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大学生が「社会人」に問う~「教育」のあり方は子どもたち/若者だけに限定されたものではない~

慶應義塾大学総合政策学部 長谷部葉子研究会 離島プロジェクト所属
2年 松浦 嵩

はじめに:「教育/コミュニケーション」をテーマに研究活動に励んでいる、
長谷部葉子研究会に所属している大学生であるみなさんへ。
(教育/コミュニケーション以外でももちろん構わない。)
そんな、みなさんが考える「社会人」像を教えてほしい。
「社会人」は常に、労働と隣り合わせである。と私は認識している。
否、「労働」を苦痛と捉えるかどうかは、個々人に任されている。
大学を出た次のステップとして
「社会人」というフェーズに移行する「学生」が、
大半の今の日本社会において「「社会人」になるとはどういうことか。
を考えていくための議論がなされるべきだと考え今回の議題とした。
なお、この議論のゴールは
[大学生が「社会人」に対してのアプローチを模索する重要性]
を理論化することである。
具体的な事例やアイデア、実体験も議論に含めながら、著者の松浦の今後の研究展開、環境変化なども論じていけたらと思う。
まずは、「労働」の本質的意義に迫りながら、議論を展開していきたい。


「ワークライフバランスは現代の日本おける働き方において、極めて適切な考え方である」

橘木俊詔

これは、同志社大学教授の橘木俊詔が「人はなぜ働くのか-古今東西の子息から学ぶ-」の冒頭で発した言葉である。「ワークライフバランスを推進する上で、人はなぜ働くのか?という問いかけを深ぼることは不可欠である」と続ける。

歴史を遡ること1000年以上。古代ギリシャの人々は「働く」ことは卑しく、呪いに満ちたものであるとみなしていた。なぜか。労働に従事するのは奴隷だけだという価値観が蔓延していたからに他ならない。中世に入り、キリスト教による思想(禁欲主義)を受けると「労働」は神聖なものであるという認識に変化していった。中世の生産活動や商業活動を促したのもあって、市民その他大勢の人間は、仕事の意義と倫理を認識するようになった。
時代を進め、19世紀には「職人芸」である立場の人間が出てくる。
労働は本来ならば苦痛を伴うものである。
しかし、「職人芸」という立場からは労働を喜びと判断することはそこまで難しくない。イギリスを代表する評論家のジョン・ラスキンによる労働と知性の関係重視、すなわち労働を知性の発露の場とする考え方によるものだ。
これは、間違いなく「ホワイトカラー労働」によりふさわしく当てはまるものである。

ミレー:落穂拾い

グローバルな視点はもちろん、「日本の労働観」についても言及していきたい。
日本では、働くということに関して、仏教と儒教の影響が強い。
仏教においては、働くということは誰にも強制されることなく、自分の意志で進んで他人に役立つことをすることだという価値観が重視されていた。
今の「ボランティア活動」に通ずる考え方である。
儒教に関しては、二宮尊徳に代表されるような勤勉・倹約の精神を体現するものとして「労働」が捉えられていた。士農工商の序列があったものの、上記の価値観が普及していることで、労働者は働くことの意義を見出していた。

このように、「労働」は苦痛を伴うことの多いもの(-橘木俊詔「働くということ」Ⅲのまとめの一節)として人々から考えられてきたが、宗教や当時の価値観など、人々の考え方に「労働の価値」は深く入り込んでいた。
そのため、「働くということを理解すること」は難しくなかったのではないかと考察する。


それでは、視点を現在に向けて今の日本社会における「労働」のあり方と「社会人」の存在、私が考える問題意識/問題構造について議論を、自身の長谷部研での学びなども含有しつつ展開していくことにする。

まずは、「社会人」になる過程においての議論を始めなければならない。
採用制度のことだ。
今の日本社会では、新卒一括採用という制度が整備されている。
他国ではほとんど見られないこの制度だが、なぜ採用され続けているのか?
それは「終身雇用」「企業内組合」「年功序列」など、戦後に確立された日本型システムとの相性が良かったからだ。(妹尾輝男が「世界は悪ガキを求めている(東洋経済オンライン)」の文中で述べている。)
ここに、私は多くの問題点を見出したい。
特に、私が感じている一番の問題点は「組織に入り、個々人の”個性”が均一化され、自分自身で「考える」機会を損失する、そしてキャリア選択が受動的にならざるを得ない」という価値観を大学生のうちから擦り付けられることである。

この問題意識を醸成することができたのも、
他でもなく長谷部研という組織を運営していく側(SA)として、1年間
業務を遂行してきたことによるものが大きい。

-なぜ、SAなのか?組織ベクトルのところが不透明-

森先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより


ここで、少し本題とは逸れる形にはなるが
社会人が所属する「組織(社会的コミュニティ)」についての議論も必要だと考えた。今回は、大学生の研究会をモデルケースに、
「組織」という観点に絞り込み、深ぼっていくこととしよう。


