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29歳。がんを宣告されました。それから。

がんを宣告されてから6年(執筆当時)が経とうとしています。
そのがんの名前は「子宮頸がん」です。様々な癌がこの世にある昨今、私より重症だった方、当時虹の橋を渡った方もいる上で私のステージを言いたいです。
私のステージは0でした。

「なんだよ。別にそんなに重くないじゃん」
「それなら治せるでしょ」

そう思う方が一定数いらっしゃることも、自分ががんを宣告されて経験をしました。ちなみに私の家系はがん家系ではありません。しかも宣告された当時は29歳。周りにがんを闘病しているという話はありませんでした。
私は、がんを経験した人にだけが解る痛みを知りました。けれど、理解しよう、そっとそばに寄り添ってくれる人に助けられました。だけど「治せるっしょ」「末期とかじゃないのに何言ってんだよ」とおっしゃる方にも届いて欲しくて、目に止めて欲しい。そんな風にも思います。

今年でアラフォーの世代に突入。思えば早かったような遅かったような。そんな時間の流れです。
私は29歳のとき、ガンを宣告されました。詳しく言うと「子宮頸がん 高度異形成。上皮内がん」です。子宮頸がんとはなんぞや? がもっと広まれば。その思いで今回書くことを決断しました。

私的な見解ですが、子宮頸がんの認知度は「子宮頸がんワクチン」で広まっていたように思います。年間、子宮頸がんで亡くなった方の話よりワクチンで後遺症が残り訴訟問題まで起きていることがメディアで取り上げられているからだと個人的に受け止めております。
そうです。
女性であれば、誰でもなるかもしれない子宮頸がん。
そしてそのリスクや感染のキッカケは、なかなかあけっぴろげにできないナイーブな話なのです。何故ナイーブなのか、それも伝えたいと思い筆を取りました。

1.子宮頸がん=ヤ、ヤリマン!?

私が頸がんと告知されたのは、レディースクリニックでした。ストップしていたピルを再開するに当たって、頸がん検診をしたからです。
ピルは血栓症のリスクが高まるため、血液検査が半年に一回義務付けられています。なので再開する私ももちろん血液検査。
その時に「頸がんの検査を最近しましたか?」と看護師さんに訊かれ、いつやったかおぼろげな私は、一応やっておこうくらいの気持ちでいたのです。そんな私が何故、この時やっておこうと思ったのか。
それは、HPVと言う頸がんに進行する高リスクのウィルスを保持していたことを覚えていたからです。以前から頸がん検査は度々受けており、数年のうち何度目かの検査で高リスクウィルスの保持がわかりました。

この時点で文章にあげると、人によってはえげつないな、ヤリマンだなと言う偏見が持たれることもガンになってから思い知らされました。
ピル、HPV高リスクウィルス保持。この言葉だけで嫌な顔をする人も見たし会いました。
そして、あろうことか情報を調べることもしなかった頃の私もそういう目で見ていました。だから自分が高リスクウィルス保持者というだけで、そういう目で見られてしまうんだなという劣等感を持つようになりました。もちろん話せる人も相談できる人もいません。その頃、SNSはミクシィが盛ん。Twitterも普及しておらず、インスタはありません。Facebookも出始めた頃。ネットで調べるという概念もなく、「私は高リスクウィルス保持者」ということだけを、検査結果で先生から言われ、「免疫力下げないように」という内容を言われたことだけは覚えています。高リスクウィルスは、一度持ったら無くなることはありません。なので、私が頸がんになったきっかけはこのウィルスだということは大きく関係していると思っています。

そんな劣等感の中、数年後には「子宮頸がんの再検査」そして「上皮内がん」を宣告されました。
そして、世間の目は「子宮頸がん」=「ヤリマン」という印象が強いということを初めて知ることに。

2. 子宮頸がんはどうしてなるのか。

この事実を知って驚愕。そしてショックと怒りが一番最初に込み上げました。実はこれ、言われたのは私自身です。そしてインターネットで子宮頸がんのことを調べると同じように言われている人がいることも知りました。気持ちは「ふざけんなよ!」です! そして、このセリフどこかで似たようなことを言われたことあるなと記憶を掘り起こしてみれば、ピルを飲んでいると同じことを言われるんですよね。「そんなにヤりたいの?」と。
けれど、子宮頸がんになることはヤリマンではないし、ピルを飲んでいること=避妊器具を付けたくない、じゃない。そう言われて傷ついている人はたくさんいるということ。それを知って欲しいです。

・子宮頸がんはこうしてがんになる
性交渉→高リスクウィルス保持→免疫力低下→子宮頸がんに進行

子宮頸がんは、誰しもがなる可能性があります。それは年齢も関係ありません。だからこそ、知って欲しい。女性自身もパートナーの方もです。私はならないと思う。そう思っていた私でさえこうしてがんを宣告されたのだから。

