コロナ対策に欠けていて、でも必要なもの
UberEATSのちょっとした界隈でイラストを描いていて、その都合でこのnoteを始めたのですが、時々140文字に収まらず連投ツイートをする事もあったので、noteではnoteらしく(?笑)文章を綴りたいと思います。
まだ始めたばかりなので自己紹介文もまだざっくりとした内容ですが、私は先天性感音性難聴です。生まれつき聴こえず、物心がついた時から補聴器をかけています。よく外してはおしゃぶりにしてしまってました( ̄▽ ̄;)
そして、一応話せます。先天性の難聴にしてはまだ明瞭に話せる方です。というのも、幼少期に保育園・聾学校(現:聴覚特別支援学校)・療育センターの3ヶ所に週6日通っていたからなのですが…聴覚障害があるとは思ってもらえないほど話せるが故に、社会に出てからは生きづらさしかなく、気付けば風俗業界が私にとって一番ストレスがない環境で、長いとこ身を置いているのが実情です。
色々書きたいこともありますが、コロナウイルス感染者数が毎日報道されて、それでもどこか対岸の火事のような錯覚を覚えてしまいそうな自分がいるのもまた事実です。
感覚が麻痺していく、というものですね。日々自分で自分を戒めています。
さてUberの話に少しなります。配達をしている人はご存知ですが、ガイドラインというものは一応あります。先日、ソーシャルディスタンスを配達でも取り入れていきましょうといった主旨のものが出ました。前回の記事に書いた事と重複しますが、私のところにはそのガイドラインは表示されず、Twitterで知ったのですが、一部の配達員には表示されていないものだと判明しました。それでもほとんどの配達員にはそのガイドラインは通知されています。
ただ、そのガイドラインに必ず関係する加盟店と注文者サイドには伝わっていません。2m以上離れてお料理の受け渡しなんて、両者がどうやるかを知って把握していないと『何やってんの』となるだけです。混乱するだけ。そしてただでさえかかる手間が、余計にかかることになります。
だから私は、加盟店と注文者、それぞれに『4月13日時点で配達員側にはこういったガイドラインが出ています。コロナウイルス感染症対策としてお互い守りましょう』と周知してもらえるよう、ペーパーを急遽作りました。
仲間からの相談が後押しになり、ほぼ半日で加盟店向けのペーパーが出来て、今日は注文者向けのペーパーをこれから作ります。
ところがです。
加盟店向けのペーパーが出来た。もちろん使うのは、使いたいと思っている配達員にどうぞ、という自由なもので…強制でもなんでもない。けど実際『配って欲しくない』『トラブルの元になるんじゃないか』という声が届きました。
うん。じゃあ何で配って欲しくないのだろうか。トラブルを最小限に抑えられたら、という狙いでペーパーを作ったし、全くトラブルがない配達ばかりですか?違いますよね。置き配が勝手にデフォになってたり、何かしらのトラブルはもう前からあってます。トラブルなんて不可避のものはあります。
加盟店でのお料理の受け取りも、ガイドラインでは『加盟店スタッフが配達バッグに入れる』となっています。配達員側としては緩衝材や保温対策のエマージェンシーシート等を使って工夫して配達バッグに入れているので、加盟店スタッフが配達バッグにお料理を入れても正直、二度手間です。どのみち入れ直すのは配達員全員が想像出来ていると言っても過言ではないです。
でもね…今そんな事言ってる場合ですか?って思うんです。コロナウイルスに感染するリスクを抑えることより、その手間を惜しむの?下手したら命に関わるウイルスなのに?
トラブルを起こしたくない。誰だって一緒です。リスクヘッジとして『ガイドラインに沿わず従来通りにやる』という選択をしてもいいと思います。
手間だって省けるものなら、これも誰だって省きたいですよ。
このしばらくの間、マスクの必要性の話を見聞きしていて、その中でもよく出てきたのが『配慮』という言葉でした。
https://twitter.com/asami770123/status/1249150472696537090?s=21
検索してみても結構セットで出てきます。で、この配慮って…どんな形であれ、どうしても手間はかかるものなんです。
この記事の冒頭で私が難聴で、そして風俗の仕事が一番長く身を置いている業界だと書きましたが、いわゆる普通の仕事が長く続けられない要因のひとつに『配慮がないから』というのがあることに結びつくのです。一口に聴覚障害者に対する配慮といっても一人一人違います。大きい声で話して欲しいという人もいるし、目を見て話して欲しい人もいる。筆記して欲しい人もいる。私の場合は、目が合っている状態で話してほしい・聴き取れず聞き返してもまた話して欲しい、この2つが特にして欲しい配慮。面接の時に『配慮して欲しいことはありますか?』と聞かれてこたえて希望持って入社・入店したって、最後に努めたスーパーなんかでは聞き返したら嫌な顔して舌打ちでした。嫌な顔されるのもよくあるし、私も申し訳ないなぁ…と萎縮しながら聞き返す、でもこれは日常的です。生きづらいです。会話を成り立たせる為に全ての神経をフル稼働させて集中させて。それが周りには、私が普通に話せるもんだからなかなか気づいてもらえません。
つまり。たかが一人の難聴ではあるけれど、配慮なんか日常から私は感じられないわけです。配慮なんか当たり前にあるとでも思ってるのか、と。障害を持った人が普通に生きているとでも思っているのか、と。
で、今コロナウイルスのニュースが連日報道されて、マスク、手指消毒、三密を避ける、ソーシャルディスタンスやら注意喚起もあります。でも未だにマスクをしない人がいます。品薄で簡単に手に入らないのも解りますが…マスクをしない人がどういう目で見られるか、これもこのご時世だからこそ嫌な言い方になってしまいますが、同情出来ないです。何もマスクである必要はなく、だから手作りだったり、何かで代用したりしている人も多くいます。自分が感染するはずないからマスクをしなくても大丈夫、ではなく、いつ自分が保菌者になって周りに移すか分からないからマスクをする(鼻や口元を覆う)という配慮が今は必要です。
もう一度書きますが、配慮というのはどうしても手間がかかります。手間のかからない配慮なんてないと思います。面倒だから、といってしまった時点でもうそこに他者を思いやる心はありません。配慮のかけらもありません。
その手間を惜しむ人の多さを、今回ペーパーを作っては改めて気付かされました。そりゃ生きづらいわ…とも。
少々きつい内容になってしまいましたが、結局その配慮の気持ちが多くの人にないことにはコロナウイルスの感染もなかなか収まらないでしょう。私は本気でそう思っています。
(とはいえ、自分自身に余裕が無いと配慮も出来ないのも重々承知しています)
見ていってくれて、ありがとうございます。 サポートはUberEATSで、よりお客様&配達員に役立つツール(ペーパー等)作り・啓蒙活動に役立てさせていただきます。