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伴走者を糾弾し続ける末路は

この記事は、だいたい一筆書きの僕が半年以上も下書きのまま投稿していなかった記事です。

2021年6月22日から下書きのまま放置

こりゃ要旨が伝わらなかったら方々に怒られそうな内容だなと思って、公開せずにいました。

なんとなく公開する気になったので、そのまま投稿してみます。



おはようございます。

今日の結論は「その末路の尻拭いをさせられるのは子ども達」です。


約5年前、当時の大阪市立茨田北中学校の校長先生の朝礼講話が、ひどくバッシングされました。

そのことについて、批判され嫌われることを覚悟のうえで、僕が思っていたことを書いてみます。

読んだ後に「緒方の考え方嫌い!ハンサムなのに最低!」と思った方は、そっとフォローを外して頂いて大丈夫です。

読む前に「緒方を嫌いになりたくないんだけど…ハンサムだし…」という方は、読まずにお戻りください。

「緒方の考え方はどうでもいいけど、そもそもハンサムじゃねーだろ!」という方は、サポートのメッセージでそっとお伝えください。
※ サポートは全額を被災地等に寄付します。

まずは校長先生の話を全文転載します。

全校揃った最後の集会になります。
今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。

女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。

「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。
子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。

もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。

次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。
以上です。


この発言の後、校長先生は保護者や教育委員会から指摘を受け、週刊誌やメディアから総攻撃された末に、教職を辞することになります。


▼ 要旨は教師に伝えてほしいこと

失言に目が行きがちですが、
まずは話の要旨を整理します。

① 少子化を防ぐことが日本の未来を左右する。
② 対策は子どもを産み育てるようにすること。
③ 仕事ができる力をつけておくことが大切。

だと思います。

僕はこの要旨には概ね賛成です。
(細かい条件は省いたうえで)

少子化は対策しなければ「確実に」やってくる致命的な時限爆弾で、この問題を知らないフリをして、子や孫に次の時代を手渡すのは無責任だと思っています。

なので親として、子供が「自分も子を育てるんだ」と自然に思えるように、僕の人生を見せてあげようと思っています。

僕は子供のおかげで幸せになれたので、その気持ちも伝えたいです。

そして学校の先生にも、少子化がもたらす悲惨な未来について、子供たちに伝えて欲しいです。

少子化や出産・子育ては、生き方・性・ジェンダー・仕事・政治・経済・福祉…さまざまな要因が絡む、人生においても社会においても難しい課題です。

「少子化」を自分ごととして捉えられるように、先生方からも教えていただければ嬉しいと僕は思います。

中学校は最後の義務教育。
最後の全校集会で、この要旨を生徒に投げかけたいという校長先生の気持ちは、理解できます。

※ くれぐれも、子供を産み育てるべきという話ではありません。


▼ 教師は失言してはいけないのか?

茨田北中学校の校長先生の件に話を戻します。

主旨が問題なのではなく、
失言が問題なのだと思います。

たとえば「女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。」は、全く同意できません。

最も大切なことは人それぞれでいい。
女性を一括りにして、出産が最も大切だというのは暴論だと思います。

まさに失言です。

この他にも、所々で失言が目立ちます。

ところで、教師は失言をしてはいけないのでしょうか?
常に万人に受け入れられる発言をしなければならないのでしょうか?

僕はそうは思っていません。

親が日常的に失言するように、
教師だって失言するでしょう。

もし僕が校長で、「限られた時間内で、中学生に日本の出生率が危機的状況であることを自分事として考えてもらうだけのインパクトを与えたうえで、一切の失言や誤解を生んではならない。」という高度な要求をされたとしたら…

僕は「とりあえずインパクト重視で、誤解とかはご家庭で解いてもらう感じじゃダメっすか?」とか言っちゃいそうです。

あなたは子どもに
「間違ったことを言ってしまった」
と反省したことはありませんか?

「自分の価値観で言ってしまった」
と後悔したことはありませんか?

もし同じように教師が失言をしたのなら、親が修正すればいいと思います。

「校長先生が言ったこと、どう思った?」
「あなたにとって最も大切なことは何?」
「子育ての後に医師になるってどう感じる?」

一緒に考えるキッカケにすれば良いと思います。

「価値観の押し付け」ではなく、
「学びの機会」に変換することが、
親にはできます。

そんなキッカケを作ってくれる先生がいたら、
とても心強くないですか?

それとも失言せず誤解を与えない代わりに、誰にも響かない話しかしない先生の方が良いのでしょうか?


▼ 否定したことで閉ざされた

5年前のあの発言以降、学校の先生方は出生率や少子化について発言しにくくなったと思います。

あの校長先生は、経歴や家族、過去の発言など無関係なことまで公表され、教師としては社会的に抹殺されてしまったのですから。

出生率なんか話した日には、辞めさせられる。


これで僕たち親は、子ども達が背負う課題に関して、教師という大切な伴走者に足枷を付けたことになると思います。

「学校では大切なことを教えてくれない」
が加速しているように感じます。

これは教師のせいでしょうか?
あの校長先生のせいでしょうか?

僕は違うと思います。

他人の失敗が大好きな、
成功者の転落が大好きな、
誰かのせいにすることが大好きな、
僕たち国民の過ちだと思います。

▼ 向き合うのは大人達

僕は批判を批判したいわけではありません。

この失言に対する批判は納得できます。

ただ当時は「批判・糾弾」と「同意・擁護」とに二分されているように感じがしていて、とても気持ちが悪かったのです。

ここは同意できないけど、ここは同意できる。
ここは問題だけど、ここは示唆に富んでいる。
怒りを覚える発言の中にも学びを得られる。

そういう捉え方ができないと、
誰も声を上げられなくなりそうです。

この問題に向き合うのは、大人達。

尻拭いをさせられるのは、子ども達。

※ くれぐれも、全ての大人が出産・子育てに関わるべきというお話ではありません。乱文ですが要旨を汲んで頂ければ幸いです。






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