「〜と思います」は言ってはダメ!?言葉の表現を考えてみた
人の意見を聞いていると、たまに「〜と思います、は言わない方がいい」という話を聞く。本当だろうか。
その理由は大抵、「〜と思います、はただの意見だ」とか「曖昧だ」「自信が無く感じる」「あなたがどう思うかなんて聞きたくない」みたいな意見が多い。
例えば、コンサルタントや講師は「僕は〜〜と思います」みたいな話し方をしたら自信なさそうに感じる、みたいな。
また会社でも上司が部下に意見を求める際に部下が「私は〜〜と思います」と言うと「君がどう思うかは興味ない」みたいに感じる人もいるらしい。
それはパワハラというんじゃないのか、と思うがそう感じる人もいるのだろう。
日本語はむずかしい。
なぜなら、人は頭の中でイメージしたこと、つまり「思ったこと」を言葉にしている。
だから、どんな意見も主張もそもそも「思っている」で間違いないのだ。
それが曖昧に感じるのか、自信がなさそうに感じるのかを受け取り方次第だと言っていい。
昔、小学校の時の担任の先生が「思っていますはおかしい。だからこれからみんなは考えています、という言葉を使いなさい」と生徒に教えていたことを覚えている。
詳細は覚えていないけど、「思っている」という表現は好ましくないから「考えています」という言葉の方がよい、みたいなニュアンスだった。
「いやいや、一緒やん」って突っ込みたくなるが、その当時の担任の教師の影響力は大きいので自分もそれに従っていた。
そもそも、「考えたいます」という言葉も曖昧この上ないし、突っ込みようによっては「君がどう考えているかなんて関係ない、結論をいいなさい」みたいに言われることもあるだろう。
また、「考えています」を使いなさい、というのは教師などの支配者側が生徒を教育する際に使う常套句と考えていい。
先生「あなたはどう思う?」
生徒「私はこう考えています」
みたいな。
結局はこれもニュアンスの違いで、思いますも考えますも同じだ。
「思います」は最強の自己主張カード
ここまで「思います反対派」の話と反論を述べてきたが、ここで僕の考えを伝えたい。
僕は「思います」は大いに使って良いと考えている。というか、バリバリに使っている。
その理由を話そう。
YouTube等でも活躍しているとある精神科医の先生がこう仰っていた。
「自分の意見を伝えるのが苦手、人から自分の意見についてあれこれ批判されるのが怖い人は、私は〜〜と思います、という伝え方をしよう」と。
その真意は、SNSや会議などで「これは○○です。これはダメです」みたいに断言してしますと、言葉にトゲが生まれたり間違えていた場合に指摘されたりしてします。
中には意地の悪い人が証拠を突きつけて指摘する人もいるだろう。
それが怖いから、主張できなくなる。
そのサイクルを打破するために「私は〜〜と思います」というニュアンスで伝えることで言葉が柔らかくなるという話だ。
「思います」がクッション代わりになって受け手の印象が変わる。
それにより、敵を作らずに自分の意見を言いやすくなるという話だった。
これは「〜と思います」が自信なさそうに感じるという人の認知を逆手に取って手段だと言えるだろう。
言い切ると言葉に印象はどうしてもキツくなる。確かに断言することで自信があるように感じるだろう。しかし、裏を返せばその発言で敵を作る可能性も高くなると言うことだ。
そのリスクを最小限に抑えて自分の意見を相手に伝えられる言葉こそが「思います」の真骨頂だと僕は考えている。
だから、僕は「〜と思います」と使い続けているのだ。
言葉の受け取り方は人それぞれ
この記事では「〜と思います」についてを考察した。
思います、と似た言葉に「考えます」がある。
どちらを使うのかで、やろうと思えばいろいろと議論の余地はあるだろう。しかし、そんなことはいくらやったところで意味はない。
なぜなら言葉の受け取り方はその人しだいだからだ。
認知脳科学の話になるが、同じ言葉を使っても、その人その人で連想するイメージは異なる。
例えば「青」という言葉でも、空をイメージする人もいれば海をイメージする人もいる。自分の着ている服の色を最初にイメージする人もいるだろう。
つまり、言葉というのはある程度のルールや定義づけがされているだけで、人の脳内で喚起されるイメージまでは操れないのだ。
表現の仕方も人それぞれだし、それをどう解釈するのもまた人それぞれである。
昨今では若者の間で「マルハラ」という事が流行っているらしい。何やらLINEなどで文末に。がついているとハラスメントになるとか。
僕などは全くそう感じた経験すらないのだが、若者にかかわらず誰かがそう言い出したのだろう。
むしろ、それを鵜呑みにした人が文末に。なしで送ってくるメッセージの方に違和感を感じる。
あれは、文末に絵文字がないのが怖い、から来ているだと思う。
たぶん、それをみんなはき違えているのは容易に想像が付く。
言葉は自分を表現する手段であり、コミュニケーションツール。
みんなが使うものだから、当然好き嫌いも出てくる。
だけど、他人の好き嫌いとかよくわからんエゴで規制されて使いにくくなるのはおかしい。
自分の言葉や表現は自分で選んでいこう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?