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#4 藤黄がいなくなった

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藤黄ふじきにとって私は特別だと思っていたのに、一言もなく消えた。
携帯電話のない時代、探しようもなかった。


周りがいたわってくれることがツライ

私自身、藤黄ふじきにとって自分が特別だと思っていたのだが
周囲もそのように受け取っていたと思う。
私は平日はOLをしていたため事務所で藤黄ふじきに会う頻度は低く
今回の藤黄ふじきの東京行きを事務所から聞いていなかった。

事務所のメンバーの中には引っ越しを手伝ったという面々もいたが
まさか私が藤黄ふじきの状況を知らないとは思っていなかったようで
そこから私に漏れ伝わることは無かった。
とにかく何かといたわってくれる様子が、ツラかった。

『こんな時、藤黄ふじきがいたらこう言うよな~』
藤黄ふじきがいた時に皆がよく使う藤黄ふじきイジリのフレーズも
『こんな時さ~・・・』と視線が私に向かって会話が途切れる。
どんな息を吐いてその場の空気を吸い込めばいいのかわからなくなる。
吐いた息がため息に聞こえたら、強い息を吞み込んだら
そのたびに皆が私を思いやるような仕草をしてくる。
何事もなかったように振舞っていたい私に対して
役者の集まりなのに皆、芝居が下手すぎる。

意を決する

もう、ここにいる理由がわからなくなった私は、東京に出ることに決めた。
親を安心させるためだけに就職していたが、真面目な性格ではあるので
しっかりと2年半働いてコツコツと貯金をしていた。
額としては200万。
コツコツと貯めていたのは藤黄ふじきと出会う前から芝居で生きていく夢を持っていたからだ。当時の日本(今もだろうが)で役者で生きていくと決めても
資金的には厳しい。
所属事務所の中堅どころも奥さんがしっかりと働いて食べさせてもらっている人が沢山いた。
お金は大事だ。

上京してからの目論見

小さいころから吉本・宝塚の舞台を観ていたので
ドラマよりも舞台への憧れがあったこともあり
東京では舞台を中心に役者でやっていけるように動いていくことにした。
1980年代は小劇場演劇のブームでもあり
舞台と言っても商業的なものではなく
小劇場演劇で一旗揚げよう。
そんな意気込みで会社を退職し、事務所もやめた。

鞄一つ、夜行バスで東京を目指した。


小さな鞄一つで東京へ向かうことに

同じ事務所で唯一仲良しだった女優の真朱まそお
夜行バスを見送ってくれた。
涙をいっぱいためて
『遠くないもんな~東京。すぐやで、車で』
ふじちゃんから連絡あったら教えるしな』

東京に出るのはわかってはいたが、どこへ向かっているのか
足元がぐらついている気がして不安でいっぱいだった。

藤黄ふじきを追いかけていると思われたくない

真朱まそおが事務所のメンバーから受け取り渡してくれた
お餞別を暗い車内で開けてみた。
藤黄ふじきと事務所の男優たちが並んで半ケツ出して笑ってる写真があった。裏にはアニキ分の字で”お守り”と書かれている。

バカばっかりしてるな~なんて思いながら、破って捨てた。
藤黄ふじきに会いに東京へ行くのではない。

この時の私は藤黄ふじきへ戦いを挑むような気持だったと思う。
スポットライトが当たる場所に立つ私。
藤黄ふじきを隣に立たせてあげるのは、私だ


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