとって書くこととは、何なのだろう。小さなころから書いたり表現したりすることは好きで、わりと最近までそれを生かして仕事をしたいと思っていた。

それが、手の届くところにようやく立った時、自らそれを手放す選択をすることになった。大学の勉強を生かすにはこの上ない会社で、大学入学前の自分がそれを聞いたら飛び跳ねて喜ぶような業界。

でも、絶景が見られると確信して登った山の山頂から見える景色は、期待値が高かった分、綺麗と思うことが出来なかった。

それは自分の弱さでもあると思うし、逃げたと言われても仕方がない。とにかく、今は文章とは全く関わりがないとまでは言えないけれど、当初想定していた仕事とはだいぶ、違うことをしている。その選んだ道で出会った人や得た知識や経験は今の自分にとっても間違いなく財産だし、今の自分を後悔はしていない。

それでも時々、猛烈に書きたい感情に襲われることがある。感じた気持ちや経験を、言葉にして残したいという衝動。やっぱり自分にとって「書くこと」は「好きなこと」で、そういうモノとはどうやったって離れられないらしい。

好きなものは好き。シンプルでもそれが自分にあって良かったと思う。これからも書くことが好きでさえいれば、きっとこうして少しずつnoteを書いたりしていくのだと思う。1年間は、思いのほかあっという間だった。どれだけ続けられるか明確なビジョンがあったわけではない。でもとりあえず、来年の今ごろもどこかで文章を書いていて、なおかつそれが好きなことであったら最高だ。

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