3. がんの宣告。

29歳の夏。ピルを再開した私は何事もない生活を送っていました。当時起業をすることになり、自分のサロンを開業する準備をしていました。そんな準備をしていたとある日、検査をしたレディースクリニックから突然の電話。「お伝えしたいことがあるので、早めに病院に来てください」この時点で嫌な予感がありました。検査の結果が悪いことは予想がついたのです。多分再検査になるのだろうなと。それは何故か。以前、高ウィルスの再検査をしたことがあったからです。

しかし、そこで女医さんに言われたことは予想を上回ることでした。

「がんなので、手術してください」

衝撃でした。ショッキングな宣告の後、冷静さを取り戻そうと自分に言い聞かせながら先生に訊ねました。
「いつ頃手術すればいいですか?」
すると、なるべく早めがいいらしい。年内には手術してと言われました。とにもかくにもがんと言われたことがショックすぎて、この時は上皮内がんの意味もわかっていませんでしたが、仕事に行く前での宣告。誰に話すことができない中で、ひとまず両親に電話をして伝えました。両親もさすがに焦っていたのを覚えています。

後日、手術ができる紹介された大学病院へ行き、説明を聞く。女医さんの言う通りやはりなるべく早めの手術がいいとのこと。10月下旬に手術が決定。予約を取りました。その時のエコーにはがんが写っており、そこで私は本当にがんなんだ、と実感しました。
そして検査をして、子宮頸がんの手術がどんな方法なのかを知りました。

手術の方法に、私は目まいと吐き気がしました。ネットで調べると、手術した後のリスクも書いてある。私は「手術をしたくない!!!」と思いました。

4. 手術をしないで、がんを治したい

麻酔をかけられるとはいえど、手術することに抵抗を感じました。「円錐切除で簡単なものだから」と先生は気楽な雰囲気でおっしゃっていました。だけど、手術される本人にとったら、もちろん到底気楽なものじゃない。それに流産のリスクが高くなる。結婚の予定も出産の予定もこの時全くなかった私ですが、いつかもしかしたら出産を望むかもしれない。その時にリスクを背負いたくないと思ったのです。
私は決意。嫌なものは嫌!! 手術をしないでがんを治す方法を探しまくる日々が始まりました。

血眼になって探し、見つけた方法、そして自分でもしや? と思ったのが、「食事療法」でした。ファスティングです。

私はファスティングの経験と指導資格があり、細胞から蘇るファスティングにもしや? を思いました。そして検索をすると、がん専門でファスティングを指導している先生がいることを知ったのです。
そこから、重なる奇跡のような繋がりやタイミングは今でも忘れられません。
ファスティング協会の理事長と交友があったこと。当時赤坂で新しくがん専門のファスティング治療が開院すること。
そして私は、病院のカウンセリングをして、手術をしないでがんを治療することに望みをかけ、決断しました。

「絶対にがんは、治せます」

その時、院長先生は言ってくれました。誰もが言ってくれなかったこと、私でさえ勇気が持てなかったことを。

5. 闘病生活の始まり。

クリニックの先生、担当してくださった看護師さんに提案していただいた内容を開始。
食事、生活習慣全て、口にするもの、身体に塗るもの、何もかもが変わりました。そして、人間関係も変わりました。私はこの時に、自分にとって何が大切なのかをがんに教えてもらったと思っています。
私にとって大切な人、身近な人にはがんだということを伝えました。当時好きな人がいて、交流があったのでその旨を伝えました。何か勇気ある言葉が欲しかったのもかもしれませんが、私にとって大切だし好きだったから伝えました。けれど、返ってきた言葉に絶句。
「そうなんだ。闘病終わったらまた連絡して」
目がひん剥きました笑。今でも忘れませんね笑。今じゃ笑いが込み上げてくるくらいです。私にとっては大切な人でも、その人にとっては大切じゃないんだなと100年の恋も目が覚めたのは、言うまでもない出来事でした。

期限は三週間。

それは手術の日が三週間後にあったからです。それまでに、がんを無くすという無謀なことに挑戦。その日々がスタートしました。
そして三週間後、別のレディースクリニックで子宮頸がんの検査。結果はなんと陰性!! 先生には上皮内がん、高度異形成だということは伝えてあり、何で手術をしないのか。検査をするのはいいけど。と変人扱いされたことを覚えております。そらそうだと自分でも思いました。が、とにもかくにも検査をしたくてお願いをしました。この陰性の結果に、婦人科の先生は変な顔をしていました。

そして後日。私は大学病院へ行き、担当医の先生に検査結果を伝えました。手術、いらないですよね? と伺ったところ、オーケーが出ました。「何をしたの?」と担当医の先生は驚いていました。食事を変えたり、ファスティングをしました。と伝えたところまたもや先生は驚いておりました。本を出したら? そんなことを言われたのですが、本を出したいからこのやり方を選んだわけじゃない。

