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エッセイ『孤独の味わい』

最近、子供の頃の思い出を振り返って、暖かい孤独をじっくりと味わうことをひとつの愉しみとしているから、ここで披露してみたい。

真冬のある日。小学校から帰ると、入れ違いで母が買い物に出かけ、家には自分以外誰もいなくなってしまった。口数多い母がいなくなると、急に家はよそよそしくて、しぃーんと静かになってしまう。
視界に入るのは、かんかんに炊かれたストーブと、テレビに映る夕方の何気ないニュース番組、窓を見ると一面の雪吹雪。この雪のせいで友達と遊ぶ約束ができなかったのだ、と恨めしく思う。

当時はスマートフォンなんてものはなくて、一度家に帰ると友人に連絡を取る手段がなかった。どうしてもとなれば電話をかけることになるが、私は電話が苦手だった。だから、小学生の私は身体中をすっぽりと孤独で包まれてしまっても、為す術がなかった。しかし、その孤独が嫌いだったかと言われれば、そうではない。冷たいプールにずっと入っていると、自分の周りに暖かい水の層が出来るように、じっと孤独に包まれると、暖かくなってくるのだ。そのうち、ああ、世界には私しかいなくなってしまったのかもしれない、という気持ちが湧くけれども、不思議と恐ろしい感じはしない。

今ではすっかり現代に毒されてしまって、何となく寂しいと感じたらSNSを開いてしまう自分がいる。子供の頃の方が、孤独の楽しみ方が豊かだったなぁと思う。情報の濁流に時間を奪われるのではなく、自分のための時間を、確かに過ごしていた。現代の文明を手にしてしまうと、あの孤独に浸かるには勇気がいるけれど、たまには連絡がつかない状況に身を置く贅沢をしたい、と思う。

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