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プチ実家じまいしてきました。 

こんにちは
実家じまい本舗 藤田です。

ことあるごとに「実家じまい実家じまい」言ってるんですが、もちろん私にも実家はあります。

そうです。
人にいう前に、まず自分が実家をしまってみよう。

ということで、この年末、帰省に合わせて実施してきました。


1.「捨てられない」との戦い


まだ両親が住んでいるので、家を処分するとか、売りに出すということではなく、実家にある倉庫や開かずの間の片付けをする”プチ実家じまい”をしてきました。

いわゆる”本家”にあたる私の実家は、冠婚葬祭や盆正月などにあわせてたくさんの人が足を運ぶような、代々の伝統が根強く残る家でした。コロナウィルスの発生とともにそれらの慣例行事もなくなり、今では来客も年に数回程度となっています。

しかし、客数は減ったものの、当時接待に使っていたお膳や頂き物をはじめ、たくさんのものがいたる所にそのまま眠っていたのです。
普段はそうそうに開けることのない倉庫。私が子供の頃から目にしていた絨毯は全く動くこともなく、そこに鎮座していました。

両親に話を聞いてみると、親戚からの贈り物でとても高価なものだったとのことでした。実際に使っていたこともあったそうですが、今はまるまった状態で固くなり、とても活用できる状態ではありませんでした。

では、なぜそこに残っていたのか。

「貰い物だから捨てるわけにもいかない」

すでにいただいてから数十年経ったものでした。
ずっと捨てずに保管しておくことが、譲り受けたことに感謝の気持ちを表現する行為だったのだと思います。

きっと今後も、あの倉庫から出して使うことはなく、時間をかけて廃れていくだけだと思うと、なんとかせねばと感じました。でも、両親からしてみたら、その未来があったとしても、捨てないことによって得られる”現状維持の安堵感”の方が優先されてしまうようなのです。

健康器具なんかも意外と捨てられずに眠っているんですよね

2.親との葛藤


実家じまいは片付けることなしには進みません。
しかし、まだ親や関係の深い親戚などが健在の場合、ものを捨てるということや、今後の家のあり方に関して価値観や意見が合わないと感じる瞬間とたくさん遭遇することがわかりました。

やはり生きてきた時代背景の違いは大きな価値観の差を生んでいます。
戦争から復興していく日本は、まだ物が少なく、あるものを使い続けたり、ものを持っていること自体が豊かさの証でした。もちろんものを大切に使うことや、捨てずに工夫することなどは今の時代においてもとても大切なことだと思います。

活用されることなく箱に入ったまま少しずつ状態の悪くなっていくシーツや毛布、新品のまま大切に保管されているけれど、すでに存在を忘れられてしまっている食器などをみると、もったいないなと心が痛むと同時に、それらが活用される未来もあるはず!という希望のようなものも湧いてきます。

セカンドストリートさんをはじめ、日本でもリサイクルの文化はとても広がってきました。捨ててしまうものばかりではなく、それを求めている誰かのもとにいくのだと分かった時、両親の顔も少しほころんだことが印象的でした。

なんだか親にたてついているような気持ちにもなり、苦しい瞬間もありましたが、これほど家のことや未来のことについて真剣に話し合うこともなかったなと思うと、とても良い機会でした。

3.どちらの想いも大切に

そもそも、自分の親よりも前の代から眠っているものもありました。
チリも積もれば山となる、ではありませんが、いつかどこかで片付けなければ物は増えていく一方です。

自分が先送りにすれば、結局自分の次の世代がその役を担うことになります。継承されていくのは、良いものばかりではないのだと思うと、できる時、気づいた時に少しずつ実家をしまっていくことが気持ちよく生きるための唯一の方法だと思っています。

実家じまいは、親世代、子世代が”家のこれからを決める”ということを通して、それぞれの想いを伝えあえるとても大切な機会だと考えています。
実家じまい本舗にお仕事をご依頼いただいた際には、それぞれの想いがきちんと伝え合えるよう心や対話のサポートもさせていただきたいと考えています。

P.S.

現在、HPを制作中。
公開できる日が楽しみです。