みなさんは所属している「組織」に何を求めるだろうか?
人それぞれ求めるものは異なる。正解はない。
むしろ、その組織に所属している正当性を見出していることの方が重要だ。
では、組織に所属している正当性とは何か?
それは、何を目的として/どんな狙いがあって、その組織orコミュニティに所属しているかを個々人が理解していることだと考える。
(今回はコミュニティという言い方も許容範囲とさせていただく。結局社会学視点か経営学視点かによって集団の捉え方は変わってきてしまい、ここが今回の議論の論点にはなり得ないからだ。)
抽象度を下げれば、それこそ
「信頼できる仲間がいる」
「愛しい人が所属しているから」
「楽しいから/嬉しいから」
「精神的に満たされていると感じるから」
という文面で、組織に所属している理由は十分説明可能である。
今回は、研究会という「組織」に関して、学生が所属する目的を模索したい。
長谷部葉子研究会は「教育/コミュニケーション」をテーマにフィールドワークを主な調査手法として、ソーシャルトランスフォーメーションを実現しようとする組織である。
その組織に所属している学生は、何を目的意識として研究活動に励んでいるのか?
もちろん、多種多様である。個々人での研究テーマやプロジェクト内のコンセプトなどは、それぞれに内在している。
多種多様だからこそ、組織を作っていく側としては(授業という組織をある程度形成することが可能な形態において)それら個々人の目的意識をまとめ、研究会全体の方針を決めていくのが難しい。
否、個々人の目的意識をまとめることはできない。まとめなくてもいい。
まとめる必要などない。

秋学期長谷部研SA

みんなが輝く長谷部研~3つのじりつ~

2022秋学期長谷部葉子研究会学期テーマ


個々人を均一化するのではなく、組織として個々人の目的意識や研究活動を磨いて輝かせていこうという考えのもと出来上がった今学期の学期テーマである。
ここで、少し裏話をしていきたいと思う。実は今学期のSAミートのなかでの
最初の学期テーマの素案は

どこまでもみんなで作る長谷部研〜3つのじりつ

20220909_第03回 22秋SAミート

であった。変更点としては、
「どこまでもみんなで作る」が「みんなが輝く」に変わっただけである。
文字面だけを追えば、意味合いにそこまで大きな変化はないと考える方もいるかもしれない。
しかし、私たちSAではこの変更は非常な大きな意味合いを持っていた。
前者では、「みんなで作る」ことが半ば強制されていると言っても過言ではない。SAから長谷部研に帰属意識を求められている状態だ。
これでは、学生は「受動的」にならざるを得ない。
後者は、「学生が輝くこと」に焦点が当てられている。

「学生が輝く」の言葉の抽象度が高いので、少し掘り下げてみたい。
長谷部研で学生が輝いている様子は、「主体性」という言葉を用いて説明できるだろう。各々が主体性を持って研究会に所属し、研究活動に励んでいる時には、
「輝いている」と断言することはできなくても
「充実している」と言えることはできそうだ。
最近は、この「主体性」という言葉が"流行って"いる。
今回は、組織のあり方を模索する議論をするためにも
この言葉の本質的な意味を、具体例を用いながら捉えることにしていこう。

主体性とは自分の意志や判断に基づき、責任を持って行動することである

オフィスのギモンHPより

ここで、注目したいのは「責任を持って」という文言である。
主体性と近い意味に「自主性」がある。
自主性と主体性の言葉の意味合いの差異は、責任を追う必要があるかないかである。
とすると大学生の行動一つ一つに責任が伴うフィールドワークを、主として研究活動を行っている長谷部研には「主体性」という言葉が似合うのかもしれない。
しかし、今や長谷部研内でも日本社会でも
「主体性を持って行動しましょう!」だとか
「主体性になることがこの事業/コンテンツの目的です」
「主体性を育成します」
などという文言が目立つようになってきた。
私も、全学期まではこの文言を多用していたように思える。
それは、同じSAである斎藤梨奈先輩の的確な指摘によって覆されることとなる。

主体性は自主的に生まれるものであるべき。
ゼミ生のやりたいや想いを可視化し行動にまでつなげていく、それができる環境をSAが用意する→自分のやりたいや想いのために長谷部研を「利用」できているという感覚、それが持続する→必然的に主体性がついてくる。

斎藤梨奈-SAなりきりコンテンツ素案段階において-

なるほど、主体性は「つける」ものではなく、「ついてくる」ものであることが理解できた。それは私たちの意識下だけで身につけられるものではなくて、環境や状況などの外的要因から影響を受けることが多いことも示している。

すると、私たちSAの役目は明確だ。
学生が主体性を養うことができるための「環境」を用意すること。
私が今学期特に力を入れたコンテンツとして「SAなりきりコンテンツ」がある。


長谷部研SAの立ち位置

このコンテンツの目的として
・「自率」というフェーズにおいて、周りを巻き込みながら組織を率いていくことを実感から学ぶ
・関係性構築、異文化理解の実践・アウトプットの場とする
・チームビルディングの手法を理論と実践を利活用しながら学ぶ
を掲げた。
人間は組織に所属している以上、何らかの役割が求められることが多い。
役割は多種多様だが、どんな形であれ他者を巻き込んでいくことは主体性による「責任を負う」という観点で重要であると考える。自分以外の誰かが自らの行動によって影響されることを念頭においておく必要があるだろう。
これは長谷部研内にとどまらず、どの組織に所属する上でも必要不可欠な考え方である。

授業立案・企画を通じ、それらのプロセスを経験することで今後の学びの機会を得た時に、その背景を「自分で」汲み取る力をつける。→学びの自分事化・最適化を促し、より深い実感知を「自分の力」で得られるようになることを目指す。