ただただ、手術をしたくない。生きたい。死にたくない。身体にメスを入れたくない。その思いで必死だったから。その思いが日々の行動を変え、その思いががんを消去することに至ったのだと、私は今でも信じています。

そして、支えてくれた両親、兄弟、友人、クリニックの先生方にも電話をし、伝えました。みんな驚いていましたが、喜んでくれました。あの時、心配をして支えてくれました。彼らがいなかったら、私はこのがんには勝てなかったと思っています。たくさんのことを気づかされてくれた存在でした。

6. がん闘病で実際にやったこと。

  • 食事療法

  • サプリ

  • 生活習慣改善

  • ファスティング

これは私が、がん闘病で実際にやったことです。
こんな奇跡のようなこと。何をやったのか? 本当に? 話すと様々な方に驚き、そして疑いの気持ちも届いてきます。両親は、一緒にクリニックにカウンセリングの同行をしてくれましたが、最初から断固として反対でした。保険も降りるし、手術ができるのに、なんでそんなわざわざやるんだと理解に苦しんでいました。そりゃそうでしょう。気持ちはとてもわかります。

ファスティングは、一般人が重度の方に施すことは医療行為ではないので禁止されています。
ファスティングという名前でさえ広まっていなかったのもあります。また、今でも忘れることはできませんが、当時川島なおみさんが胆管がんでお亡くなりになるニュースがずっと流れていました。北斗晶さんの乳がんも。あまりにもリアルタイムすぎて、手術しなければ20代ということもあり、進行が早くて死んでしまうのでは。そう心配されました。
でも、それほど身近なんです。がんになるということが。私はそれが自分にやって来て、改めて思います。いつ、自分ががんになるかわからない。そういうことなのだと。
だから、生きたかった。国内で年間子宮頸がんで亡くなっている方の人数が、思った以上に多いことに、私は死にたくないと思いました。

私がこの三週間でやったことは、別記事でも書いていきます。

主に
・やめた食事、変えた食事
・三日間のファスティング(通常のやり方とは違います)
・サプリの摂取
・鼻うがい
・オゾン療法
・5時半起きと朝の過ごし方を変える

これが大まかなことです。細かい内容を伝えるとかなりハードなので、これやったの!? と言われます。けれど、私はその後ハードルを下げてはいますが、これに近いことをするとびっくりするくらい健康になります。なので、本来身体が求めている、自然のことをやっただけ。と闘病から6年近く経ち、さらに実感しているところです。

7.29歳、がんの宣告。それから。

6年前の夏。私は子宮頸がんを宣告されました。ステージは0でしたが、早急に手術しがんを取らないと進行し、最終的には死に至る病気でした。
私は手術をしない選択をしました。生きるために手術をしませんでした。

「どうして私ががんなんだろう」
「なんで私ががんにならなくちゃいけないんだろう」

前を向いて頑張ろう。そう思っていたときだから、余計に思いました。だけどそう思ってもがんは消えてはくれません。

がんは私に教えてくれました。
今までの行き方。今までの私。
本当に大切にすることはなんなのか。
どうして私ががんになったのか。
それを気づかせてくれる3週間でした。

あれから6年。最初の4年間は3ヶ月に一度、頸がん検査を。それからの2年間は半年に一度も欠かさず頸がん検査をしています。結果は全てNILMの陰性です。軽度異形成に引っかかったことも、ありがたいことに今のところありません。
どうしてがんになったのか。それに気づけたからだとそう思っています。そして、この6年でどうして不調になるのか。どれだけ検査をしても異常が出てこないのに不調なのか。それも身を以て知りました。そして行動に変えました。

身体の不調は、サインなのです。

唯一、自分だけが知れるサインなのです。

だから、そのサインに気づいてもらいたくて、本来自分が求めていること、望んでいることのために身体が警告を出すのです。

不調なことも病気になることも悪いことじゃない。今ならそう言えます。辛い状況ではあるけれど、悪いことではない。あの時は到底言えなかったけれど、今だからこそ言えます。それは、あなただけが知れる、あなただけのサインであり、メッセージであり、気づきだから。

乗り越えるために試練があるんだと軽々しいことは言えないですが、
あなただけに伝えられたサインと向き合ってみてください。どうして。何故。どうして。たくさんその病気や不調と会話してみてください。そこから、あなたのことが知れるから。

辛く悲しんでいる方に、勇気も希望も持つことができない方に、少しでも希望を望みたい方に。前向きでいたい方に。幸せの意味を知りたい方に。
何かきっかけのひとつであれば。そう書かせていただきました。

ここまでお読みくださりありがとうございます。
あなたへ。

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