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国語赤点野郎を職業ライターにさせるに至った神的国語専門塾の話



過集中と私の脳みそ。


うちの裏庭 by れっど
子猫の墓があります。


こんにちは。
今日は実家にいるんですが朝8時ぐらいから午後1時まで過集中でケルヒャー(高圧洗浄機)を使って玄関前と階段の掃除をしていました。

過集中した後はマグロみたいな状態なので、突然座ったりとか落ち着こうとすると、急にふわふわしたような感覚になります。(今ご飯を食べているのですが、どこかぼーっとしているような感じがしています。)

一般的には(?)落ち着こうとすると食欲も出たりすると思うのですが、私の場合は、過集中モードになっていると「戦闘モード」っぽくなるので、食事が最低限しか食べられない状態になります。

外でケルヒャーをやっていた時には、『絶対にそばを食べる!』と思っていたのですが、家に戻って手洗いなどをしたら、急に『あまり食べられないな』と思ってしまって、結局スーパーでお寿司とお刺身を買ってしまいました。すごく動いてお腹が空いているはずなのに です。

このモードの時には、体が疲れるまで動き続ける必要かあるので、本当は今日やる予定ではなかった、来月用の資料作成をやってしまおうかなと思っています。

人生初。子どもたちに「国語」を教える。


by アレルギーっ子の旅する情報局CAT
主催する体験系プログラムの講師陣(右下がれっど)


実は来月の1日に、アレルギーを持つ、小学生から中学生が主体となるフリーペーパー制作プロジェクトの一環で、ライティング講師を勤めることになっています。

ライティングの講義というと難しいイメージを持ちやすいかなと思いますが、文章の書き方というよりかは"作文の仕方"のようなところを講義することになりそうだなと思っています。

高校退学を言い渡されそうになるほどに、主要三科目が苦手人間だった私

by れっど

私自身は小学生の頃、中学受験のために学習塾に通っていましたが、国語は算数同様にあまり得意ではありませんでした。

しかし、中学受験では4科目で受験し(当時の科目は国語算数理科社会)理科と社会の点数が非常に良かったため、国語と算数があまりよくできていなくても、第一志望(中高一貫女子校)に合格できました。

ですが、中学に入学するやいなや、苦手な国語数学英語について成績が悪く、どの科目も常に赤点ギリギリ。小学生の時同様に補習を受けるような人間でした。(なお、芸術科目などセンス系は問題なく、10段階評価の8〜9を維持していました。)

中学から高校に進学する際に内心が悪いものは落とされ、また、高校1年生の1学期から各学期で進学審査が行われ、成績が悪い下から5〜10番目 ほどの生徒は、退学の危機に遭いました。

私も例外でなく、高校1年生の1学期に教頭先生との面談が行われ、『期末テストの結果次第で学校やめていただく』と言い渡されました。

教頭面談に呼ばれた母は「どうにかしなければならない」と考え、私を塾に通わせることにしました。結果、英語は英語専門塾、国語は国語専門塾で学ぶこととなりました。(数学は高1の2学期から選択をやめられたので、きっぱりお別れをしました。)ちなみに、かなり偶然ですが、この2つの塾は徒歩 1分以内の距離感にあり、とても通いやすかったことを覚えています。

性にバッチリハマった国語専門塾

by れっど

残念ながら英語専門塾に関してはスパルタ形式でついていけず、(またそ、もそもコバエが多い教室だったため、細かいことが気になってしまう私は環境が非常にあっておらず)1年程でやめることになりました→駿台予備校に変えました。

しかし国語専門塾については違いました。

この国語専門塾は、とある哲学者の先生が個人運営している塾。何より、エッジの効いている特徴が"ゼミ形式の授業"であること。他の国語の先生からは受けたことのない、「国語ができない自分」に真摯に向き合い、クラスメイトや先生とのディスカッションを通して客観的視点を育む貴重な機会を与えてくださった内容でした。

私はこの塾に出会えていなければ、今でも言語化力は弱かったであろうと思っています。

日本語は"正しく読めなければ正しく書けない"

by ぱくたそ

この国語専門塾の名前は「鶏鳴学園(けいめいがくえん)」と言います。「鶏鳴、暁を覚えず」という言葉のそれです。

高校1年の初めからスタートしたゼミでは、まずはじめに『1つの小説について精読をしましょう 』という内容が行われました。

その小説の名は、昨年、スタジオジブリがアニメ化の元題材としたことで話題になった「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎 著、岩波文庫)。

by 楽天ブックス

今でこそ手に入れやすくなった本書ですが、当時は発行部数も少なく、在庫を見つけるのは少々難儀でした。

この本の著者・吉野源三郎氏は、国語が苦手な人でも理解できるシンプルで論理的な文章でかき上げていらっしゃいました。

ゼミでは、本書の中でも、特に構造の特徴が分かりやすく、かつ、思春期の私たちの意見が別れそうな場所に関して取り上げ「文章展開がどのようにされていれば相手に伝わるのか」、また「同じ文章でも読む者によって感じること・考えることは違っているのかをディスカッションで明らかにする」ことを、約半年間にわたって取り組みました。