斎藤梨奈-SAなりきりコンテンツスライド「コンテンツ終了時に見据えていること」-

最後に、このSAなりきりコンテンツに対する学生のフィードバックを参照することにしよう。膨大な量のFBをいただいたのでここでは印象的なものだけを抜粋する。答えて下さったゼミ生には、この場を借りて感謝申し上げたい。

学生主体で対外発信に何が必要かを考え、自分たちでコンテンツを作っていく時間を大幅に取ることで強烈な主体性が育まれるのが強みでありながら、長谷部研としての質の高い学びを担保できるかというのが課題であるという意見に目がいきました。改めてゼミ生一人一人が長谷部研について考え、当事者となるようないい機会でした。まさに"率いる"のフェーズだったと感じます。

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

他の班の発表を聞いていても、自分の班で話していても、「長谷部研はあくまでツール、目的ではない。」「じゃあ、何が目的なんだろう?私がやってることの
本質にあるのはなんだろう?」というメッセージや問いが多かった気がします。目的や本質を見出そうとし続ける姿勢こそ、強く図太く、しなやかに生きる力に繋がるんじゃないかなと思います!

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

なりきりコンテンツ、2つの理由からとても有意義なものだったんじゃないか なと考えます。
1「長谷部研の現状」を見つめ、もやもやを吐き出し、分析し、解決するためのワクワクを創る時間となった。
2「やる意義」「どんな学びがあるのか」について考えるきっかけとなった。ディベートコンテンツの企画を担当した時にも感じたことです。自分が企画するとなると、いつも以上に「意義」を明確にする必要がある。でもそれって、 企画者じゃない時にも大切な姿勢ですよね。意義が見えてくるとなんだか楽しくなってきたり。それが主体的行動に繋がるんじゃないかな。

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

組織に対する意識が格段に上がったと思います。

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

今までは「個」や「プロジェクト」に目が向いていることが多かったですが、 「長谷部研」という組織に目を向けることがなかったので、もっともっと上から全体像を捉える必要があって面白さと難しさがありました。 小さなことに噛みついて申し訳ないのですが、課題冒頭の主体性を「育成」 するという言葉があまり好きではないです。自分はできていて、他を育てる・ 教えるみたいなイメージを抱きます。 最近「主体性」という言葉をよく耳にしますが、授業内や課題でこれだけ自分の考えを発信する機会があれば、主体性を育まれているように思えます。 でもその先で主体的に考えたことや自分のエゴをみんなが正解として押し付け合い、みんなで合意形成を取ろうとするから、多様性が尊重されず主体性も殺されてしまっているような気がしています。 自分も例外ではないので、一度初心に立ち帰りたいです。 その点今回の企画ではそれぞれの班が長谷部研という組織に対する考えを発信する機会があったので多様性が見られた気がしました。

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

一方で、これまでの「授業企画」のコンテンツは、「コンテンツとしてやるもの」 であるため結局主体性を育めない、という懸念点がずっとあったように思います。模擬投票も同じで、「投票すること」を身近に感じ、それ自体のハードルが下がったとしても、そこから本当に選挙に行くかはまた話が変わってく る。そのため、ここからどう「ゼミに対して主権者意識を育み、主体的な行動を促せるか」の意識を構築するかが非常に大事になるなあと思いました。

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

やっぱり、「ゼミ生それぞれが、長谷部研を最大限に利用してやりたいことを実現するために、SA含むゼミ生全員で授業を作っていく」というビジョン は、秋学期初めにSAで話し合ったときから今回のなりきりまで、揺らぐことはありませんでした。たぶんしばらくずっと言ってると思います。 まあ、私は与えられた学びを自分ごとに変換することが得意な人で、私個人はきっと今後どんな長谷部研になっても全てを意味のある時間にすることができます。引き続き頑張っていきたいと思います。

22秋学期SAなりきりコンテンツFBより

今までのWSの中で一番主体的に動くことができたWSだったと思います。 今までは、自信を持って発言する先輩たちに圧倒され、それが正しい意見だと信じて共感することしかできていませんでした。しかし、今回、長い時間をかけてWSを実践したことで、自分の頭の中を整理して、理解した上で意見を言うと言うことができていたように思います。私はおそらく頭に入ってきた情報を理解して自分でも形にするまで時間がかかるタイプなので、正直急いで進んでいく授業にはついていけていないことがあったかもしれないと気づきました。もしかしたら、長谷部研の中にも、贅沢に詰め込まれた長谷部研の授業は全部を吸収することが難しい人も少なくないのではないかと思いました。授業で目的などを自分で汲み取り、学びにしていく力を今回養うことができたかはわかりませんが、授業を最適化する術を少しだけ身につけることができたと思うので、よかったです。

2022秋学期SAなりきりコンテンツFBより

組織に関わる人間として「主体性」について具体例からの知見を深められたところで、議論を日本の労働と社会人のあり方に戻そうと思う。
上記を踏まえると、新卒一括採用の問題は
「主体性を半ば強引に育成している」ということだと言い換えられる。
理念やストーリー性は企業が提供し、仕事内容やワークライフバランスを
自ら考えるのではなくて「与えてもらう環境」がそこにはある。
SAなりきりコンテンツでの文脈での「環境」と新卒一括採用における
「与えてもらう環境」の違いがわかるだろうか?
前者は、枠組みすらない。枠組みも自分で考えるのである。
行動条件はない。
後者は、枠組みがすでに用意されていて、自分で考える機会は少ない。
「物事の背景を「自分で」汲み取る力をつける。」ことができない。
さらに、行動条件があるため自分の目的意識は一度棚の上に置かれる。
タチが悪いのは、これが「社会人」として最初に刷り込まれる価値観であることだ。すると、今後のキャリア/価値観が受動的になっていくことはいうまでもない。

