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無力な自分と目を合わせること。手を繋ぐこと。



人気がない
実力がない
評価されない
失敗する
嫌われる
恥をかく

これらを恐れ、「ありのままの自分」を見つめることができない。




ということが、人にはある。人は、自分の弱い部分がバレることを心底、恐れるんだと思う。私もあなたも、あの人もきっとそうだろう?「ありのままの自分」を知ることは、私達にとって恐怖なんだよ。それは何故かって、?

「無力」な人間はダメだ!!!

と、教わってきたからだろう。世間や社会から。ニュースや、ネットの炎上から。そして自分達の親や、先生。周りの人間からそう教わってきたからだろう?

生まれてすぐの赤ん坊にはなかったこの概念は、成長とともにごく自然と植え付けらてきたんだ。それは小学校に入った頃から。自分の頭に点数をつけられ、容姿に点数をつけられ、実力と人気が比例することを覚えて。毎日のように比較されることで、成長と共に立派に染み付いた。

だからこそ私達は歳を重ねるたびに、懸命に「失敗を回避」するようになり、効率よく嘘をつけるようになり、自分の本音を隠すように。「あれを言ったら、どう思われるだろう?」「これをしたら怒られるかもしれない。」
「嫌でも笑ってないと、」
「辛くても頑張らないと、」
「ダサいと思われたくない。」
「出来なくてもできるフリをしたい。」
「こんな、無力な自分はダメだ」と。
「弱さ」を見せない為に努力して身を隠す。
それは恐怖に震えた必死の、防御。
そうして防御を纏った大人になる。




大人になった私達は一体。
1日のうち、どのくらい、「自分」という役を演じているのだろう。





本来の自分を見失ったままの「違和感」を。
いつからか「違和感」とすら思わなくなる。
仮面をつけたままの演技は板について、苦労を美徳とする。そんな今の生き方が普通だと世間は言い、みんなが「ありのままの自分」を隠して生きる。何者かになろうとしていく。

気づけば奥にしまわれた「ありのままの自分」はちゃんと呼吸ができなくなり、見えない不満と戦って、いつも窮屈を抱えていく。

それが現在の日本のカタチだと思ったんだ。
謙遜どころではない、偽物の美徳だよ。



本当の本当は、「防御」なんて要らない。



人間は弱い生き物だし、完璧には作られていない。それが人間らしさであり、美徳だ!!!
全員、個性があっていい。自由でいい。イキイキしていい。大きく失敗したり、転んだり、迷惑をかけたり、断ったりしていい。ダサかったり、カッコ悪かったり、はしゃいだり、涙を流したり、踊り狂って愛を叫んだりしていい。
そうでしょ?そうじゃない?

今からでも遅くないだろう。

自分を認めて、相手を受け入れて。
自分を愛して、相手を愛する。
未完成の人間と、未完成の人間との毎日で
笑い合えたらいい。支え合えたらいい。
私はそう思う。だからダメな私も、カッコ悪い私も、怖い私も、失敗する私も全部出しちゃうよ。それでもいいって言ってくれる人と支え合いたいよ。今日はそんな感じです。これからもよろしくね。

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