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脅し社会



「老けるな」「太るな」
「おっぱいはデカい方がいい」
「顔は小さい方がいい」
「子供は静かにしろ」
「一重は可愛くない」
「年寄りは目立つな」
「ブスが威張るな」
「若さは売り」
「白肌は正義」
「ほうれい線、シミ、シワNG」

日本はこういった脅しが日常であり、教育であり、商売や、人間関係が成り立っている。その中で私は、これらを雑音とも感じないほど溶け込んで生きてきたんだ。違和感もなく、特別に苦しいとも思わなかったし、無意識のうちに加担もしてきた。

ただ、30歳を迎えて、社会から一歩下がり、視野を広げてみると少し違った。この国の大きな違和感が見えたんだ。日本人は、いつも社会に脅されていて、なんでもかんでもNGを喰らっているんだって。

たとえば、海外のように、好きな服を着て、肉付きの良い谷間や、おへそを出して歩くスタイルは、日本だと妙に性的な目線でみられる。
皆んな、おっぱいが大好きなくせに、出すとひるむし、谷間を出す女性は「いやらしい」と人格を疑われる。それに似たように、個性的なファッションは「派手だ」とか「変わり者」とか「年齢に見合っていない」と悪く印象づけられるんだ。海外で、そんなことを言う奴がいるんかな?バンクーバーでは医療人でさえ、看護師は私服でオシャレを楽しんでいる。髪の色も、瞳の色も、体型もさまざまな多国籍国家がある。そんな中で、痩せてたら痩せているだけ可愛いと言う日本の若者文化は、相当、固執気味。異常とも言えるだろう。それからたとえば、幼い子供が電車内で騒げば、「うるさい」と怒られて、その母親が派手だと「あんな親だから?」と冷たい目で見られる。

こうして太り過ぎも、母親も、美人も、ブスも、子供が元気なことも、老いることも、なんでもかんでも非難されるんだ。日本という国は兎に角、うるせーんだと思う。

そして、このうるさい社会で、私達はこれから老いるんだよ。だから想像して欲しいんだ。
これから老いの道を歩く私たちは、どうなるのかを。

これは私のケースだが。私はきっと、あと2.3年でほうれい線がはっきりして、シミやシワが増えてきて、そのうち金髪はやめた方がいいし、キラキラなメイクはやめた方がいいと無言の世間から言われるのだろう。そうして更年期が来て、少し太ればみっともないとか、もっと老いが進めば「見た目より老けてる」とか、そのうち「ババアは引っ込んでろ」と言われるんだろう。はは。しんどいな。でも、

それらの原因は、私たちが作ってきた文化なんだ。

つまり、日本の教育が「個性を出さないこと」だったからだろう。大人達の冷やかな「価値判断」がそのまま投影されて、日本の社会は恐ろしい雑音だらけになったんだ。うるさくて、窮屈で、馬鹿馬鹿しい。そんな国になったんだ。多様性なんて言うけどそんなのは見せかけで。広がれば広がるほど、文句のレパートリーを増やすのが世間。行き詰まり、未来がつまらなくなって、息苦しくて自殺するのが私たちだろう。

このままじゃ、女性は子供を産む気にならないし、おっぱいは「いやらしい」ままだし、女性は痩せていて白肌じゃないと不幸になるよ。文化も、教育も全然素敵じゃないまま、ノイズ社会はずっとずっと、変わらないのだろう。私は今すぐ、ここから、そういう未来を変えたいと思った。だからあなたにも協力して欲しいと思って、エッセイも書いている。

やっぱり、大切な子供達が大人になる頃。もっともっと素敵な日本になっていてほしいと思うからだよ。

手遅れだからって、未来を手放す理由にはならないだろう。




だからまずは、私が変わって。
誰も、何も言わない静けさを取り戻して。
個性を許して。
皆んな自由で、クリエイティブで、自分の身体もこころも、取り戻していって欲しい。そう願って強く書き続ける。

「喜び」は、周りの手によって崩されたり、失うものではないんだって、叫び続ける。

世間じゃ無くて、個人を尊重して。同じじゃなくて、違いにこそ愛を持って。文句ばっかの世界を終えて。いくつになっても、喜んで生きていく。喜びは失うな。奪われるな。離さなくていい。離さなくていい!!そう叫んでいく。

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