見出し画像

世界の美しい瞬間 23

23 個人の趣向

やったことないのに(自分には)効くか効かないか判らないので、初体験してきた。

田植えを!!

手で稲の苗を植えるやつね。

もちろん、これが予め用意されていた舞台であることには変わらない。どなたかがこのために田を用意し、苗を育て、田に目安のビニールテープを張って、道具を準備し、お弁当を仕込み、畔の草を刈っておいてくれた。参加者は身一つで行くだけである。

わたしには今のところ田んぼもそれらを用意できる持ち合わせがない。
しかし、何一つどの部分すら体験してないのに自然農の良さとかそういうものを一言でも語れる資格がないニャーと思ってきた。
わたしは、特に自然により近いものごとに、お金だけを払ってその背景を全く知らない人にはなりたくないからだ。
知識だけでなく、経験や体感を伴うことで、知覚したいのだ。

なので、できるところからまず一歩、の体験。

水田には裸足で入る。うにゅにゅ、という独特の泥の感覚。最初はわーと一瞬思うのだけど、だんだん好きになってくる。
ただし、足が上がりにくい。筋力の衰えを感じる。

コロという、長方体の壁面がない骨組みだけが木枠で作ってあるものを、田んぼに1回ずつ転がしながら、目印のところに、3~4本苗を植えて行く。

コロは2~3人で横一列に並んで、せーの、で転がす。共同作業である。
そのあとから、一列目を追い抜かさないように、二列目、三列目と、コロチームが追随する。
ちょうど階段を横から見たかんじね。

手持ちの苗がなくなったら、手の空いた誰かが投げてくれる。

そして、横の人となんだかんだおしゃべりしながら、振り返ると、自分たちの軌跡である、苗が並んでいる。

そして、苗が全て並び終わる頃には、お隣で作業する人とは、世界の一部と一部が通じ合う友達になっている。

わたしの初めて田植え体験は、
「思ってたより、ぜんぜんできるじゃん!」
だった。

農業は大変だ(確かにそうだけど)、汚れる、辛い割には儲けがないとかなんとかいう話を、わたしの中ではもっと極端な激しい思い込みになっていて、酷かったようだ。

まだ空いている水田の余白では、子供たちが泥だらけになって、ギャーギャーとお腹の底からの笑い声を上げて、泥合戦をしている。

たまたま他の仕事があって、田植えをしていないおっちゃんが標的になり、おっちゃんはわたしたちが振り返って見る度に、子供から受けた泥で真っ黒になって行く。いつしか泥おっさんに。

泥おっさんも子供たちに反撃をする。

そして、子供がまた思いきり走って、声を上げて、笑う。

皆で子供たちの様子ををまるっと見ながら、着々と田植えを仕上げる。

ここの子供たちは、扁平足とかないだろうな、走り回って、運動能力もあるし、筋肉も持久力も特に何をしたわけでもないけどつく。

何より、ものすごい元気!!なのだ。
そして、超、全開の笑顔!!
そんで、おひるごはん美味しい!とまた笑う。
エネルギーが満タンから全く減らないくらい、子供が子供らしく明るく育っている感じがした。

そして、こうやって、皆で集まって、お互いを知って、子供を皆で見て、土を踏んでデトックスし、お日様に当たって、風を感じながら、鳶を警戒しながらおしゃべりしつつお弁当食べて。

心の底から幸せだ!

と、気づけば田んぼに向かって万歳をしていた。

この場を用意してくれた、全てのものごと、人々、天候、巡り合わせに心から感謝した。

これは、やってみないと、どんなに幸せなことか、感じられない。

そして、それぞれの趣向がある。
昨日は田植えをしたが、今日は少しオシャレをして街に出る。

どこがちょうど良い塩梅なのかは、自分にしか判らない。自分でやるしかなく、自分を観察するしかない。

色んな人がいて、それも色んな土地の、色んな役割の、色んな年代の人がいて、お互いを補い合う。
それでハッピーを探って行く。

わたしは、そういうのにときめくし、どきどきするのだ。

行きは一人で乗ったバスは、帰りは田植えで通じ合った人と隣で座った。
また今度も来よう、あっちもいいよ、ここも行ってみよう、と、すてきな近未来を寄せ合いながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?