私が前の文脈から主張している「社会人」にとっての「労働」が受動的になること(目的意識、主体性が皆無である状態)で生じる問題というのは、多岐にわたる。
具体的には、日本の労働生産性の低下・グローバル力の低下、企業/組織としての持続性が保てないこと、社会人のストレス度増加(それによるうつ病・自殺者の増加)などあげればキリがない。 これらの問題は、視覚的に捉えることはできず、潜在的に存在している問題であるためになかなか取り上げられないのが現状だ。
(恐らく、原因が煩雑で多くの要素が絡み合っているため、一つに絞り込めず有効な解決策が打ち出しにくい。)

では、新卒一括採用に代表されるような「社会人」になるための過程を、例えばアメリカのようにジョブ型に変えたり、フリーランス採用や通年採用、中途採用などを普及させていくことがいちばんの解決策になり得るのではないかと考える方々も出てくると推測する。
(事実、3ヶ月前の私はそう考えていた。)


少し古い研究になるが、リクルートワークスが2010年に公表した
「新卒一括採用を廃止した場合の、学卒未就業者数の試算」がとても興味深いので
みていくことにしよう。

図表1は新卒一括採用がある現状をあらわしたもので、図表2は廃止した場合をあらわしたものである。廃止した場合、新卒者と既卒者が同一のマーケットとなると仮定し、2010年3月卒業者の大学生および大学院生を対象として、そのときの未就業者の試算を行った。2010年3月に卒業した大学生・大学院生のうち、約9.6万人(大学生:87085人、大学院生(修士):8663人)が 進学も就職もしなかった未就業者である。2010年3月卒において、仮に新卒者と既卒者が同じマーケットになっ た場合、新卒者のうち約16.2万人が未就業者となり、2010年3月卒の実績よりも約6.7万人増える試算となった。この結果からは、新卒一括採用が行われていたときには就職できた新卒者が、新卒一括採用が廃止されたために、就職できなくなるという事態が、少なからず発生することが推測される。また、新卒一括採用があることで、 安定的に新卒者が就職できる環境となっていることも、このシミュレーションは意味している。

2010年「新卒採用」の潮流と課題-リクルートワークス研究所-


2010年「新卒採用」の潮流と課題-リクルートワークス研究所-

なるほど、新卒一括採用は「暫定的な労働者を確保する」という視点に立ってみれば、悪くないシステムなのかもしれない。16.2万人の未就業者が生まれることは日本社会にとっても良いと捉えることはできない。

では、この日本の「労働」と「社会人」のあり方に対する問題意識を
どこに投げ掛ければいいのか?
私は、上記の文章にある「今後のキャリア/価値観が受動的になっていくこと」を
大学生が解決していくこと/考えることができそうだと感じた。
これが、大学生が社会人へ「教育する」ということなのかもしれない。

因みに、ここまで読んでいただければ「なぜ大学生が、社会人にアプローチを模索することが重要であるのか」の答えが一つほどわかってくるのではないか?
そう、主体性や目的意識が社会人よりもある程度高いと考えられる大学生が(ここでは、まだ「社会人」としてのキャリアを始めていない存在であることも重要な要素だ。もちろん大学生も多種多様で、一概に「大学生」と括るのは良くない気もした。ここでは長谷部葉子研究会所属の学生を思い浮かべたい。)「受動的な」キャリアを送っている社会人にアプローチすることで、社会人の価値観や知見が変化し、行動変容を起こすことが容易であると考えられるためだ。行動変容が起きることによっての社会的影響力についてはまた後ほど述べることにしよう。


では、具体的に大学生がどんな手段で社会人に対して「教育」していけるのか。
私は、一つ「ワーケーション」という概念を用いて理論化を試みたいと思う。
まず、「ワーケーション」の意味合いを整理しておく必要がある。

ワーケーションとは、「仕事(work)」と「休暇(Vacation)」を組み合わせた造語で「リモートワーク等を活用し、普段の職場や居住地から離れ、リゾート地などで普段の活動を継続しながら、その地域ならではの活動も行うこと。」と一般的には定義されている。

Airbnb  Japan 株式会社 執行役員 長田英知-ワーケーションの教科書-より

今回、注目したい文言は「普段の活動を継続しながら」
「その地域ならではの活動も行うこと」の二つである。
定義の文章における、前半の言葉(リモート~リゾート地などで)は、
ワーケーションでなくても実現できることが多い。
ここに、ワーケーションとワーケーションに類似する概念を取り上げたいと思う。

・ブレジャー:ビジネスとレジャーを組み合わせた造語、仕事のついでに旅も満喫するもの
・サバティカル:組織に所属しながら、職務を離れて取ることのできる長期休暇
・ワーキングホリデー:異なった文化の中で、休暇を楽しみながら一定の就労を認める
・リモートワーク:会社から離れた場所で働くこと
・在宅ワーク:リモートワークを自宅に限定する働き方

このように、一つ一つの意味合いを確認していくと
それぞれでかなり差異があることがわかるだろう。
今や、コロナ禍で急激に上記の言葉を見る機会が多くなったため、
それぞれの意味合いが混同し、正しく理解されていないのかも知れない。
それでは、この「ワーケーション」が社会人に与える影響力と、大学生がワーケーションなどの働き方を通じて、研究・フィールドワークに行く意義について議論を展開していくことにしよう。

ワーケーションが行われているところにはどんな特徴や共通点があるのか、何が魅力なのか?

