地獄のような時期を抜けた自己観察。


2023年の1月に下書きしていたものをアップしておく。

ここからさらに、スッキリと進むまでは、1年を要した。



最後に書いていた、問いの答えは、


受容


だと思っている。


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以前記したnoteから9ヶ月以上も経っていたらしい。


自分でやっと、抜けた、と実感している。
完全ではないし、抜け切ったとはいわない。

ただ、自分に起きていることを認めざるをえないし、
自分を見つめ続けた結果、
自分の馬鹿に気づいたり、
気づいていなかったことに気づいたり、

人からは捨てられ、見放され、
病んでいる上に傷つく、みたいな、
自己憐憫にハマる以外ないよね、みたいな状況になり、

いい意味でとにかく諦める以外なく、
まあとにかく気づきが多くて、
その気づきの中で、ふと、

スンッ
てなったときがあったんだよね。

そのスンッは、
ああ、なんだ、自分が人に思うほど、
自分が勝手に思ってるほど、
人とは人を信じないし、
人はずっと優しいわけでもなければ
信頼し続けるわけでもなくて
私が馬鹿だったんだな、本気で、と思った時だったんじゃないかと思う。

周りに夢を見てたし、甘かったんだわ。
今となれば笑うけど、
まあ、ショックだったよね、自分的には。


そのスンっがあったから、

「自分の病んでいた時期」に気づくことができたんだと思う。


うつ病でも薬は飲まず、自分で気づき、いいと思えることのみを試して、ここまで来られてよかった。

時間はかかったし、自己判断だったから、それがいいのかはわからないけど、自分で納得がいった。こうやってわかってよかった。


なぜそれに気づけなかったんだ、バカだな、
とおもうけど、


なぜ狂う前に気づけなかったのか、という理由もわかった。



前職の途中で頭が狂い、重度のうつ病といわれ、それと更年期が重なり、

身体的には倒れたり、立てなくなったり歩けなくなったり、寝たきりになったり、

精神的には、感情的になったり、まともに考えられなくなったり、自責や悲観的以外の思考がなくなったり、

あらゆる症状に悩まされ、

その真っ只中で必死だった地獄のような日々は、昨年の10月位まで、約1年続いた。


頭ではわかっているが、できない、進めない、進まない。

身体の症状が勝り、精神が狂っている時には、なにくそ、やってやる、みたいなところには到底到達しないもんなんだ、ということが、経験してよくわかった。

自殺する人の気持ちもよくわかった。

自殺という言葉は、どうしても、なぜ?どうして?どしてそうなる前に?と思っていたけれど、

自殺は、病死なんだと思った。
気が病んで、どうにもならなくなったんだ。

そして病死は、ある意味で自殺だ。自分の細胞が、何らかの形で、病気を作るに至るんだ。

体の細胞は、コントロールできないと、地獄の真っ只中では思ったし、

得ていた知識を使えるなら、
それを選択できるなら、それは身体は不健康でも、
立ち上がる光を見出せれば、死なない。

そういうときは、死なない。


それは立ち上がる光が見えれば、だ。


見えない時は、見えない。

誰に何を言われても、
何を見ても、見出そうとしても、見えない。

見い出そうとすればするほど、
見えなくなる。

自分を責める。

悪循環しか生まれない。


生きながらにして死んでいるのだ。



ここから助かるには?


この問いは続く。

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