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いつから双極症なの?①~⑨

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子供の頃の様子、大学生になってからのこと、うつ病を発症したときのことなど、自分のことを振り返って書きました。ときどき見直して文章をより詳しくしています。
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うつが一番ひどくなった「昏迷」状態のことと抗うつ剤「アナフラニール」(やや長文)

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うつ(鬱)になったとき、両家の親に1年間隠していました(双極症)

↑この期間の初めの頃の話です。 つらくて、個人医を受診し 「うつ病ですね」 と言われてから、まずショックを受けたのはパートナーでした。 毎日私のことを見ていたにも関わらず、何も気づかなかったようで、 医師の言葉にひどくショックを受けていました。 思えば、よくパートナーを医者まで連れて行ったと思います。 どうやって説得したんだろう、(具合悪かっただろうに、私)覚えてないです。具合悪いと、色々決められなくなるんですよ。そんな中でよくやれたなぁ。 確かその時は、医師から

いつから双極症なの?⑨/もう認めるしかない

 自分が双極症なことを認めなくてはいけないと思ったのは、シンプルに仕事が上手くいかなくなったからでした。  鬱から復活して、仕事に就いても、2~3か月するとまた具合が悪くなってしまう…、これが数回繰り返されました。あまり繰り返されると、就職できなくなってしまいます。   それで、以下の資料を読みました。 「双極性障害(躁うつ病)とつきあうために」ダウンロード資料 「1. 双極性障害(躁うつ病)だと気づくことが第一歩  私たちは、だれでも気分のいい日や悪い日があります。

双極症なことを認められない日々/私はADHDなだけでしょ?(いつから双極⑧)

8年くらいも、自分が双極性障害なことを認めたくなくて、 ある日主治医に、 「私はADHDなんじゃないですか?ADHDの薬を飲めば、よくなるのではないんですか?」 と聞きました。しかし、主治医の答えは  「違うんですよ…。ADHDではないんです。」 でした。  それでも、自分ではかなりADHDだと信じていました。  前の病院でリタリンは服用したことがありましたが、転院とともに服用はやめていました。  今は、自分は双極性障害だと分かりますが、時計・帽子・手袋・鍵をなく

いつから双極症なの?⑦/1回目の大きな躁が終わった日

 抗うつ剤も止めていたので、ある日突然躁状態が終わりました。居間にあおむけになっていました。(あぁ、やっと躁が終わったんだ…)と思っていました。その時、クレジットカードで、自分ではもう払えない額のお金をどうしたらいいかわからなくなっていました。  家族にずっと隠していたのですが、全部話して、自分で決済手続きもできなかったので代わりにやってもらいました。  すごくみじめでした。  そこから3か月くらい鬱がやってきました。  家から外に出ようとしても出られなくて、ようやく買い物

すぐに「対人関係社会リズム療法」を知りたかった(いつから双極⑥)

 最初の躁状態が終わったとき、「炭酸リチウム」を飲み始めたのかもしれませんが、このときすぐに「対人関係社会リズム療法」の知識があったらよかったなぁと思います。  まず自分が双極性障害だということを認めたくなくて、こういう本やサイトを読むのが遅れたのが悔やまれます。  なぜなら、プチ躁状態がこの後何度も来て、人間関係を悪くしたり、仕事によくない影響を与えたからです。

いつから双極症なの?⑤躁状態になった時のこと

 セカンドオピニオンを受けるため、病院を変えて、住居も変わりました。  もちろん主治医もかわり、抗うつ剤も変わりました。  いろいろな変化がミックスし、また抗うつ剤が変わって、SSRIも出て、 躁状態が現れました。  ひどい嵐のような状態でした。  家出をしたり、浪費をしたり、物を集めたり。  他人にメールを送ったり、電話をしたり。  あぁいうときって、静かに家の中にいるってできないようです。  よく思い出せないのですが、1年以上続いたのではないでしょうか。  躁状態が

うつ病が悪くなって「昏迷」になってしまったときのこと(いつから双極④)

 これは、記事「いつから双極なの?③」の3行目の「そのうつ病がだんだんと悪くなってしまい」と書いているところです。うつ病が悪くなって「昏迷」状態になってしまったことがありました。  「具合が悪いので違う病院に連れて行ってほしい」 という私の願いが、聞かれないまま時間が経っていました。実際、転院の判断も自分では出来ませんでした。あんまり筋道立ってしゃべれませんでした。  新しい病院に行き、数時間待って初診を受け、入院を勧められたものの、家族の反対で入院することができず、家

いつから双極症なの?③始まりは20代のうつ病

うつ病の発症は20代後半でした。 主に過労と、環境の変化が目まぐるしかったからだと思います。  最初は小さな個人医に隠れるようにして通いました。  その、うつ病がだんだんと悪くなってしまい、個人医から少し大きめの病院に転院することになりました。(悪くなって「昏迷」になってしまった記事は、④に書きました。)  主治医も2~3人変わり、薬もいろいろ変わりました。しかし、よくなったかと思っても必ず悪くなるのを繰り返しました。  その頃は「反復性うつ病」かと思っているくらいで、

いつから双極症なの?②大学生のころはどうだったのか

 大学に入るために実家を離れてすぐ、ホームシックがひどくなってうつ症状になりました。毎日泣いていました。  思えばきつい受験勉強が終わった喪失感もあったかもしれません。    大学の教養部には担任の先生がいたので、相談して、大学の中の保健センターに行くことになりました。そこで相談した結果、病院には行かなくていいと言われました。  夏休みぐらいまでカウンセリングを受けましたが、ある日急にカウンセリングは打ち切られました。(この思い出は心の傷になっています)  長期休みに実家に帰

いつから双極症なの?①子供のころはどうだったか

子供のころは、行事の後で必ず熱を出す子でした。 扁桃腺をよく腫らしていました。 もしかしてあれは双極が私の中にあったからかなと思うことがあります。 あとは、負けず嫌い。 感激しやすい。間違いが大キライ。 でもウツになって寝込むことはありませんでした。 子供のころは、環境や親の育児の仕方で違ってくるので何とも言えませんが、親から「行事の後で必ず熱を出す」と責め口調で言われたのだけ覚えています。 ちょっと不調を自覚し始めたのは大学受験のセンター試験の前でした。 それまで必