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さぁ家へ帰ろう。〜ぜんぶ夏のせいだ〜#3完

お腹が痛かったので自分で歩いて病院へ行ったら、
急性虫垂炎(盲腸)だったのでそのまま入院することになりました。

前回は手術台まで自分で歩いて行ったお話から、

最後です。長くなっちゃいましたね。
その後、手術が終わってまた自分で歩いてお家へ帰ったお話。



…きこえ…ますか……

遠くで声がする。

まぶたの向こう側がやけに明るい。

人の体って不思議なもので、目を瞑っていても視界以外に周囲が明るいかどうか分かるものらしい。

たぶん、最後に見た手術室のあの眩しいライトの明かりだろう。
ここはまだ手術室に居るんだな。

『あらこのおねえさん綺麗なタトゥーが入ってる』
『せーの、せッッ!!』

遠く、はっきり聞こえたのは、
わたしの身体を治してくれたあの人たちの、この二言だけ。

掛け声と一緒に少し宙に浮いた感覚があった。
移動されたみたいだ。たぶん、手術台からベッドかな。
たくさんの人の忙しい気配だけがする。

けれどもわたしの身体は、全ての電源が落とされたかのように力なく固まっていて、まるで自分のものではないみたい。

それからまたシステム終了するかのごとく、まったく覚えていない。


9月1日pm:おはよう、世界。


自分の意識が戻った体験をしたことがありますか?

急に夢から覚める時の、ぶわっっと表面へ浮き上がるような、
はたまた水面の向こう側から勢いよく引っ張り上げられるような、
あんな感覚でした。
麻酔が切れた
ので、急に目が覚めたような感覚だったかもしれない。

無から醒めるとそれは、だいぶ衝撃的だった。

早く夜明けが来ればいい。

身体中にたくさんの管が取り付けられていて、ほとんど裸だった。
いや訂正、
心電器具のために服がはだけてあっただけでちゃんと服は着ていた。
ピッピッピッと頭の近くで聞こえる電子音、昨日までなかった機材がぐるりと取り囲むように並ぶ。
下半身には排泄用チューブも取り付けられていた。

まったく身動きがとれない。身体の動かし方が分からない。

どうしたら良いか困っていたら看護師さんが入ってきた。
勤務時間帯で変わる看護師さんたちは一度として同じ方に出会わない、また違う人だ。

なんと良いタイミングで…と一瞬思ったが、たぶん把握されているんだろう。

麻酔から覚めてご気分はいかがですか?と聞かれたなら、映画さながらの台詞で『あぁ…悪くないね、そしてここは天国?』なんて言えるものなのかと思っていたけど、そんな余裕などないわ。
今なら分かるけど、そんなこと言えるなら即日退院できるほど元気なんじゃないかって思う。頭なんか回らない、頷くだけで精一杯よ。

術後経過観察のために一晩このままですと告げられて、
また気が遠くなるほどの衝撃を受けてしまったけど。

これはわたしの痛み。自分だけが知っている。

明日の朝からもう食事が取れるそうだ。
点滴の影響もあるのか、空腹感はまったくない。

寝たきりも良くないので少し起きましょうか、ということで看護師さんがベッド脇にある電動リクライニングのスイッチが入れ、ゆっくりと上体が起こされていく。

大きな窓から差す陽はもう傾いて、薄暗い。

ぐぐぐと上がっていくベッドと共に身体が起き上がっていくに連れて、近づく違和感を感じた瞬間、

走る激痛。

止めて止めて!!と懇願するように、スイッチを停めてもらう。

激しい痛みに混乱しつつ、体が痛むので自分でやりますと伝えると、
そばで見守っていた看護師さんは、では点滴がなくなったらコールするよう添え部屋を出て行った。

呼吸しても響く痛み。

指先を切ったとか、どこかにぶつけたとかそんなものじゃない。
これはまったく知らない痛み。【中身】が痛い。

そうか。
今まで気づかなかったけれど、普段これらは体の中にきれいに納まっているからに暴けば当然、痛覚を刺激するわけで。

手術のために少し移動された内臓が、元のちょうどいい位置に戻ろうとするかのように、体内でごりゅごりゅっと動く感覚がある。ひぇ。

これは自分の痛み。
形容し難い、【生きている痛み】だ。

とりあえず、ちゃんと生きてることを伝えたくて、
無事に手術が終わったこと、時間をかけて家族や友人へMessageを送った。

9月2日am:退院しちゃう?


こんなにも早く夜が明ければいいなんて思ったのはいつぶりぐらいだろう。

早朝の回診、執刀医の女医先生と、また別に数名の先生たちが訪問された。
お話の仕方から女医先生の先輩のような立場かもしれない。

簡単な問診の合間に先生方が術後の確認をしつつ、女医先生が話を続ける。

『術後の経過が良さそうなので、今日か明日にでも退院できます。
今日退院しちゃいますか!?』

今日!

わたしの驚愕と同じぐらいのタイミングで、隣にいた先生がバッと女医先生の方を見る。

いや、ちょっと発熱の症状があるので…免疫力が下がって…まだ…そうそう、今日じゃなくてもいいと思いますよ…?
先生がカルテ片手にぼそぼそと、ささやかな声で伝えると女医先生はふんふんと頷く。

先生、わたしもそう思います!

