ゆるく長く続ける

 教員として働き始めて、この仕事を若手が長く続けられるものにしたいという思いがある。管理職でもなければ、若手を育成するほどの立場にもいないが、なぜこのようなことを思うか、それは若手の教員離れが原因である。私自身、初担任や部活動の初顧問を持った際に、あまりの多忙さに何度も検索窓に「教員 転職」と打ち込んだ。教員の多忙さは世間にあまり認知されていない。最近は、各メディアで取り上げてもらえることが多くなったと思うが、いまだに教員は夏休みを取れる、子どもが帰った後はやることがない、遊んでいるだけで給料がもらえるなど、教員に対しての認識はその程度のように感じる。しかし、実際は就業時間中は、授業をして、子どものトラブルの対応をして、保護者に連絡をして、職員会議をして、とあっという間に定時を迎えてしまう。教員として肝心な授業づくりは定時のあとに申し訳程度にするしかないのである。しかもそれは業務とは認められず、すべて自分で好きにやっていることとして扱われる。業務の核となる、授業が一番おざなりになるのである。果たして、子どもに学ぶことの楽しさを伝えようと教員を目指した若者が、この仕事を続けられるだろうか。答えは言わずもがな、教員採用試験の受験倍率にその数字が表れている。自治体によっては、受験倍率が1.0倍を切っているところもあり、教員になる前から教員を避けている状態である。これもひとえに、文部科学省がTwitterで始めた「#教師のバトン」というタグによって、現場の声が多くの若者の目に入ることとなったからであると思われる。本来このタグの目的は、現場の魅力を伝えて教員人気を取り戻そうというものであったが、つぶやかれるものは、教員の働き方の過酷さ、労働基準法すら守られない現場の悲痛な叫びのみであった。当然、教員の人気は下がる一方である。文部科学省はこのバトンを投げ捨てたようで、教師のバトンに際して作られたアカウントは2021年の9月以降動いてもいない。
 教師の働き方を変えるためには、どうやら文部科学省に期待することは難しいようである。
 現場から各々、次代の教員のために残せるものを残していくしかないのである。自作したテスト、プリント、授業のノウハウを少しでも多く、伝えていくしかないのである。無理のない範囲で、ゆるく長く、それが持続可能な教員のあり方かもしれない。

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