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「残ってる」こと、忘れたこと


YouTubeに動画をアップロードしていれば、どの動画がどれくらい再生されているのかを確認出来る。

ふと空き時間にそれを見るのが癖なのだが、普段あまり再生されない動画が見られていたことに気が付く。

吉澤嘉代子の「残ってる」をピアノで弾き語りした動画だ。

最近はピアノに触る機会といえば作曲のために和音やメロディなどを確認するくらいで、まともに演奏することは無くなっていた。もともと小さい頃からピアノを習っていた人間ではないし、人前で見せられる腕前でもないと思っていた。

動画を見ると、ちゃんと弾けているし、ちゃんと歌えているし、案外悪くない。聴けるクオリティだった。

なんだ、俺ってこれくらいやれたのか。
すっかり忘れていた。

そもそも「残ってる」は、僕にとって大変思い出深い曲だった。別れた恋人と付き合い始めたときに僕がハマって聴いていて、彼女にもおすすめして、彼女も気に入って聴いていた。

僕がこの曲を弾き語りしたのも、彼女への未練からくるものに他ならない。

ジャンルは違えど、もともと音楽を通じて知り合った関係であったし、僕が音楽をやっている姿を見て好きになってくれたのが付き合うきっかけになった。

だから別れてから彼女を「見返す」(という言い方はどこかしっくり来ず、おかしな言い方だが)改めて「見初めてもらう」ためには、やはり音楽しかないと思った。

だから僕はそれまでだらだらとやっていた音楽を、本気でやることにしたのだった。

しかしモチベーションの源がそれだったから、ときどき我に返って「こんなことは意味が無い」、「頑張ったってやり直せるわけじゃない」、そう思って曲作りもライブもなんのためにやっているのかよく分からないまま、かと言って辞めることもできないままだらだらと続けていた。

ただ活動を続けていくうちに様々な出会いがあり、自分の内から湧き出た感情もあり、次第に純粋な音楽への欲求が高まっていった。

今でも未練がないと言えば嘘になる。
別に格好つける必要も無いので赤裸々にいえば、今でもときどき写真を見返したりメッセージを読んでいたりする。作る曲だって彼女にまつわるものが多い。

「見初めてもらいたい」という気持ちは''残ってる''けど、しかしそれは音楽をやるモチベーションの中のほんの一部となった。

以前は彼女への未練を冷まさないように、あるいは''覚まさない''ようにしていた。

抱えた未練やそこからくる苦しみを自分のアイデンティティのように感じていた。

でも今は違う。僕を形作るものが他にあることを、多くの出会いや新しい環境が教えてくれた。

相変わらずあれ以来3年半彼女も出来ていないのでさみしさは募るし、活動は辛く苦しいことの連続だ。

だがあの日々のように、未練や後悔に押しつぶされそうになって、逃げ出したくなって、自暴自棄になって、極端な思考に陥ることはほとんど無い。

例え過去に戻ってやり直せる権利を得たとしても、僕は今の生活を選ぶかもしれない。

ときどきふと、日々成長できているのか、前に進めているのか不安になることがあったが、今の生活の価値を実感できた気がする。

気が付くことが出来て良かった。

あのときこの歌を歌っていて良かった。



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