大島先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより

ワーケーションでなくてはならない理由。

小山先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより

ワーケーションでの学びをどう自分の学びとして落とし込んでいくのか?

小谷さんFB:2022秋初回個人プレゼンFBより

ワーケーションって何だろう?

山田先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより

目指す未来は、ワーケーションの普及?

小川先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより

ワーケーションって新人がそう簡単にできるものではないよね?

平井先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより


先ほどの、注目したい文言に合わせて説明していくことにしよう。


・ワーケーションで「普段の活動を継続する」とは?
ワーケーションという働き方は、今や企業内でも多く認知されていると私は感じている。Google TrendsでSEO的視点に基づき、「ワーケーション」という言葉の検索数を調べてみることにした。すると、2004年から2019年にかけてほぼ0(検索インタレスト)であった検索数は、2020年を境目に急増。検索インタレストの最高値を2020年6月に叩き出した。その後も検索数は、増え続けている。
そして、今や全国各地へと考え方が普及している段階である。
ここで、具体例として私が2022年5月に妙高高原へフィールドワークに行った際の経験を盛り込んでいきたいと思う。

遠藤先輩、竹内さん他社会人の皆さんと妙高で

まず、妙高ワーケーションの主催者である竹内さんにお会いできたことが光栄であった。竹内さんは、新潟でNPO法人を運営しながら東京のサイボウズでも働き、2拠点ワーク、テレワークなどを実践している。著書も多く、人材育成やWebマーケティングなどに精通している。まさに日本のワーケーションにおける第一人者である。竹内さんが主催しているこの妙高ワーケーションの特徴として、他地域と比べて特に「普段の活動を継続する」意味合いが強い場所であると感じた。

妙高ワーケーションの4つの位置づけ

繰り返しになるが、ワーケーションは仕事(Work)と休暇(Vacation)を掛け合わせた言葉である。すると、企業の導入側(上司や経営者)にとっては少なからず「Work」の部分での不安が付き纏うことになることは言うまでもないだろう。
しかし、妙高でのワーケーションはあくまでも"社員が働くこと"→仕事(Work)の側面を軸としていることが理解できた。

「個々人の場所にとらわれない柔軟な働き方を認めることにより、自律的に仕事の質や能力を高めつつ、個々人の事情や価値観にあったライフスタイルを後押しする」といった形で、企業よりのメッセージも増えてきている

竹内義晴のしごとのみらい-ワーケーションを研究している皆さんへ-

私自身、ワーケーション導入の際のインセンティブについては社会人ではないため考察していくことが難しい。
しかし「普段の活動を継続する」と言う意味合いでは、ワーケーションは日常的に溶け込んでいけるもの(正当な働き方の一つとして受け入れられるもの)であると感じている。ワーケーションの形態やコンセプトは導入地域によって様々だが
妙高ワーケーションは「仕事」という側面においての、最良なモデルケースであることは間違いない。

妙高では、竹内さん以外にも多くの社会人とのコミュニケーションを取ることができた。その中でも、一方的に社会人の方々からキャリアや知見などを教えていただくのではなくて、今の大学生の生活の仕方/キャリア選択/研究活動の内容などを、私たち大学生からも意見を発信し、社会人の方々に聞いていただくことができた。
「大学生が、はるばる東京から自費でやってきて、妙高でワーケーションの研究をしている」という事実は、社会人の方々に何らかの影響力を与えられたものと推測する。事実、竹内さんは2022年11月に「竹内義晴のしごとのみらい」というブログにおいて「ワーケーションを研究している、大学生の皆さんへ」というタイトルでわかりやすく説明してくださっている。そこでは、(おそらく)私たちのことも記載してくれていることが確認できる。私たち大学生が一方的に、学ぶだけでなく
社会人の方々が行動変容を実現している最良の具体例である。
このインタラクティブな学びが長谷部研においての
「ソーシャルトランスフォーメーション」だと私は認識している。

そしてこの場を借りて改めて、竹内さんには感謝申し上げたいと思う。
本当に、ありがとうございました。

一般的には、ワーケーションは普段の仕事が捗っていないと、生産性をあげれていないと本末転倒では?

