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子供は、親の「いう通り」にはならない



私には5歳の息子がいます。
名前はレイ。

レイは、私の顔をよく見ています。
レイは、私の瞳をよく観ています。
私が笑えば笑うし、私が泣いている時は泣きそうな顔をするんですね。家族の異変に、誰よりも先に気がつくのが、レイです。

きっと、5歳の彼だから分かることがあって
5歳の彼にだけ、見えることがあるんですね。
家族の一員だからこそ、立派に、そして繊細に感じてきたのでしょう。そしてそれはレイだけではなくてきっと、どこの家庭でも起こりうること。「家庭」という空気の違和感は、大人が思うよりも遥かに「こども」が、察知しています。姿勢、目線、口調、声のトーン、振る舞い、歩き方、冷たさ、あたたかさ。目に見えないけど確実にそこにあるもの。憶測なんかじゃない。ゆがんだ真実があれば、ちゃんと理解して見ているんですね。

そして、この世で見たもの全てを通して、「自分」を成長させていくのでしょう。

ですから私は今、焦っています。
彼に与えるものは「不安」じゃなくて
「安心」であった方がいいと。ただそれだけをベースに、育児をすることにしました。

それは、金銭の話ではありません。
心の話です。

親の職業が教師であろうと、医師であろうと、アーティストであろうと、キャバ嬢であろうと関係ありません。親がどんな大企業の社長でも、カリスマで、凄腕の大金持ちでも。ヒステリックで完璧主義な親には「嫌悪感」や「反発」「不安」を抱きます。
反対に、親がどんなに貧しくても。苦労に苦労を重ねても。苦労に対して、前向きに乗り越えていく姿勢や、失敗してもやりなおせるというそのプロセスに「安心」を抱くわけです。

親の苦労はここにあると、私は思います。
なぜならば、この難解な社会で「いつも安定している親」でいるというのは、正直なところ、無理ゲーなのです。親だって未熟なひとりの人間ですから。

ただ、子どもの安心のために。(子供に安心を与えるために)私たち大人に必要なことは何でしょう。考えました。


それはきっと
「自分」が、自分を愛して。心を満たして、とにかく体を健康に。心が折れないように生きること。そして、「今」に納得して生きることです。

納得のいかない上司のもとで働き続けたり、
納得のいかない恋愛を続けたり、
納得のいかない夫婦関係を続けたり、
納得のいかない介護を続けたり、
納得のいかない「私」を続ける。

そうしているとどうしても、辛くなります。子供にヒステリーになってしまう。それなら
そんなのもう全部、辞めちまえってことですね。

私はそう思って、今日を過ごすことにしました。いつでも、魅力的な一日は自分で作るものです。その前向きな姿を「子ども」に見せる。私たち親ができることって、たったそれだけなのかもしれませんね。

子供は親の「いう通り」にはならないが、「する通り」になるのでしょう。

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