先生の著書が社会人になってからもバイブル化

by 楽天ブックス


「君たちはどう生きるか」を読みながら、塾長先生の著書で日本語の論理構造について解説してくださっている新書版の本「日本語論理トレーニング」(講談社現代新書)を教科書代わりに対応させ、『日本語の文章の作られ方について』学びました。

詳しいことは先生の本を呼んでいただきたいので伏せますが、要するに、日本語の構造は基本的に『対と言い換えと媒介でできている』と、「これでもか!」というほど、しつこく知ることとなりました。

この書籍はいまでも、執筆に立ち止まった際、また、第三者にライティングについて質問を受けた際「戻って来る場所」としてお世話になっています。

ゼミでもう一つ行った、超執筆体験

by れっど


ゼミでは、本書の決まった区間について精読をしつつ、これとは別に、定期的に『作文をする』タームがありました。作文についてのテーマは"自分の中で一番切実だった思い出・出来事"についてでした。

この課題に対する先生の指示内容は、これまた他では聞いたことのないやり方。

A3の紙に、ただ縦棒線を引いただけの原稿用紙が配られ、「何枚でも良いからとにかく詳しくかき揚げてこい」というものでした。

その当時は「どうして一般的なテーマや本の感想文ではなく、または小論文でもなく、個人的な経験をかかせるのだろう」と不思議に思っていました。

しかし、今から考えれば、当時の自分たちにとって"国語のできなさ"を客観的に感じるために『最適な題材だったのだ』と理解できるようになりました。

自分の理解が深いものほど、読み手の気持ちを想像することは難しくなる


by れっど

一般的な題材を書く場合、自分たちも分からなかったなという経験のもとに、読み手がわからないところを想像したりしますが、自分の経験に関しては、最も自分にとって身近な話題でありながら、読ませる相手がある程度のバックボーンを認識していると無意識に錯覚しがち。そのため、周囲の状況についての説明を大幅に省いて記述してしまうことになりがちです。

自分たちが日常的に話している言葉は(特に日本語の特性上ですが)、かなり省略をしながら話しても、意味が通じてしまったり、詳しく話を言わなくても、その時の状況やすでに相手が持っている自分の背景についての情報を無意識に参照してくれているため、特段気をつけて文章を書いてこなかった者にとっては文章化した際に「何が足りないのか」「どうしてわかってもらえないのか、伝わってくれないのか」が分からない状態です。

文章を書く際には、読み手の理解度を想像しながら、"かゆいところに手が届く"ような説明内容も書く必要があります。

書き手の頭の中は読んでいる者には見えず、文章に落とし込まれたものだけが読み手に渡るので、そこに書かれていないものが本当はとても大事なことだったり、また書いてあることの前提や周囲の状況などを盛り込んでおかなければ、言いたいことが伝わらないことになる。

自分にとって切実な出来事というのは、読み手にとっては1つも知識がない状態で聞く話であり、逆に書き手にとっては最も客観視をしにくい内容となります。

だからこそ、このテーマでの作文を国語学び始めた当初に経験することで、「文章が読めないと文章を書くことはできない」「文章を読むことと文章を書くことは、連動するように密接に関係しあっているのだ」としっかり理解することができるのです。

現在、ウェブメディアのディレクターを務めており、様々なの方の記事添削 を行っていますが、文章がよく書けない方に共通していることはみんな「客観視が弱い」というところです。

つまり、相手の立場に立つことが苦手な方が多く、また相手の能力に甘えているところが多いように感じています。

一方で、何も言わずとも90点ぐらいの文章をかける方というのは、相手の思いやりが深く、自分を客観視し厳しく見ている方が多いと思っています。

記事を書くということは、自分の主観から距離を置き、あらゆる立場の方の視点を想像しながら書くということ。

これが苦手な自己中な方はもし 文章を書きたいのであればどうぞ ブロガーをおすすめします。

話はそれましたが、私はこの塾に通ったことで高校1年生の間に自分でも驚くほど国語の点数が飛躍的に伸びました。そして小論文がそれまでよりもスラスラ書けるようになりました。おまけに、今まで抱えてきた自分の中の切実な悩みについても、改めてしっかり向き合うことができ、自己の成長にも繋がったと思っています。

さぁ、そろそろ語りを切り上げて資料を作らねば。


by Photo AC


今度、小学生と中学生にライティングを教える際、この塾で学んだことを軸に、取材記事の執筆方法について"おもしろおかしく"お話できればと考えています。

さすがに単発講義で、切実な思い出について書いていただくことは難しいと思っているので、ポップミュージックや中学受験の過去問題を使用して説明することを、今は想定しています。

これからレジメを作るので、どんな内容になるかは自分もあまり見えていませんが、いつもだいたいノリで作るとそれなりにまとまるので、それでいいかなーと(笑)。

あまり深く考えず、準備しようと思います。

以上

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