西林さんFB:2022秋初回個人プレゼンFBより

・ワーケーションで「その地域ならではの活動も行うこと」とは?
続いて、ワーケーションの定義の中で注目すべき文言の二つ目である
「その地域ならではの活動も行うこと」について見ていくことにしよう。
なお、今回は2022年9月に滞在した徳島アワーケーションの事例を参考に
議論を展開していくこととする。

阿波池田フォレストアドベンチャー

私は、9/23~9/26までと短い期間でありながら徳島県の三好市というところで
ワーケーションを体験してきた。
ここでは、株式会社Fobsの西村さんという方に大変お世話になった。
ワークの時間はもちろんだが、豊かな自然を活かした観光名所や険しい山々を駆け回っている鹿や猪を食するジビエ料理を満喫していただきながら、
三好市の活躍人材やローカルビジネスに触れ新しい価値観を学ぶことができた。
参加者も社会人から大学生までと幅広い年代の方々が集まっており、
夜は必ず居酒屋でメンバー全員でコミュニケーションを取る機会があった。
西村さんは三好市で地域活性化の事業を運営しており、
三好市に精通している人物でもあったことから
三好市ならではの特産品や名所などを数多く紹介していただいた。

特に、今回参加したこのプログラムは世間ではアワーケーション
(阿波とワーケーションを掛け合わせた造語)と呼ばれていていて
全国各地から参加者が集う。

「SDGs」や「心の豊かさ」や「ウェルビーイング(良く生きる)」を志向した「ライフスタイル」に注目が集まる今、徳島に惹かれた「人が人を呼ぶ」をコンセプトに、 ワーケーションを通して徳島県の「魅力発信」と「新たな人のつながり」、「新たな人の流れ」の創出を目指しています。

徳島県アワーケーションプログラムHPより引用

このプログラムは
行政×企業×地元住民の連携が取れているモデルケースだとも感じている。
どの関係者もお互いに”メリット”を感じて運営に携わっていることを実感できた。
例えば、行政なら徳島県への関係人口が増える。移住促進による活性化が望める。
企業なら、社員のコラボレーションが実現できる。新しい働き方を模索できる。
地元住民としては、参加者の経済効果が期待できる。新しい出会いがある。
(実際に、地域の方々とはお話しする機会が多く、
地域の方々も企業や行政への信頼度により歓迎される雰囲気ではあった。)
このように(地域住民が行政や企業を信頼しているという大前提は欠かせないが)
3者の連携によって「その地域ならではの活動も行うこと」が実現できる。

視点を少し参加する社会人側に移してみよう。
地域で「主体的に」協働の形が目に見える経験を通して、
自分自身のキャリアや選択を見直すきっかけになることは間違いない。
また、幅広い年齢の参加者から地域住民とのコミュニケーションを通して
新たな価値観や知見を手に入れることが可能である。

少し話が逸れるが、私が参加したプログラムには私の他に香川大学の大学生2人も参加していた。彼らは地元で教育関連の起業を目指していたり、学生団体の代表を務めていたりと夢を持った若者ばかりであった。そんな彼らの姿を見て私自身も
相当の刺激を受けた。東京に帰った後も連絡を取り合う仲となり、彼らが企画してくれた12月に小豆島の高付加価値事業に私も参加することができた。
私は、大学生×社会人の可能性はもちろん、上記のような環境があるだけで
幅広い年代とのコラボレーションが可能になることが実感できた。
改めて、環境を用意してくださった西村さんと仲良くしてくれた
香川大学のはるか君、ひかる君には感謝申し上げたい。ありがとうございました。

このように、ワーケーションの本質的な意味合いを探ることで、「働き方の新しい選択肢」の枠組みを超えた可能性があることをご理解いただけただろうか?
具体例全体を俯瞰してみると、「信頼と信用の関係性」が見えてくる。
これは前述した「近代以前の労働の価値観」にも似通っていると感じている。
私の認識では、ワーケーションは信頼と信用の関係性のもと
「地域に入り込む」ことを大前提にしている。
もちろん参加者は都心の社会人でも地方の社会人でも、
十分その付加価値の効果は実感できると考える。

都心→地方だけでなく、地方→地方もありだよね?

村上先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより

ワーケーションって都会の人しかできないものなのか?元から自然で働いている、生きている人がリフレッシュするものではない?現代のスタンダードとは?

後藤先輩FB:2022秋初回個人プレゼンFBより

ただ、ストレス度が高く日常的な活動を行っている「都心」ではなく「地域(地方)」で実践していくことの価値があることは上記で示した通りである。
では、「地域に入り込む」とは具体的にどういうことであろうか?
「その地域ならではの活動」とはを行うためには、どんな考え方が有効か?
少し、抽象度が高い話が続いた中で具体性を伴う議論を展開できればと思う。
屋久島から北西12kmに位置する、口永良部島という離島をモデルケースに。

ワーケーション研究と離島の活動の繋がりは?

中村湧先輩FB:2022春初回個人プレゼンFBより

なぜ、ワーケーションをする上で、離島なのか?

宮澤先輩:2022秋初回個人プレゼンFBより

離島のコミュニケーションは一体どんなところで生かされているの?

村上先輩:2022秋初回個人プレゼンFBより

ワーケーションは、島以外にも多くのところで展開されている中で、島の組織構造はどのように生かしたいの???

