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『ファウスト』とビデオゲーム

こんにちは。
本題に入る前に、改めて簡単な自己紹介をします。私の名前は林純平です。『ゲッコーパレード』という演劇集団のメンバーとして活動しています。
去る9月に『山形ビエンナーレ2022』という芸術祭が山形市で開催されました。私はゲッコーパレードの一員としてビエンナーレに参加し、会期中に上演された演劇公演『ファウスト』に俳優として出演しました。
この記事は『ファウスト』制作中に、私が『ファウスト』とあるビデオゲームを関連させて考えたことをテーマに書いたものです。

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あるものは知識の限界を感じ、悪魔と契約してこの世のあらゆる経験を追い求めます。
あるものは研究のため古文書の中に身を潜め、俗世から距離を置こうとします。
あるものは昔ながらの教えを守り、慎ましやかで信心深い生活を送ります。
あるものは人とは違った形で生じた自分の命に、答えを見つけるための旅に出ます。

山形ビエンナーレWEBサイト ゲッコーパレード『ファウスト』

これは『ファウスト』のチラシやWEBに記載された文章の一節で、ゲッコーパレードの演出家である黒田瑞仁によって書かれたものです。
この文章を公開する前、メンバー全体で内容の確認をしました。私は文章を読んですぐ、脳裏にあるゲームのことが思い浮かびました。
それは『ファイナルファンタジーIX』というゲームです。
この文章を読み、なぜ突発的にこのゲームが思い浮かんだのか。その時はあまり言葉にできませんでした。しかし振り返ってみると、作品制作に取り組むうちに当時の自分のなかで出来上がりつつあった『ファウスト』の姿が、私の抱く『FFIX』像と近いものだったからだと今は思います。この文章の一節は、そんな両作の繋がりに気づかせるきっかけとなりました。

『ファイナルファンタジーIX』(以下、『FFIX』)は2000年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)から発売されたプレイステーション向けのゲームです。

『FFIX』は中世ヨーロッパ風の世界設定で古典的な雰囲気を持ち、ゲーム序盤にプレイヤーが操作するキャラクターは姫、騎士、魔道士、盗賊….と、いかにもファンタジーRPG然とした設定と出で立ちをしています。馴染みのない方に説明すると、『FF』シリーズは基本的にタイトルごとの物語の連続性はなく、一作ごとに独立しています。そのため、同じシリーズなのに設定が全く異なるということが起こります。例えば、本作以前の『VIII』と『VII』はSF調の設定のゲームで、本作のそれとは対照的なものでした。『FFIX』のように中世ヨーロッパファンタジー風の世界設定の作風は、『FF』シリーズのなかでは多くはありません。むしろ古典的であることを強調しているのが本作の特徴だといえます。

さて、『ファウスト』の舞台も中世ヨーロッパです。無論、それだけを共通点にあげるわけではありません。『ファウスト』の作者であるゲーテの生きた18~19世紀には、戯曲の下敷きとなったファウスト伝説は民話として広く親しまれ、そこからさかのぼること200年前、劇作家クリストファー・マーロウによって著名な戯曲が書かれています。ゲーテ自身も子供の頃に人形劇団による上演を観ていたらしく、ファウストにまつわる物語は当時から見ても古典といえる存在だったのではないでしょうか。そしてゲーテは古典として知られたファウスト伝説を自分なりに捉え直し、生涯をかけて『ファウスト』を書きあげました。ことに時代の移り変わりの早いゲームとは容易には比べられませんが、『FFIX』もまた、過去のシリーズやファンタジーRPGの古典的な部分をあえて取り上げ、再解釈したゲームだといえます。

今回ゲッコーパレードでは、ヨーロッパの中世演劇を念頭に『ファウスト』第一部の制作を行いました。中世演劇は祭りのなかで催され、擬人化された美徳や悪徳といった概念が登場し、民衆に宗教的・道徳的な教訓を伝えるものだったといいます。こうした概念はキャラクターとしての型や役割が決まっていて、大げさでわかりやすい演技で表現されていたようです。
こうした要素を取り入れ、今回の『ファウスト』第一部での登場人物たちは、物語のなかでわかりやすい役割を持ち、観客に定まった視点から鑑賞されるものとして現れます。対して第二部では物語の内に収まらず、それぞれの人物が別々に存在することで、会場の作品や観客と対等な関係になります。

『FFIX』の冒頭は、登場人物たちによる演劇シーンによって幕を開けます。中世演劇とはまた異なる、おそらくシェイクスピアを意識したステレオタイプな芝居がかった台詞を彼らは発し、パロディ化されたRPGの戦闘シーンを行います。元々わかりやすい設定と役職を持つ『FFIX』の登場人物たちですが、その上さらに類型化されたキャラクターを演じます。プレイヤーキャラクターは総勢8名登場し、どのキャラクターもみな役どころに合わせデフォルメされた容姿をしています。彼らは共に旅をしながら『FFIX』の物語を紡いでいきます。しかしゲームを進めるにつれ、彼らが見た目通りの役割にとどまらず、各々が探し求めるものも一様でないことがあらわになってきます。本作のオープニングムービーでも、それぞれの登場人物に合わせたキーワードと台詞が添えられたビジュアルが流れ、ひとりひとりが別個の物語を内包していることが示唆されています。

『FFIX』が課した物語を果たす旅は、登場人物たちの目的ではありません。旅も物語も、彼らが自身の役割に対し問いを投げかける手段です。

物語の世界から与えられた役割を登場人物たちが自覚しつつも、その役割に収まらない自分と世界の関係を探り続けるという点は、今回ゲッコーパレードが上演した『ファウスト』と『FFIX』で近しいと感じるものでした。

制作の途中から上演に至るまで、こうした考えがずっと私の中で通底していました。私は出演者として、またゲームプレイヤーとして『ファウスト』をこのように解釈し上演に臨みました。


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『ファイナルファンタジーIX』公式サイト
iOS,Android,Steam,Nintendo Switch,Playstation,Xbox 各プラットフォームで配信中。

山形ビエンナーレ2022 WEBサイト『ファウスト』

READYFOR「山形の芸術祭会場で演劇『ファウスト』の記録を残し、届けたい。」
ゲッコーパレードでは現在クラウドファンディングに挑戦中です。更新情報のページには今回の記事と同様の文章を載せています。リターンとして記録映像の最速視聴権、演出ノートなどを掲載した公演パンフレットを用意しています。パンフレットには今回の【『ファウスト』とビデオゲーム】の記事に加え、同様のテーマの記事を追加収録します。目下、製作中ですのでよろしくお願いします。



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