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#3 私が出来る事、って何?

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いつか、俺があそこに行くから。その時は月白、お前も呼ぶからな


芝居が上達するため、演技力を上げたい、のだが・・

当時は平日にOLをしていたこともあり終業したあと
また別の演劇学校へ通い始めた。
そこでは殺陣、日舞、モダンバレエ、標準語
そして演技指導を受けた。その学校は母体があるテレビ局なので
頑張れば、そのテレビ局のドラマにエキストラとして使ってもらえるのが売りだった。
その演劇学校での演技指導の講師の一人はそのテレビ局で作られるドラマに
端役で出ている役者だったこともあり
私自身、すでに映画やドラマに端役で出演していたためその講師を完全に馬鹿にしていた。

だが演劇学校で吸収したことは、すべて撮影所で役立てるつもりで出来る事が増えていくことは単純に嬉しかったので欠席もせず真面目に通っていた。

演劇学校卒業目前

卒業公演を行うということで、題材を決めるという段階で
私は演劇学校に通うのを辞めた。卒業公演へ出演する気は無かった。
何故、お遊戯みたいな公演に参加しなくてはいけないのか理解できなかった。私は演劇学校の講師だけではなく同期の人たちを完全に見下していたため同じ舞台に上がりたくなかった。
今振り返ると失礼な話だし、配役の事も考えつつ題材を持ち寄っていた同期の人たちにも大変な失礼をしたと思う。
若さゆえの傲慢だし、小さなころから神童だと思い込んでいたうぬぼれ故の
愚かな行為だった。

全ては、藤黄から誘われた時に対応できる役者になる準備

ライトを浴びている彼の隣で、同じくライトを浴びる。
この時の私はそれしか頭になかった。
名前も無いような小さな端役を与えられたら、自分で名前を考え
生まれや育ち、今の状況どういう人間かを考えてからそのシーンに臨む。
いつ監督から声がかかっても『出来ます』と言える準備を続けていた。
藤黄の隣に立っても見劣りしたくない。
自分で出来る事は実力をつける事。

次第に、エキストラからセリフあり、役名ありになってくる。突然、現場でセリフをもらえると、事務所にセリフの申請をしに行く=セリフの分の代金がもらえる。自分で申請するのはあの当時は恥知らずな行為とも言われており『100万年早いわ!!』と怒鳴られながらも着実に爪痕を残していたつもりだった。

撮影所ではアクタースクールから所属の役者になり、3年がたっており、
若手女優と呼ばれるようになっていた。

藤黄と私の関係は?

藤黄とは付き合っていたわけでは無いのだが、常に隣にいる存在だった。
車で出かける際には必ず助手席、外食も隣。事務所のメンバーからも”月白の定位置は藤黄の隣”と思われていた。


私が頑張っている間、藤黄も着実に力をつけ、人脈を広げていた。
大御所と言われる役者に気に入られ、大御所主演の関西での舞台公演に呼ばれるようになっていた。関西での舞台公演で実績が出来た彼は
東京・名古屋と出演しセリフがもらえるまでになっていった。

当然、関西の公演は観劇にでかけ終演後に食事に行くなど、撮影所での付き合い方とは違う二人を感じていたし藤黄がしてくれる舞台の話は、その隣に立つ私をイメージさせ心が浮き立った。

突然の別れ

また舞台公演があるので留守にする、と聞いていたが
藤黄は帰ってこなかった。その大御所の付き人になり東京へと旅立ったと事務所から聞かされた。
舞台公演に呼ばれるようになって、あっという間の出来事だった。

私には、一言も無かった。

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