終わったから無理やり退院するわけではなく、それぐらい無事に終わった手術ということだ。特に問題がなければ、帰りたければ帰れるシステムなだけ。

そうですね、と先生方が頷き合って、わたしの退院は経過観察も兼ねて熱が下がったら、と決まった。

先生たちが退室したあと、同行していた看護師さんたちがテキパキと器具や管を外していく。

安堵と開放感と、まだとてもじゃないけど動かせそうにない体とのバランスの悪さにぐったりしながら、痛む手首の点滴を抱えてベッドに沈んだ。

9月3日

寝たり起きたりを繰り返しては、痛む身体をおして部屋の中を徘徊する。
少し動いては疲れて寝て起きて動いて疲れて寝る。

わたしはどうしても9月4日に帰りたいのだ。

そのためにも早く、身体が機能してほしい。

ちょうど入院し始めてからわたしの話し相手になってくれていた友人からは、

『そういえば今日、誕生日じゃない!入院なんかしちゃって!』
良くも悪くもタイミングの良さを指摘された。

うん、これ以上悪くなることはしばらくないと思う。
これからはきっと楽しいことばかりかもしれない。

なくして初めて改めて知るありがたみを体に刻んで、人生の禊として受け入れたつもりです。

ごめんねきっとどこかないがしろにしていたかもしれない。

これからわたしは誰よりも、
自分の体を愛してあげようと想う。

9月4日:さぁ、うちへ帰ろう。

昨日のうち、母と姉に今日が退院日になると伝えていた。

母は、仕事だから迎えに行ってあげられない、一人で帰れるか、ごめんねと何度も繰り返す。

その心配が返ってかゆくて、まぁ大人なので大丈夫です、と何でもないような態度で返事をした。

実際、本当の話どんな顔して帰ればいいのかちょっとよく分からなくなってしまっている。
どうしてだろう。

お世話になりましたとすれ違う看護師さんたちにご挨拶をして、病棟のセキュリティを開けて頂き、わたしを乗せたエレベーターが下界へ降りていく。

受付にて手続き案内をもらい、自動ドアが外へと繋げる。

空気。外気。湿気。
本日は、雨の日。

天を仰ぎ、傘をさして、深呼吸をして、田んぼに挟まれた車道をとてとてと歩く。

あの日早朝4時ごろ、危篤を知らせる着信が入り着のみ着のまま未だ暗い明け方を走っていった日のこと、そして今日帰るこの道は同じ道だ。

いつかの夕方、夜の帷が落ちる頃。



できることなら、
もうしばらくは来ないで良いように、
【さようなら】と【ありがとう】を心の中でつぶやいた。


実家へ着く。玄関の鍵を開ける。
仕事へ出て行った母の痕跡が残る居間。
荷物を置いて違う鍵を取る。
時刻はお昼を過ぎた頃。
徒歩30歩圏内、姉の家に入る。

テレビを点ける。
youtubeに繋ぐ。

わたしがどうしても今日9月4日に帰りたかったのは。

https://youtu.be/4VUKDx0wfwY?si=Ch9-e6OuiB-U8Bz3

傷が痛むのでリビングのソファーに寝転がりながら、ただただ楽しみにしていただけなのに、
流れる一曲目【きらり】

急になにかが込み上げてきて、ひとり居間で嗚咽を上げながら泣いてしまったのは内緒の話。


それからしばらくして午後、母が帰ってきた。

おかえりとただいまをぎこちなく交わし、
わたしはたどたどしくハグをする。

『夕飯はなにか食べたいのある?』
『餃子がいい』
うんわかた。待っててねと冷凍保存してあったのを水餃子にしてくれた。

実家の味ってやつです。


二年前、夏の終わりの出来事。
誕生日に入院したこと。
ぜんぶ夏のせいにしたい。

後日談

手術跡、おへそにある抜糸のために病院へ行く。
一応、自然に溶けていく糸らしいが経過観察も兼ねるらしい。
診察室には女医先生が待っていて問診をしながら手術跡をみる。
それはさておき、このモニターにずっと映ってる白いブニブニした物はなんだろう?

気になるわたしの自然に気付いて、
『こちらが今回摘出した臓器ですよー』
先生はにこやかに教えてくれた。

わぁお。わりとモツですね。
焼肉はしばらくいいや。

あとがき

你好。
現在、台湾にあるおばあちゃんちに暮らしている
ロロ です。
台北市内の師範大学附属語学センターにて
社会人語学留学をしています。

台湾留学と全く関係ありませんが、夏の思い出にいつか書きたかったお話です。

盲腸ってちょっと不思議で、
人体の進化過程において、いつのまにか残ってしまった必要でない臓器が、
ある日突然、痛み出して悪さしてしまうそうです。

たぶん大体の人は一生そのまま何もないこともあります。
親知らずみたいなものですかね?

海外では【神様のいたずら】って呼ばれるそうですよ。やだほんとにもう。

最後まで読んでくださって本当に本当にありがとうございました…!!

今日までもわたしの体が元気なのは医療従事者のみなさまのおかげです。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。

そして最後まで読んでくださったあなたさまへ、

愛を込めて。

彼のことを知ったのはyoutubeでカバー曲をupしていた頃に見かけたら丸の内サディスティックが格好良かった。それからなんとなく見かけるぐらいだったのに。
最近なんて台湾にLiveしにきてくれたりMVの舞台になったりなんかもうびっくりですわ。

あれから彼は、わたしの人生の節目に何かと現れてくれるので不思議でしょうがないです。

これからもまだもう少し生きていく命なものでして。
それならわたし、どんなことがあってもけっきょく最後には愛がいいと想うんだ。

なんてね。


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