2022秋初回個人プレゼンFBより

私が口永良部島を最初に訪れたのは2022年の6月だった。
当時の離島プロジェクトは、メンバー3人。
メンバーの入れ替えや減少などが原因でうまく
引き継ぎができていなかった。
また、コロナの影響もあり口永良部島滞在に行けない時期が続いた。
そのため、島の地域住民との
関係性は2020年から希薄になっていたことは明らかだった。
私たちは、6月の滞在を経て小学校でのワークショップを企画する。
また企画する上で、
離島人材育成基金助成事業という助成金申請も行う計画を立てていた。

しかし、この計画は見事に頓挫することになる。
原因は明らかだ。
「学生主導で、地域住民の理解が得られていない状態での企画だった。」
「地域に入り、実感からの協働の形を実現することがなかった。」

大学生が「地域に入り込む」際、
まず考えるべきはその地域の方々との相互理解・合意形成を図り、
「協働」の形を模索していくことである。
この考え方は何も大学生だけではなく、例えばワーケーションを導入しようとする(極端な話、地域を活性化するなどのために外からアプローチする)経営者や社会人にも言えることである。

同年12月、私たちは「何かをしにいくわけではない滞在」に出かけることになる。

村松摩柊-「何かをしにいくわけではない滞在」は何をしているか-

そう、今回は滞在の目的は考えず、現地に赴きその場でできることを"必死に"探した。この形態での滞在は、地域の方々とのコミュニケーション/関係性構築を生活の第一に据えることができる。「地域に溶け込む」ことが可能な形なのである。
すると、口永良部島ならではの魅力や経験を
実感からの学びとして自らの中に落とし込むことができる。
ワーケーションの文面にあった「その地域ならではの活動」の本質的な意味合いは
この「地域に溶け込む」ことを言うのかもしれない。
そして、「何かをしにいくわけではない滞在」において、地域の方々との合意形成を図ることができ、幸いにも二つのプロジェクト(エビってる卓球大会・夢をのせた時刻表)の企画・運営に参画できるようになった。この二つのプロジェクトを形にしていくべく、さらに「協働」をしていきたいと思う。

そう、口永良部島での滞在は
「正解」を探し求めるのではなく、
「理解」を模索する日々の連続と言っても過言ではない。
大学生が今まで受けてきた10年間以上の教育での
「正解」を求める姿勢とは異なり、
社会に出てから必要不可欠となる「理解」を模索できる場所が口永良部島である。
そして、この「理解」は自らの目的意識との絡み合い、
自己実現を可能にする大切な要素である。
どういうことか。人間は、1人では何も成し遂げられない。
誰かの協力のもとで、生かし、生かされている。
他者と関係性を構築する上で大切なのは、「信用と信頼」である。
「理解」が土台となって、「信頼と信用」が構築される。
その二つが構築されて初めて、「相互理解」という形での「協働」が実現する。
私はこう推測する。
近代以前の社会での「労働」の意味合いはまさに「協働」だったのではないか?
この考えを0ベースから学べる場所、「実感」できるのが紛れもなく
口永良部島なのである。

口永良部島

最後に「社会人と労働」という観点から、口永良部島にいる私の親友である、
飛鳥さん(20歳、私と同期)という「社会人」を紹介させてほしい。
彼は埼玉生まれで幼少期を口永良部島で育った。
一度埼玉に戻ったが通信制の高校を卒業した後、口永良部島に戻ってきた。
今、彼は島で工事現場での仕事に従事している。
仕事はほぼ毎日ある。休みは少ない日だと月に2回。
多くて月に6回とかである。
労働時間は午前7:00~午後17:00、毎日10時間労働である。
大学生の私には考えられない労働環境だが、仕事はもはや生活の中に入り込んでて「当たり前のもの」だと飛鳥さんは説く。

息をするように、仕事をする。

飛鳥さんを突き動かすものは何か?
それは、「やらなければ、島が終わってしまう。誰かが困る。」という
「危機感から来る主体性」のようなものなのかもしれない。
口永良部島は人口が100人程度だ。
そのため、日々島民は自分の生活に必死である。
「一人一人が主役であり、当事者」
その意識は「工事現場」という生活に最も密着している仕事であれば
より、強いのかもしれない。
都心での生活ではまず感じられないことだ。
もちろん、都心の大学生である私とのコミュニケーションをすることで
飛鳥さん自身も刺激を受けているようだった。
「相互理解」という形での「協働」
口永良部島の未来は、この若者に託されているのかもしれない。


大学生が、まだなってもいない「社会人」に「教育」など考えられない。
長谷部研に所属する前は、私自身もそう思っていた。
社会を変えていく、トランスフォーメーション。
様々な形で実現可能である。
もちろん、大学生が「社会人」にアプローチすることでも。
社会人は、「社会」に与える影響力が強い。
社会人の行動変容で、日本社会は変えていけると私は信じている。
研究会もそうだ。研究会では、どうしても先輩の影響力が強い。
先輩の意思決定は、長谷部研の意思決定に直結する。と私は考えている。
離島のこの先の将来を決めるのは、僕たちではない。
離島に住んでいる人々に託されている。
僕はこの一年、目上、年上の方々に「戯言」を言い続けてきたんだと思う。

社会人になったことがない大学生がワーケーションについて考えることの意味って、なんだと考えていますか?

