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「水道橋博士のメルマ旬報」第十七回

「村中誠展」

Gallery Goto

住所 銀座1-7-5 銀座中央通りビル7F
電話 03-6410-8881

2022/08/01(月)〜8月10日(水)12時〜18時
日曜日休廊 
最終日16時半まで

8月6日(土)15時(ギャラリートーク)
参加申し込みは画廊まで。

いよいよ、日本での僕の展覧会が近づいてきた。絵を描き始めた約二年前に、日本の、東京の、銀座の画廊で展覧会をすることになろうとは、想像すらできなかった。絵を描くか、描かないか。あの日、あの時、もしも絵を描き始めることを選択しなかったら、僕は今こうしてメルマ旬報の連載陣に加わり、文章を書くこともなかったのだ。新しい感染症の蔓延があって、外出制限のせいで仕事ができず、思いがけずできた時間をどのように過ごすか。そして僕は絵を描くことを選択した。それは偶然であるようにも思えるが、僕がした選択だ。

僕らは毎日の暮らしのなかで、何かしらの選択をいつもしている。毎日膨大な回数の選択をこなすあまり、何を選択して何を捨てたのかを気にすることもなく、当たり前のように、工場の流れ作業のように行われる取捨選択の結果として人生が続いていく。だからそれを偶然起きた出来事のように感じることもある。

面白いのは、その時はほんの些細な選択であっても、後から思い返すと、とても重要な選択だったりすることがある。どの選択が重要であり、重要でないかは、その時には分からず、後になってから結果として気がつくものだ。だから選択する時には結果を考えすぎず、気軽に決めても良いと言ってもいいかもしれないが、闇雲に何の考えもなく決めてしまっても、見通しの立たない日々は生き難くて仕方ないから、適当であるためのさじ加減は重要だ。

「良いことも悪いことも正しい時に起こる」と僕は思っているが、それも日々の数々の選択の結果として起こる。だからこそ、その選択は誰かでなく、自分でしたい。良いことにも悪いことにも自分が責任を持つ。間違えるにしても、正しく間違えたい。僕がパリやワシントンや東京で展覧会ができたことは、その日々の選択の結果と言っても良いのかもしれない。

絵を描くときも、それは同じで、色々なことを選択しなければならない。

まずは何を描くか。それは描き進める中で後で考えるという選択をする場合もある。
そして、どの大きさの、どんな素材に、何で描くか。
大まかなことを決めたら、今度は、どこからどのように描き始めるか。
そして筆圧の加減や、どこで描き止め、色を付けるのか付けないのか、選択することは多岐に及び、本当に細かく言おうとしたら、言い切れないほどの回数の選択がある。

それらの選択の後に、良い絵やそうでない絵が生まれる。面白いのは、正しい選択をし続けたからといって、良い絵が描けるとは限らないということだ。これは、絵だけではなく、人生の色々なことに当てはまることなのかもしれない。

正しい選択の「正しい」は人によっても違うし、それは環境や年齢や考え方が変わることで常に変化していく。その変化に敏感にいられたらいい。正しさを臨機応変にとらえることが、生きていく上では必要な気がしている。

僕の展覧会にどれぐらいの人が来てくれるかわからないが、来場してくれる人々はきっと僕の絵に出会ってから、いくつもの選択をした結果として画廊で僕と僕の絵に会うことになる。SNSで僕の絵を見かけ、もっと見てみる。僕のアカウントをフォローする。展覧会の情報を知る。行ってみようと思う。カレンダーを見て来場する日を決める。誰と行くのか、何で行くのか、どんな服を着て行くのか。

それは、偶然の出来事のようにも感じられるが、全ては見にきてくださる人の選択によってもたらされた結果だ。その人たちにとってそれが正しい選択であるかはわからない。けれども面白い選択であったと思ってくれたら嬉しい。数々の選択を経て会場に足を運んでくださる人との出会いを、僕はとても楽しみにしているし、その選択をしてくれたことに感謝したい。

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