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沢山やれば、その分、愛もエネルギーも分散する。

 『ニッポンの嵐』という、嵐のメンバーと日本中を旅した本をつくった頃、 #日本 #地方 #ものづくり #伝統  といったタグの付く依頼が沢山舞い込んで、メディアの中心ともいえる東京での仕事が一気に増えたことがあった。

 東京でお仕事させてもらうようになると、必然的に大手広告代理店のみなさんや、イケてるクリエイターさんのような方たちとのお付き合いも増え、実際にお仕事をご一緒させてもらうなかで当時強く思ったことがある。

 それは、

「沢山やる分、愛もエネルギーも分散する」

 という、実に当たり前なエネルギーの法則みたいなことだった。

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 様々な世界で活躍される一流のみなさんを遠くから眺めていたときは、なんだかとんでもない数の仕事をこなして、とにかくエネルギッシュでバイタリティに満ち溢れているように見えたけれど、実際にお仕事させてもらって感じたのは、そんな人でもみんな「愛」と「エネルギー」の量は限られているんだな、という当たり前のことだった。

 どんなにすごい人だって、すべてに全力なんて注げない。この当たり前の事実をふわっとごまかしながら仕事をしていくようになると、辛くなるのはきっと自分だ。

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 例えば最近ご多分に洩れず、YouTubeを観る時間が増えているのだけれど、芸能人の方のYouTube参入が続々増える中で、よく聞こえてくるようになった「毎日更新という正義」についても、僕は少し違和感を覚えている。

 良くもわるくも、さまざまな人の思惑が交錯するテレビ業界と違い、限りなく個人に近い小さなチームで制作発信できるYouTubeは、質より量に重きをおくことに、成功の秘訣があったことは間違いないと思う。

 僕らの世代で言うならば、かつてタモリさんや久米宏さんや、朝ドラのヒロインがスターとなったのは、帯番組として人々の視聴習慣に入りこみ、生活のなかに番組そのものが組み込まれていたからだ。だから小さくも勇敢なチャレンジャーたちがYouTubeという新しいフィールドのなかで、人々の視聴習慣をゲットしようと毎日更新をはじめたのはとてもよくわかるし、実際それが結果となって現れたからこそ、現在のレジェンドのようなユーチューバーさんたちがいらっしゃるのだろう。

 だからそこにある種の正義があったことは僕もとてもよくわかる。しかしもはやその時代も終わりつつあるんだろうなあと思う。

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 たとえば僕は、Twitterのフォロー数を常に34と決めている。34という数字は、智士(さとし)という名前の語呂合わせだから、それ自体に大きな意味はないけれど、実際、34というフォロー数は自分にとてもフィットしてる。誰か新しい人をフォローしたければ、誰か一人フォローを外す。そんなことをやりながら、インプットの量と質をコントロールして楽しんでいる。

 だからYouTubeのチャンネル登録に関しても、そろそろコントロールしなきゃなぁと思いはじめている。僕のようなおじさんですら、チャンネル登録リストは、容易に見渡せないほど大量だ。にもかかわらず、毎日更新される動画をこれからも僕たちは積極的に求めていくだろうか?

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 しかし僕がYouTubeにおける「毎日更新の正義」に対して危惧しているのは、そういったことより、更新頻度が=やる気や誠意のモノサシとなっていることだ。

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