山田先輩:2022秋学期最終個人プレゼン

まだ20にも満たない若者が、社会人にアプローチする理由。
まだ20にも満たない若者が、20代の先輩に意見を言う理由。
都心の若者が、離島に滞在に行く理由。

大学生が社会人へアプローチする意味とは-2022秋学期最終個人プレゼン-
松浦嵩が、先輩に対してアプローチする意味とは-2022秋学期最終個人プレゼン-
離島Pが、地域の方々と関係性をもつ意味とは-2022秋学期最終個人プレゼン-

私は、まだ社会人になった時のことをイメージすることはできない。
今回の議論の目的は、[大学生が「社会人」に対してのアプローチを模索する重要性]を理論化することだった。
大学生という身分は、社会人になる前の最後の
本質的な意味合いでの「教育」機会である。
(本来ならリカレント教育などが存在するが、
ここではその説明は省略させていただく。)
幸い慶應義塾大学では「半学半教」という理念が根付いているため、
学生のどんな挑戦も認めてくださるし、
それを受け入れてくれる環境が整っている。
大学生は、社会人になる前の中でもっとも「思考」に耽ることのできる/自ら考えて主体的に行動できる「時間と環境」が整えられている期間である。
社会人の持つ「時間と環境」とは全く異なる、ある意味異質な期間である。
異質な彼らは、同質な社会人達に声をあげる。
社会人は、なんと返すだろう。どんな思いになるだろう。何を考えるだろう。

「大人への教育」、私もすごく大事だなあと思う一方で、大人の考え方や価値観に影響を及ぼすには相当のエネルギーというか、、何かよくわからないけど、「何か」が必要な気がしています。私は、子どもを教育して、その子どもたちが大人になるのを待とうかなと思ったりもしています。

斎藤梨奈先輩:2022秋学期最終個人プレゼンFB

私にとって「社会人への教育」とは、
「最大限の敬意を払いつつも、感じたことを本気でぶつける。」
これを「戯言だ」と言ってしまえばそれまでだ。
私は、大学生だから言える「戯言」があると本気で思っている。
19歳だから言える「戯言」があると本気で思っている。
「戯言が日本社会を/世界を変える日は、そう遠くないのかもしれない。」


あとがき:なんか、すごく堅苦しくなってしまいました。
今回の10000字レポート、書くなら今学期の思考の整理と今の個人研究における
自分の立ち位置を確認したいと思い、つい書きすぎてしまいました。
いつも「Chill!」とか言ってるので、こういう時くらい
大学時代の「研究」における自分への挑戦をしてみようと思い、
日々の思考をまとめてみました。
振り返ってみると、私は常に「人に恵まれている」と思います。
まず、長谷部研に所属していなければこんな目的意識を持つことはなかったですし、先生や先輩にはいろんなところで助けていただきました。
本当にありがとうございました。フィールド先でもそうです。
数え切れないほどの支援をいただいたと感じています。
この思いを持ち続けていくことが、
自分が成長していくための最低条件なのかなとつくづく感じています。
自分の成長で、今まで支えてくださった方々に恩返ししたいです。
でも、初めて先行研究なども引用しながら自らの思考をまとめられたことは
自信になりました。10000字を書くにあたって
多くの知見をくれた離島PのみんなやSAのみんな、FBをくれた学生のみなさんには特に感謝したいです。ありがとうございました。
おっと、プライベートの話をまだしていませんでしたね。
今後のキャリアも見据えている段階ながら、書き記していけたらと思います。






2022春学期末:追いコン

直近のことや、就職活動のことはまた今度の機会に話すとして、
私が将来に見据えていることを打ち明けていきたいと思います。
私は、将来的には
「地域での働き方」を支援する事業に携わっていきたいと考えています。
それは、行政や地域住民との連携が取れた人材になることを意味しています。
人口が大都市に密集してくるであろう今後に、地域と大都市をつなぐ「ハブ」のよな存在として活躍していたいと考えています。
また、その「地域ならでは」の事業にも携わっていきたいですね。
名産品の生産やプロデュースを0から地域の方々と
「協働」の形により実現していきたいです。
なぜ、「地域」にこだわるのでしょうか。
それは、故郷である「湘南」への思いの強さが物語っています。
幼少期から、家族や友人と湘南へ。楽しい思い出しかなかったですね。
たとえ大学生になっても、変わることはないです。
自分が今、「湘南」で学べていることがいかに幸せかを痛感します。
いい思い出には、いい景色がありました。
広い海と、青い空がありました。自然豊かでした。
「場所」は人にとってかけがえのないものです。記憶となります。
どこかはわからないですけども、
温もりがある自然豊かな「地域」で、人生を全うという思いが強いです。

故郷:ふるさと


今年1年間、みなさん本当にありがとうございました。

まだ、19歳。ここからです。

これからも、よろしくお願いします。

2023.1.31   松浦嵩    (18060字)

参考文献:
https://trends.google.co.jp/trends/?geo=JP

「google トレンド」
https://www.works-i.com/research/works-report/item/r_000192.pdf 
「新卒採用の潮流の課題」
https://plus.nbc-consul.co.jp/blog/labor-productivity-reasons-low


「日本の労働生産性が低い理由」
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2010/06/pdf/004-009.pdf「人はなぜ働くのか?:橘木 俊詔(同志社大学教授)」
https://note.com/yumitonan/n/nb9a155a86278

「コミュニティとは何か?」
https://blogs.itmedia.co.jp/takewave/2022/11/post_334.html

「ワーケーションを研究しているみなさんへ:竹内義晴」
https://chiyoku.com/western-art/western-painting-category-11/

「写実主義」
https://tokushima-awarkation.jp

「徳島アワーケーションプログラム」
https://www.office-com.jp/gimon/office-tips/office_independence.html

「オフィスの疑問」







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