コロナ禍で存在を消された私たち 患者と医療に従事する者達

検査難民
発症月:2020年4月
ペンネーム:たこわさび

 2020年3月、私はパソコンの前でコロナウイルス感染症のニュース記事を眺めていた。世界中で突然はじまった感染症に対して現実感は全くなく、感染症の予防はしなくてはならないなと思っていた。
なんとなく目にとまったニュース記事の中の一つに、海外でコロナ感染症に感染した女性のインタビューがのせられていた。その女性はインタビューの中で「まるで胸にたくさんのガラスが刺さったよう」と訴えていた。私は胸にガラスが刺さったようとはどのような感じなのか?と、ただ不思議に思っていた。

 それから数日して、私は風邪をひいた。熱もあまりなく、寝込むほどではない様な軽い風邪だ。けれど、その風邪はなかなかよくならなかった。風邪を引いてから2週間後、突然私は胸の痛みに襲われた。ニュース記事で見ていたあの「ガラスが刺さったような痛み」だった。
瞬時にあのニュース記事が思い出され、私は直感的に「コロナに感染してしまった」と思った。

そしてガラスが刺さったような痛みから、次第に焼けつくような胸の痛みに変わっていった。息を吸っても酸素が貯まらないような、肺を風船に例えると風船に穴が空いているような感じだった。そして、両目が猛烈に痛く痒くなった。鏡を見ると両目が真っ赤になっていた。痒くて痛くてたまらない。この日をきっかけに、多岐にわたる症状が次から次へと私を襲うことになる。

 ただの風邪ではないと感じた私は保健所にコロナかもしれないと問い合わせた。しかし、私の発熱は37.0でこの程度の発熱ではPCRの検査対象には該当しないとのことだった。
現在は軽傷者や、無症状の感染も明らかになっているが、2020年の春当時は高熱でなければコロナではないと、保健所でも軽くあしらわれてしまうだけであった。

 今まで経験したことのない症状が次々と発生し、夏を迎える頃には息苦しくて声を発するのも辛くなっていた。食べ物も飲み込むことができない、身体の臓器が痛い。鎮痛剤も効かない。息も苦しく、体内のあちこちが痛い。どの臓器なのか分からないがとにかく痛い。内臓を鎮痛するためにアイスノンを身体に押し当てて過ごしていた。

 軽い風邪からはじまって、まさか数ヶ月でここまで悪化すると思わなかった。家から一番近い内科へ何度か受診したが原因は見つからなかった。医師はストレスなどの心因性も考えられるとのことだったが、私が何より呼吸苦が一番辛いことを伝えると、医師は大きな病院の呼吸科へ紹介状を書いてくださった。

 紹介状を受け取りに行った日の、夜の出来事だった。激しい胸の痛みと息苦しさで呼吸困難になってしまったのだ。このまま死んでしまうと思い救急車を呼んだ。
救急隊が到着した時、私は玄関で身体を丸めてうずくまっていた。苦しい。でも伝えなくてはいけない。2020年春から身体がおかしいこと、病院へ行っても検査に異常はなく原因不明であること、そして未提出の紹介状が手元にあること。息も絶え絶えに、なんとか伝えることができた。

 私は朦朧としながら、検査に異常もないのだから相手にされないだろう、頭のおかしな女だと思われても仕方ないだろうと思った。
私が

「…すみません…私…検査に何も異常がないんです…でも苦しいのも…嘘じゃないんです…」

と伝えると、
救急隊のうちの1人がはっきりした声で言った。

「検査に異常がなかったんだね。でも検査に異常がなくても、あなたが、今、苦しくて辛くて、そう感じているんだからそれは間違いなく真実なんだよ。」

と。
その言葉を聞いて、涙が自然と流れていた。

 私はこの時の救急隊員を一生忘れないだろう。この隊員は、目の前の患者の苦しみや痛みを疑わず信じて肯定している。ただ人を助けたいという純粋な意志がこちらへも伝わってくる。自分すら目をそらしたくなる自分の問題に、正面から対面して助けようとしてくれている、そう感じた。

その後、救急搬送された病院も含め、様々なクリニックや病院で症状を伝えるも、失笑されたりした。
ひどい時は、コロナ後遺症外来の医師に

「後遺症になりたいわけ?」

等と言われた。もはや自分がコロナ後遺症かどうかなんてことはどうでも良くて、この苦しみを緩和するために少しで良いから一緒に考えてほしかった。
 過去の知識やエビデンスも重要だと思う。ただ、私達は1人の人間であり機械ではないのだ。治療関係に対して、医師と患者の信頼関係が大切であるということは言うまでもないが、その基本的な関係の構築を大切にしている医師はどのくらいいるだろうか?


 私は、この先何があっても人を信じる希望を捨てることはないだろう。あの救急隊員の言葉のおかげである。信じて助けようとしてくれた、純粋性と使命感。必ず元気になって助けようとしてくれた気持ちに報いたい。これこそが人を助ける・助けられるということの本質なのではないかと思う。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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