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【公衆衛生学】大学院研究室選び|私の場合

大学院で学んだ公衆衛生学・疫学知見をもとに、健康的な社会を作りたい理学療法士のジローです。

私は30歳代後半で、地元の国立大学大学院の公衆衛生コースに入学して、一昨年卒業しました。
このnoteで、大学院進学についての情報発信をしていたところ、ある読者の方からコメントをいただきました。

「研究室を選んだ理由を教えてください。」

コメントでお返ししようと思ったのですが、考えてみるといくつもの理由と、素敵な偶然があったように思えましたので、「私の場合」という観点で、研究室を選んだ理由について述べてみようと思います。

‖ 大学院 公衆衛生コースに行く前


「は? なぜ博士課程に行かないの?行って何になるの?」
初めて妻に話をした時の、最初のリアクションでした。

私は、過去に大学院(リハビリテーション学)の修士課程を終わらせていました。
そこから約10年間、研究では大した業績を出せないまま日々を過ごしていました。

博士課程の教室訪問はいくつか済ませていましたが、これという決定打がなく、ボチボチな日々を過ごしていました。

以下、言い訳↓ ↓

最初の大学院生活が終わった時は、8年目くらいでした。卒業後に頑張りを買われて副主任に昇格させていただきました。多くの先輩を飛び越えて昇格しました。

急にマネジメントの業務が増えましたが、部下の先輩、上司、後輩に挟まれて大変であったという記憶があります。


卒業前に研究室で使用していた機材を、働いている病院で使用することが難しく、大学院時代の研究を継続しにくかった事もあります。


プライベートでも長女が産まれたばかりで、研究のための言って好き勝手に時間を使うことも難しくなりました。

「理学療法士が大学院に行く理由は?あまり、役に立っているようには思えない。臨床を頑張れ。」

家族には、そう言われました。


忘れもしない2018年に、私の中では「人生オワタ」的な辛い出来事があり、ゾンビのような時期を過ごしていました。身体は動いているけど、感情が無い、灰色の世界。周りから見ても異常だったのだと思います。

*(大学院説明会は、このゾンビ生活の半年後)


大学院の研究室を選んだ決定打

①自分が抱えているリサーチクエスチョンの解決に必要な知識が「疫学・公衆衛生学」ということを知らなかった


ある方に自分の悩みを相談したところ、それを学ぶ場所は「公衆衛生大学院」だよと教えていただきました。
自分の頭の中に、公衆衛生というkey wordが無い状態であったため、その後改めて、公衆衛生に絞って教室を探してみました。


②大学院説明会で対応してくださった先生の言葉


「ジローさんの課題は、うちの研究室で対応できますよ。一緒にやってみますか?」
説明会には、他に数人来られていました。

その中では、
「その課題であれば、うちの研究室以外の方がいいと思いますよ」
と言われている人もいました。

その中で、私は上記のように「一緒にやってみますか?」と言っていただけました。
自分の解決したい問題を解決できそうな見通しを感じることができました。

*説明会の時には、どのような課題があるか明確な方がいいですね。
「公衆衛生を学たい」では弱くて、「なぜそれが必要なのか」が重要と思います。


③授業に参加してみて(研究室の雰囲気)


説明会の後に、日を改めて大学院の授業に参加させていただきました。
教室には医師が多いのですが、コメディカルにも優しい雰囲気でした。
実際に「助産師」「看護師」「臨床工学技士」「薬剤師」など多くの職種の方がいました。
理学療法士でも大丈夫と思える教室でした。

授業が終わってから「何か不安な事があれば、連絡してくれれば答えますよ」
と、優しい先輩が(しかも、何人も)声をかけてくれました。
(今では、本当に良き先輩・後輩関係になり、相談にものってもらっています)

教室の雰囲気も大切と思います。大学院が終わってからも、お付き合いがある人達ですから。


④お金の面・仕事の面


私立のリハビリテーション学の大学院は、学費が年間80万程度であったと記憶しています。
半期に40万円ずつ2年間支払いました。
月の給料の積み立てと、ボーナスを0にして乗り切りました。
辛かったですが、その時は、まだ独身であったため、あまり気にしていませんでした。

今回は、国立大学であったため、年間55万程度でした↓↓

注) 入学金は282,000円、1年目の授業料は535,800円のため総額817,800円

国立大学大学院の学費

半期で25万円強で、流石に半期ずつ25万もきついのですが、
40万円波ーーー!!よりはダメージが少なかったように思います。

また、仕事を続けながら通っても良いという事も大きかったです。
教室によっては、「職業:研究者」を育てるために在学中は働けないという教室もあります。
うちの教室では、仕事を続けたままの人がほとんどでした(研究だけ専念している人もいましたが。)

「40代手前、子供も2人いる(できればもう一人)、でも学びたい」
に、現職を辞めてという選択肢はなかったと思います。


⑤説明会後の妻の一言


妻:「今日、大学院の説明会に行っていたんでしょう?どうだった?」

ジ:「い、いやーーー。まあ、良さそうな所だった。」

妻:「で、どうしたいの?」

ジ:「ま、まぁーね。お金とか、色々あるから。」

妻:「説明会から帰って来てから、この半年、見たことない表情していたから。何か久しぶり。いい人・いい場所だったんだね。その気があれば行けばいいじゃん。」

その前半年間くらい、ゾンビのような生活をしていたので、少し生気が戻った感じを察した妻が声をかけてくれました。この一言が無ければ、全てが無かったと思います。


⑥試験受けたら合格した


ま、試験勉強も必要ですから。
私は、8月の受験のために3月ごろから対策は開始していました。
上記の説明会は6月なので、説明会の前からは、それを意識した勉強は開始していました。
(妻も、薄々、そのような行動を感じていたのかも知れませんね)

いくら行きたいと思っていても、合格しなければ意味がないですから。


⑦地元が一番


今回の記事のきっかけになった方が、どのような方かは分かりません。
私自身は、国や世界を変えるほどのパワーがある人間とは思いませんが、せめて、市内・町内くらいの健康を守りたいという意欲はあります。

そのためには、地元の同じ志の人と協力するのが良いと思いました。
実際に、地元の国立大の出身ということで、同門会等を通じて、多くの地元の協力者ができました。

受験はコロナ前でしたから、「通学できる場所」という事も重要と考えていました。
今は、「オンライン」も、当たり前になって来たため、授業とか単位という話では卒業までは困らないと思います。せっかくでしたら、大学院生活を通じて、長く人生を共にする同志に出会えたらいいですよね。

この点では、「地元で良かったーー」と、今でも思っています。


■まとめ


さて、徒然と「なぜ、今の研究室を選んだか」ということについて書き出したところ、思うだけで⑦つもきっかけがあったのですね。書きながら、書き上がりのボリュームに驚いています。

書き始めの妻の一言「公衆衛生の大学院に行って、何になるの?」については、まだ明確な業績は出せていませんが、少しずつ形になってきています。
論文執筆、学会の査読や座長、地域の活動など挙げればキリがありませんが、大学院に行く前に同じようにできていた?という問いに関しては、自信を持って『No!!!」です。今後の人生に対して良い投資であったと思っています。

「健康寿命延伸がこれからの課題」と言っても、基礎からしっかり取り組んだ人も少ないと思います。公衆衛生学は、混迷を極めた今の世界だからこそ役立つ学問であると思います。

そして理学療法士がスキルアップの一環として新たに学び始めるにも適した学問であると思っています。

この記事が、少しでも誰か、公衆衛生分野を目指す理学療法士(コメディカル)のお役に立てればと願います。


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